東京外国語大学の対策

 今年(2006年)から再び世界史を論述として課すことが始まりました。その形式は、

(1)配点は100点満点で、アジア史60点とヨーロッパ史40点とした。配分は固定したものとは考えにくい。年度によって違いが出てくるはず。

(2)時代はどちらも20世紀史といっていい。現代史を主にする、ということは以前の後期試験でも表れていて、これからもそうであろう、と思われます。

(3)論述といえるのは、第1問・問5の400字(20点)、第2問・問1の150字(15点)だけで、後は歴史用語を書かせている(65点)。
 この論述の意外な少なさは、外大のHPに理由が載っていて、
 模擬問題をいろいろ検査した結果、
1.設問が論述形式に偏っていたこと。
2.試験時間(60分)に対して、解答の総字数が過大であったこと。
3.高校世界史教科書の内容にてらして、全般的に難易度が高い設問であったと。
 という適切な指摘がなされ、改善したという。良心的な作問であることが分かるコメントです。
 60分の時間配分の中で、この用語を書かせるだけの設問を減らせば論述を増やすことができるとしても、たぶん、この程度の字数でこれからも行くのではないかと推測されます。
 問題の内容はこのまま授業で使えそうな、問題自体がすぐれた世界史教材になっています。史料(資料)をよく使う姿勢も後期試験と変わりません。

(4)対策としては、センター試験で高得点をとるための対策が先ず必要ですが、ここではそれに言及しません(→こちら)。18世紀末以降の近現代史(産業革命・フランス革命から20世紀末まで)をよく学んでおくこと。とくに民族運動と運動家について学んでおく。そのため私大の過去問で近現代の部分だけできるだけ解くこと。拙著『世界史現代史問題集』(駿台文庫)と『(世界史B)世界史問題集』(山川出版社)をすすめます。問題を解きながら学習するのが効率の良い学び方です。長いつまらない解説(とくにナビ)を読んで学んだ気になるより効果があります。

(5)論述は秋から、外大らしい民族運動・国際関係にかかわる他の大学の問題を解く練習をしておくといい。添削の希望者にはそうした問題を提供します(→添削希望者はこちら)。

(6)論述のための基礎的な知識としては拙著『世界史論述練習帳 new』(パレード)の巻末「基本60字」の近現代の部分をすべてを解いておく。方法編にある現代史の問題を解いて、解き方を学ぶ。近現代史でない部分は流し読みをしておく。

 参考に過去問を以下にあげておきます。良問ぞろいでした。

1979年
 19世紀から20世紀初頭にかけて、インド・中国・日本が欧米諸国の進出にどのように対応し、発展したかを比較して論じなさい。字数は800字以上1,000字以内(句読点も字数に加える)とする。

1980年
 第一次世界大戦と第二次世界大戦について、その原因、性格、結果を比較して論じなさい。字数は800字以上1,000宇以内とする(年号数字および句読点も字数に加える)。

1981年
 次の問題のうち一題を選び、800字以上1000字以内(句読点も字数に加える)で答えなさい。
A.1929年に始まる世界恐慌の性格を簡単に述べ、ヨーロッパ諸国およびアメリカ合衆国の対応について論じなさい。
B.第二次世界大戦後のアジアにおける民族運動・革命運動の意義を史実に即して論じなさい。

1982年
 フランス革命のスローガンはr自由・平等・友愛」であり、これに対し孫文は「民族・民権・民生」の三民主義を掲げて辛亥革命を指導した。両者のスローガンを比較して、このようなスローガンが提起された歴史的背景の違いを論じなさい。字数は800字以上1,000字以内(句読点も字数に加える)とする。

1983年  宗教と社会的変動の関連について論述しなさい。ただし、対象は近・現代に限る。字数は800字以上、1,000字以内(句読点も字数に加える)とする。

1984年
 1922年に出版された『復興亜細亜の諸問題』(大川周明著)という本の中に、次のような記述があります。筆者の主張している「日露戦争の世界史的意義」について、第一次世界大戦以後の歴史的展開をも考慮しながら論評しなさい。字数は800字以上1,000字以内(句読点も字数に加える)とする。
 アジア民族は、第一に自由を得ねばならぬ。自由を得たるアジアは、周匝(しゅうそう)堅固に統一されねばならぬ。いかにして自由を得べきか、いかにして統一を実現すべきか、これ実にアジア当面の関心事である。今日のアジアは、ヨーロッパの臣隷である。奴隷に何の問題があり得るか。奴隷に何の理想があり得るか。奴隷はただ主人の意志に従い、主人の利益のために動かさるる走屍行内に過ぎぬ。ゆえに真の意味におけるアジアの問題は、アジアが自由を得たる時に始まる。アジアはいっさいにさきだちてまず奴隷の境遇を脱却せねばならぬ。
 アジアは初めよりヨーロッパの前にひれ伏していたのでない。彼らのあるものは今日の英独人が山野に狩猟を軍とせる蛮民なりし時代にすでに燦然たる文化を有して いた。彼らのあるものはヨーロッパ人がなお西欧の小天地に跼蹐(きょくせき)せる時代に船を南洋に浮べて諸島の経略に従った。彼らのあるものは朔北(さくほく)の荒野に嵯崛(さくつ)し、人の住むに堪えずと思わしむる窮寒の地に見事なる国家を建設した。その中より出でたる英雄は中亜よりヨーロッパに進み、国を黒海の岸に建て、しばしばダニューブ河を越えて中欧を脅かした。彼らのあるものは迅雷のごとくイタリアに攻入り、神の鞭として西欧民族を戦慄せしめた。彼らはかくのごとき偉大なる対外発展の力を示せるのみならず、内に在りては彼らに独特なる政治組織によってその国を治めた。世界に比類なき大保塁を築き大運河を開鑿(かいさく)した。西洋にさきだちて磁石を用い、印刷術を発明し、火薬銃砲を発明した。彼らは高尚なる文学、深遠なる哲学、高貴なる道徳を有していた。しかして世界の人心を支配するすべての偉大なる宗教はみなアジアの間に生れ出でた。ゆえにアジア人はその歴史に現われたる特質より見るも、あるいは世界文化に貢献せる事実より見るも断じてヨーロッパ人の下に在るものでない。しかも三百年の優勝は白人をして自負衿高(きようこう)ならしめ、三百年の劣敗は黄人をして自棄卑屈に陥らしめた。
 しかるに日露戦争はアジア自覚の警鐘となった。しかして日露戦争における日本の勝利によって世界史の新しき局面が展開されることとなった。われらの勝利は四百年間かって有色人のために破られざりし西欧民族に対する最初の打撃であった。彼らが長き間の勝利の歩みは実にこの時において最初の蹉跌(さてつ)を見たのだ。これと同時にわれらと人種を同じくするアジア諸民族は、俄然として自覚し初めた。ただにアジア民族のみならず、西欧列強の圧迫に苦しめるいっさいの民族の間に彼らに対する反抗のこころが昂(たか)まって来た。極東の一心黄人国が面積において60倍し、人口において3倍し、その勇武をもって世界の恐怖たりし白人強国を敵とし、みごとにこれを打ち破れることは自余のアジア諸国にとりて真に驚嘆に堪えざる不可思議であった。しかもわれらは目のあたり彼らの不可能を可能ならしめた。しかして彼らに鼓吹(こすい)するに、「われらもまた」てふ希望をもってした。この希望は必然隷属民族の間には独立運動として、名義たりも独立を保てる諸国の間には国家改造運動として現われた。ヨーロッパがその奴隷とせる民族の独立を高圧せんとするは何の不思議もない。アジア諸民族の勃興はヨーロッパの最も欲せざるところであった。第20世紀初頭20年の歴史はヨーロッパ列強がアジア復興を欲せざりしことを、アジアにおいて議会制度行われ、責任政府樹立せらるるを欲せざりしことを、明々白々に物語る。見よ、トルコの革命成功し、瀕死の旧国が新たに蘇らんとせし時、彼らはいっさいの手段を講じてその発展を阻碍(そがい)し、伊土戦争・バルカン戦争によってその国力を疲弊させた。ペルシャの立憲政治もまたこの国を両分せんとする英露両国の野心を妨ぐるがゆえに、その議会は非道を極むる外国軍隊の暴力によって転覆された。支那革命が五族統一の国家的理想を象徴せる五色の新国旗を知立てて、これが実現に拮据(きっきよ)せし時も、家蔵に占拠して支那を制せんと欲したる英露両国は、もとよりその成功を喜ばなかった。しかして最も悲しむべく、かっ恥ずべきは、アジア復興の指導者たるべき日本そのものが、英国外交の翻弄するところとなり、その「離間制御 Divide and Rule」の政策を二重に成功せしめ、支那内部に党争の囚を蒔き、同時に日支両国の背離を招くに至れることである。
 かくのごとくにしてアジアの将来はなお暗澹としていた。たとえアジアはその魂の底に自由と統一とを求むる心動き、しかしてこの心を最も適確剴切(がいせつ)に「アジア人のアジア」という一語に表象し、これを掲げて新アジアの理想とせしにもせよ、世界の大勢はこの理想を実現し得る日が、いずれの時に来るかを疑わしめ、ヨーロッパは、依然として世界の独裁者たるべき「神聖なる使命」を確信し、世界制覇の角逐(かくちく)をアジアにおいて続行した。ゆえに国際政局におけるいわゆるアジア問題とは、ヨーロッパ列強がいかにアジアをその利己のまないたに載せ、いかにこれを料理し、いかにこれを分取するかの問題であった。日露戦争の世界史的意義はなおいまだ歴史の進行の上にその全面目を現わさなかった。これを露呈するに至らしめたのは実に世界戦そのものである。

1985年
 次に掲げる資料Aは、1910年6月13日、イギリス下院においてエジプト統治問題が論議された際のA・J・バルフォア議員(1848−1930)の発言の一部で、ここには近・現代のヨーロッパ人の「オリエント」認識のひとつの典型が示されています。また資料Bは、イギリスによるエジプト統治下にあってイスラム世界の改革を訴えたエジプト人思想家ムハンマド・アブドゥフ(1849一1905)が、1884年イギリスの外相と行なった会見記の一部、資料Cはムスタピッドから十数年後に同じくアブドゥフが書いた「公正な専制者が東方を救う」という論説からの抜率で、資料Aに見られるようなヨーロッパ人の「オリエント」認識の特質とこの認識が世界史の展開の中で演じてきた役割について、資料B、Cに示されているイスラム世界の立場を参考にしながら論じなさい。(字数は800字以上1,000字以内とする。ただし。句読点も字数に数え、アラビア数字は1マスに2字とする。)(資料省略──中谷)

● 後期試験の問題を資料省略で、さわりだけ下にあげます。この大学の関心がどこにあるかをうかがうことができます。

1993年
 「国家は、経済的単位としては小さすぎ、文化的単位としては大きすぎる」という評言があります。これについて、あなたはどう考えますか。現在にいたる人類の歴史をふまえながら、あなた自身の考えを述べなさい。(横書き600字以上800字以内)

1994年
 以下に掲げるのは、のちにロシア革命の指導者となるある人物が、1908年に書いた文章です。筆者は「わたしは時間上に広がるわが祖国を愛している」と述べて、20世紀の変革に強い期待を表わしています。  この資料を読んで、(1)筆者は、世界史における20世紀の新しさをどのような現実に求め、今世紀の将来をどう展望していましたか。(2)さらに、民族問題などがあらわとなっている今日の世界を念頭に置くとき、筆者の展望と現実の歴史との間には、どのようなへだたりが生まれたと考えられますか。あわせて、600字から800字で述べなさい(アラビア数字は1マスに2字とします)。

1995年
 次の文を読んで、下の問いに答えなさい。
〔問題文〕
 ナショナリズムは、それが用いられる状況に応じて、国民主義、国家主義、民族主義などと訳し分けられてきたように、もともと多義的なことばである。第二次世界大戦…… 〔問い〕  過去2世紀の世界史におけるナショナリズムの展開を具体的な事例を挙げて説明し、現代のナショナリズムのかかえる問題点を指摘しなさい。答えは、600字から800字でまとめなさい(アラビア数字は1マスに2字とします)。

1996年
 以下に掲げる1から4までの資料を読んだ上で、後の設問に答えなさい。
1.「一 今次ノ戦争〔第一次世界大戦〕ノ結果従…… 〔設問〕  資料1・2・4との関連において、資料3の写真からは、どのようなことが読みとれますか。また、資料4の筆者の見解について、その後の日本と「南洋群島」との関係を念頭におきながら、論評しなさい。字数はあわせて600字以上800字以下とし、句読点も1字に数えます。

1997年
 以下のI〜Vは、19世紀末から20世紀前半にいたる時期に、ベトナムの反植民地主義的な知識人が書いたものです。これらの文章を読んで、設問に答えなさい。

1998年
 19世紀から20世紀には、国民国家の建設の動きが世界的に広がってゆき、現在では世界のほぼ全域が国民国家におおわれています。しかし、世界の各地で誕生した国民国家は、必ずしも民族・言語・文化といった点で共通性をもつ集団のみで構成されてはいなかったために、議論や対立を生んできました。以下の〔A〕に示した1から5の文章は、19世紀の独立から現在にいたるまでのメキシコにおいて、国民国家のあり方をめぐってメキシコの知識人たちが表してきたいくつかの見解です。
 こうした国民国家の建設のモデルとなったのは西ヨーロッパの諸国でしたが、19世紀の西ヨーロッパでは、多くの人々が国民国家のもたらす恩恵について論じています。以下の〔B〕には、その代表的な一例として、イギリスの思想家ジョン・スチュアート・ミルによる著作の一節が示してあります。
 以上の点を念頭において、〔A〕、〔B〕の各文を読み、設問に答えなさい。…… 〔設問〕 〔A〕の1から5までの文章からは、メキシコにおける国民国家についての考え方の変化が読み取れます。19世紀初頭から今日にいたる世界史の流れと関連づけながら、その変化を論じなさい。また、〔A〕のメキシコの事例に即して見たとき、〔B〕の文章のような見解について、あなたはどのように考えるかも合わせて述べなさい。字数は、600字以上800字以下とし、句読点も1字と数えます。(横書き。算用数字は、1マス2文字)

1999年  民族自決の理念は、19世紀のヨーロッパで国民国家の形成を促しました。第一次世界大戦中にアメリカ合衆国大統領ウィルソンが発表した十四カ条では、ヨーロッパ諸国の民族自決が提唱され、さらに第二次世界大戦後は、植民地からの独立と民族自決を求める運動が、アジア・アフリカ諸国に急速に拡大しました。  しかしながら、こうした民族自決という理念にもとづいた国民国家の形成過程は、実際にはそれぞれの民族や国家が置かれた歴史的状況に左右され、さまざまな矛盾や問題を生み出しています。そして、今日にいたるまで、それらを解決するための途が模索されています。  以下の1〜3の文章は、そうした過程で示された見解です。 1は孫文の『三民主義』……

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