無肥料、無農薬で育てたリンゴの木

 木村秋則さんは、青森県でリンゴを無肥料、無農薬の自然農法で栽培している。どん底の生活を体験しながらも、「自然」にこだわって生きてきた木村さんに、生きざまについてお話をうかがった。
(聞き手:小原田泰久)



木村秋則さん(リンゴ農園経営)を訪ねて



 まったくの無農薬でリンゴを作っておられるそうですが、「リンゴは農薬で作れ」と言われているくらい無農薬栽培の難しい果物だと聞いています。大変なご苦労があったと思いますが。

木村  世間からは、あいつはおかしくなったと言われたこともありました。でも、今考えるとなぜだったのかわかりませんが、どうしても農薬を使いたくありませんでした。

 無農薬を目指すきっかけになったのは、農薬を散布した後、肌がただれたり、目元がはれたりしたことでした。私だけならいいんですが、家族まで被害があるわけです。これはやめなければと思って、少しずつ散布の回数を減らしていきました。

 通常なら年13回散布するのを6回、5回、3回と減らしていきました。農薬を使っているうちは、まずまずの収穫がありましたが、無農薬にした途端、まったく収穫がなくなりました。

  夜、畑へ行くと、害虫が葉をカサカサと食べる音が聞こえました。畑は害虫の天国でした。そんな私に、「家事を大切にしろ」とか「無農薬などあきらめろ」と忠告してくれた人もいましたが、必ずうまくいくという気持ちがあって、忠告を無視してきました。そうしたら、「あいつはバカだから口をきくな」ということになりましてね。子どもからも、「よその畑にはリンゴがなっているのに、どうしてうちにはならないの」って言われたりもして、辛い思いもしましたね。


8年間、まったく収入がないままだったそうですが、9年目に収穫があったとき、本当に嬉しかったでしょうね。


木村 妻と一緒に手で虫取りをしてきました。経済的にもゆきづまって、パチンコ屋の店員やキャバレーの呼び込みをしたこともありました。でも、妻が私のやろうとしていることを理解してくれて応援してくれましたから、ここまでできたんだと思います。

 
 9年目ですね、それまでは花も咲かなかったわけですが、ついに花が咲いたんです。隣の畑の人が、「木村、花が咲いたぞ」って教えてくれました。妻と、おそるおそる畑に行きましたら、確かに白い花が咲いていました。


 涙がボロボロ流れました。そしてリンゴの木1本、1本に、「ありがとう、ありがとう、苦境に耐え忍んでくれて、本当にありがとう」と、声をかけずにいられませんでした。それ以後リンゴは、ほぼ順調になってくれています。


今の農業に対して考えられていることは何ですか。


木村 農作物を単なる飯の種としてではなく、こころあるものいのちあるものとして扱っていただきたいということです。人間が自分たちで作れるものは何ひとつないことを認識する必要があると思います。リンゴはリンゴの木が作るものです。私たちは、その結果をいただくに過ぎません。いただくことに感謝して、育てさせていただくわけです。


 農作物にこころで接し、量や外観よりも、質の濃いものの生産に務める。自然に合った農業をする。土の力はものすごいものです。微生物の力にも頭が下がります。土や微生物の力を充分に発揮させてあげれば、農薬や化学肥料は必要のないものです。


 私に農法もまだまだ確立されたものではありません。まだまだ研究課題は残されていますが、必ず解決できるものだと信じています。

(地球人通信1996.10)