僕らの今を考える
先住民の知恵というのは、自然を最大限利用しながら、それを壊さない術をもっていることですね。
関野 彼らの世界観とか、自然観とか、価値観というのは僕らのそれとは全然違ったものです。僕らの世界というのは、長生きしたいとか、快適に生きたい、物を豊富に持ちたい、そういう価値観で動いてきたんですが、そういう価値観を続けていけば、おそらく21世紀の途中で人類は滅びざるを得ないでしょう。そこで、彼ら先住民の生き方、考え力、発想を学び、21世紀はどうしたらよいか、考える必要があると思います。
間に合いますか。
関野 そう思いたいですが、長生きしたいとか、快適に生きたい、物は豊富に、という経済至上主義、生産主導主義の社会では難しい。
だからといって「将来の資源のことを考えよう」とか、「電気の消費量を1/3に」とか、「化学肥料もあまり使わないようにしよう」などと、政党や政治家がスローガンを掲げても、先進国では誰も投票する人はいないと思います。そういった生活に慣れてしまっているからです。それに、先進国の今日の物質的豊かさが、そういった先住民はじめ、発展途上国の犠牲の上に築かれたものだということに気づいてもいないからです。地球上の人間がすべて、我々と同じように電気を使っていれば、とうに資源がなくなっていると思います。
近代的な経済発展は、植民地や奴隷とかいうように、弱い民族を踏み台にして、はじめて可能だったということですね。
関野 完全にそうだと思います。例えば、金を貸してあげると見返りを要求する。また、日本や先進国では、排気ガスや汚染物質の取締りが厳しいので、工場は規制の弱い海外に建設する。経済援助とセットで押し進めてしまうので、開発途上にある国などは受け入れざるを得ない。森林伐採はどんどん進められ、最も被害を受けるのが先住民なんです。
アマゾンでも顕著ですか。
関野 一番ひどいのは牧場です。牧場を持つというのは金持ちのステータスでもあるから、どんどん牧場を広げたがるんです。ウランが出たり、ダイヤモンドが出たりするところでも、先住民としょっちゅう衝突が起こっています。3年前にヤノマミ族が虐殺されましたが、これからもこうした事件は続くと思います。それをくい止めるとしたら、国際世論しかない。
先住民の生活が脅かされ、周囲の自然が破壊されていくのを直接ご覧になっていてどういう感想をお持ちですか。
関野 彼らと一緒に武器をとって戦うことはできない(笑)ので、文章と写真で、こんなに楽しい生活を彼らはしているんだということを日本をはじめ、先進国の人たちに伝えていきたいと思っています。
毎日、祭りをやり、自然を利用して、なおかつ、物を壊さない生活をしているのは、先住民たちしか、もうこの地球にはいないんですから。この人たちに、今、伐採が迫っている。危険な状態にあるんだってことを皆に知らせ、できたら同じ考えの人たちと共同戦線を張って守りたい。そうすれば、地球上にまだちょっとは可能性が見えてくるかもしれません。
(地球人通信1996.10)
グレートジャーニー
人類は、約400万年前、アフリカで誕生したといわれている。そして、人々はユーラシア大陸を横断、べ一リング海峡を渡り、アメリカ大陸を南下、南米最南端のナバリーノ島にまでたどり着いた。その距離およそ5万キロ。イギリスの考古学者、フライアン・M・フエイガンはこの人類の大遠征を「グレートジャー二一」と呼んだ。関野氏は、この人類のルーツを、自分の腕力と脚力、自分で操ることが可能な物の力だけで、逆にたどる現代版「グレートジャー二ー」を計画、1993年12月5日ナバリ一ノ島からカヤックでビーグル水道に漕ぎ出し、スタートは切られた。
期間はおよそ7年。2001年1月1日、東アフリカ到着の予定となっているが、これはあくまでも計画で、関野氏自身、期間にはあまりこだわってはいないと言っている。
「グレートジャー二一」応援団長の恵谷治氏が言う。関野氏のこの「グレートジャーニ一」の真の意図は、「われわれはどこから来たのか。われわれは何物なのか。そして、われわれはどこへ行くのか」というゴーギャンの絵のテーマ、その人類普遍の問いの答えを探し出すことにあるのだ(「サピオ」1996.1.24)」と。

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