食べ物にいのちを見る

 癒しという言葉がよく使われるようになった。心が癒される、魂が癒されるといった言葉で使われているが、初女さんはさまざまな体験を通して、存在そのものが癒しのような人間になっていったといってもいいかもしれない。ただ座ってニコニコしているだけで、この人からは癒しの氣が伝わってくるのである。青森という東京から見れば最果ての地とも思える場所でただ自分の心の赴くままに静かに暮らしているにもかかわらず、彼女のエネルギーによって日本中でどれだけの人が癒されたか。

 初女さんがこの映画に出るきっかけとなったエピソードがある。自殺をしようと思い込んでいた青年が、初女さんの作ったおにぎりを食べて自殺を思い止まったのである。初女さんは黙っておにぎりを差し出しただけのことだった。

 それだけのことで、青年の人生が大きな転換をしたという話を信じることができるだろうか。この青年だけではない。たくさんの心を病んだ人たちがぼろぼろになってイスキアにたどり着き、初女さんの手料理をごちそうになって元気になっていたのである。

 私は、「森のイスキア」で夕食と朝食をごちそうになった。漬物も焼き魚もみそ汁もとてもおいしかった。しかし何ら特別のものが出たわけではない。メニューだけ見れば、よくあるようなものばかりである。

 普通のものをみんなでわいわい言いながら食べているだけである。食事中に何か特別な演出や儀式があるわけでもない(このときはたまたま落雷があって停電するというアクシデントがあった)。どこにでもある食事の光景なのである。

 しかし、何かが違う。何かとしか言いようのない、ほんとうに微妙な違いが、そこには存在していたのである。

 初女さんが大阪で料理教室を開いたとき、いつしか参加者が泣き出したことがあった。見た目は普通の教室である。しかし、そこも何かが違った。多くの人がその何かを感性でとらえられるようになっているのてある。

  だから.何も言わなくても、自殺願望の人が希望を持つようになり、知らず知らずのうちに涙が流れ出てくるのだ。「人って不思議ですね。食事をするたびに変わってきます。笑いを忘れた人に笑顔が出てきたり、難しい表情の人がにこやかになったり、何がそうさせるのかわかりませんが、ここだとおいしい物を食べていれば、自然に変わってきます。多分、自然の素材で作った食べ物のいのちをいただくことによって、細胞が躍動し始めるんでしょう。雪が溶けて、黒土をもたげるように顔を出すふきのとうをそっと採って来てね、それを料理して食べますでしょ。ああ、春だなって体の奥から、嬉しさを感じますね。そんな思いが、病んだ体や心を癒すんだと思います」

  難しいことなど何も考えることはないんだよと、初女さんは教えてくれているような気がする。人間は自然の一部なのだから、自然が生きているように私たちも生きていけばいいんだ、自然から生き方を学べばいいんだ、簡単なことなんだよと、初女さんは言葉を使わず私たちに伝えてくれているのである。

 映画でも、ダライ・ラマやジャック・マイヨール、フランク・ドレイクというそうそうたるメンバーに混じりながら、彼女はもっとも光っていた。彼女は問違いなく21世紀へ向かう私たち人類への大切なメッセンジャーの一人である。

(地球人通信1997.4)


最新ニュース(2003.12)

2003年9月小原田泰久さん著『佐藤初女さん、こころのメッセージ』(経済界/1600円+税)が刊行されました。


「人って、こんなにもやさしくなれるんだ。支え合うことで、これほどまでに勇気と希望をもてるんだ。80歳をこえた一人の゛おばあちゃん゛の生きる姿が、私たちに明るい未来を見せてくれています」(はじめにより)