ワールドピースプレイヤ-デー2004に向けて 富士によせるネイティブ・スピリット   

北山耕平さん(作家)×
秋鹿博さん
(富士宮市観光協会会長)

  6月19〜21日に富士山で開催される"世界平和と祈りの日ワールドピースプレイヤ-デー"。「この集いは祈りだと思っています。自分たちが失ったものは何かを考えたり、個人としてできることは何かをみつめるきっかけになればと思います」と事務局長の海老原美恵さんはあいさつした。

 開催にあたっては、入場料を徴収しないため、寄付を募ったり、サポーター制度を導入して運営資金を賄うことになっている。ネイティブアメリカンの通訳を数多く担当し、翻訳家でもある本出みささんは
「ぜひ多くの人の協力を」と呼びかけた。

 この日、日本で初めてワールドピースプレイヤ-デーについて紹介した作家の北山耕平さん、開催地となる富士宮市観光協会会長の秋鹿博さんは、集いへの思いやネイティブアメリカンから学ぶことをそれぞれの立場で話をした。

 北山耕平さんは、70年代後半のアメリカ西海岸で「ニューエイジの勃興」に立ち会い、ネイティブ・アメリカンの精神を伝えながら、日本列島のネイティブスピリットについて探求する。
「このイベントが日本列島に住む私たちの足もとを見つめ直し、失ったものを取り戻すためのきっかけになればいいと思います。直接自然に触ってその声を聴き取れる人たちがたくさん生まれることを願っています」と抱負を語った。
 


2004年1月31日(土) 17〜19時 場所オーガニックライフ & カフェ アリエルダイナー 
主催:WPPD(ワールドピースプレイヤ-デー)


WPPD((ワールドピースプレイヤ-デー/世界平和と祈りの日)2004 JAPAN
地球規模、かつ大地に根ざした視点から、子ども達とその後に続く世代のために夏至の日に行われる祈りの集い。平和という夢が、この地球上で現実のものとなることを願い、ひとりでも多くの人と一緒に、6月 21日を日本の聖地富士山で迎えることができるようにと呼びかけている。提唱者ネイティブ・アメリカン、ラコタ族のチーフ・ア−ボル・ルッキングホース氏は、世界中の精神的指導者に向けて、地球を敬い、すべての生命と調和して生きる「大地との共生の哲学」のメッセージを伝え、平和と癒しのための祈りへの参加を呼びかけている。この集いは1996年北米大陸で始まり、2001年アイルランド、2002年南アフリカ、2003年オーストラリア、そして今年2004年は日本の富士山を会場にして開催。6月19〜 21日の3日間、国際先住民シンポジウム、音楽や踊りの祭典、馬の行進、エコフェアなどが催され、21日の夏至の日に参加者全員で祈りをおくる。

北山耕平さんプロフィール
作家。先住民文化(ストーリーテ−リング)研究家。1949年神奈川県生まれ。「宝島」編集長、雑誌「ポパイ」の創刊に参加後、渡米。70 年代後半の西海岸で「ニューエイジの勃興」に立ち会う。メディスンマンとの出会いをきっかけに、帰国後はネイティブ・アメリカンの精神や知恵を伝えるための物語や童話の発掘を精力的に行なっている。同時に日本列島のネイティブスピリットの根っ子を発り掘すワークを開始。著書に『ネイテイブ・マインド』『ネイテイブ・タイム』(地湧社)、『自然のレッスン』(太田出版)など、翻訳書に『ローリング・サンダー』(平河出版社)、『インディアン魂』(河出書房新社)、『虹の戦士』(太田出版)など多数。


北山耕平さんの話

敷かれたじゅうたんを巻き上げる

 私は70年代の終わりにアメリカの先住民と言われる人たちの世界に会って、80年代のなかばくらいまでアメリカ大陸を歩きまわっていました。さまざまな聖地と言われるところを訪れ、いろいろな部族の人たちに会って、いろいろな体験をして、日本に帰ってまず最初に住んだところが富士吉田というところ。富士山の北側にあたります。ここに4年ほど住みました。もともと生まれは神奈川県で富士山が見えるところにずっといたのですが、富士山をそばで見たいという気持ちが大きくてなって富士吉田に住み、富士山を勉強することを始めました。

 おもしろいことに気づいたのはそれからしばらくしてからのことです。みなさん富士山というのは日本にある山だと思っていますけれど、富士山があるところに日本ができたのであって、日本がなかったときから富士山は存在する。日本の歴史の中で富士山が出てくるのは奈良・平安時代の最初の頃。それ以前に出てくることはほとんどありません。たぶん、日本という国の成り立ち方と密接に関係しているのでしょうけど、富士山があるところはある時期まで日本ではなかった。

 アメリカインディアンのところに行って驚いた考え方なんですが、国家というのは一枚のじゅうたんに似ている。アメリカ大陸の上に、アメリカという名前のじゅうたんをどんどん敷き広げていって、自分たちの邪魔になるものは箒ではいってしまって、アメリカ大陸ができあがった、と。

 日本も同じように、日本列島という自然の上に日本というじゅうたんが敷かれていって、その隅っこ、例えばアイヌの人たちや沖縄の人たちをじゅうたんの上に乗せるか、あるいは下に押し込んでしまうか、そういう形で日本列島の上にじゅうたんを敷きつめた。じゅうたんが敷かれたときに人間は大地とのつながりを切られてしまう。

 アメリカインディアンの世界では、20世紀になる直前に、
ゴーストダムスという運動が起こります。みんなが手を取り合って祈って踊りを踊ると、アメリカという名の敷かれたじゅうたんがくるくると巻かれて、その下から手付かずの自然が生まれてくる、もう一度帰ってくる。殺されてしまったバッファロー、何千万、何百万の虐殺されたインディアンの人たちがそこには生きている、そういった信仰が19世紀の終わり頃にアメリカインディアンの人たちの間を駆け巡ります。

 スー族の老人、女性と子どもを含めて数百人がカスター将軍によって殺されるという大事件ウンデットニーの大虐殺によって、この運動自体は熱を冷ましてしまう。あのときすべてが終わってしまったわけではないんです。70年代以降、ネイテイブアメリカンの中で、地球の上に敷かれたじゅうたんを巻き上げる運動のようなものが起こります。もう一度まっさらな地球を取り戻すための方法として、祈りとか歌とか踊りをみんなですることによって、新しい自然を取り戻そうじゃないかと。たぶんルッキングホース(※ラコタ族の精神的指導者でワールドピースプレイヤ-デーの提唱者)のこの運動もその流れを汲むものだと思います。

富士山は聖なる山か

 富士山は日本の聖なる山だと口ではみなさん言うのですが、実際に山に登ったり、周りを歩いたりしたことがある人は、その山がこの国の聖地として扱われていることに関して大変疑問を持ちます。日本人にとって富士山が聖なるシンボルだとしたら、そこに向かって朝晩大砲を打ち込んでいる
(自衛隊の演習場)国っていうのはいったいどういうことなんだろう、ということが僕の疑問としてずっと残っています。

 先ほど言ったように、もともと富士山は日本になかった。富士山があるところに日本がやって来て、ここは日本だ、と言い始めたのに過ぎないのであって、富士山はたぶん日本人にとっての聖なる山ではなかった。それを聖なる山だと認識していた人たちは、日本人になるのと引き換えに何か大切なものを失った。それはアメリカインディアンの人たちが立派なアメリカ人になるために、心の中にある大切なものを失っていくように、よい日本人であるために失ってしまったものがあまりにもいっぱいある。

 アメリカインディアンのところに行きますと、確かに僕たちとよく似ています。ここにいる多くの人たちは、そういうグループに入っていっても、しばらくすればネイティブの人たちとほとんど見分けがつかなくなる。3ヶ月もいて街に出ると、インディアンの人に間違えられて差別されるということを体験するだろう。そのくらいよく似ていて同じような考え方を心の底にもっていながら、聖なるもの、というものをいっさい失ってしまった日本の人たちというのはいったい何なのか。たぶん今、僕たちが抱えている問題のすべてがそこに還っていく。

 よくアメリカインディアンの人たちが言うのですが、本当に聖なるもの、というものを失うと最終的に何が起こるか・・・というと、子どもたちが体を売り始める。これは、自分の体が神聖なものだという認識がなくなったときから、それをお金に引き換えてしまう。アメリカインディアンの予言の一番最後・・・。それは「大人たちが愚かな振る舞いを始めて、子どもたちが自分の体を売り始める」。それはたぶん聖なるものという考え方がいっさいなくなってしまった時に起こる。

 インディアンの人たちが僕に言ったのは、日本人というのは商売がうまいインディアンだなって。僕たちはお金、ということにものすごく価値を見ていますけれども、すべてのものに値段がついてしまうことによって、いっさいの聖なるものがなくなります。これは恐ろしい現実。そのことによって失うことはとてつもなく大きい。


 たぶん、人は生まれて来たときに、土地のスピリットとつながって生まれて来ます。それがある時期、いろいろな理由でそのつながりを断ち切られます。それは教育であったり、親がそうしていたから、という理由だったり、いろいろな形で自分と大地とのつながりを切ってしまう。一度切れてしまうと、それをつなぐことは容易なことではありません。我々は意識的にそれをつなぎ直す必要がある。よい日本人であることの前に、よい日本列島の人であってほしいと僕は思います。

 その土地に生まれてその土地を本当に大切にする人たちが出てくる。まずこのことが富士山が聖なる山として復活する大きなきっかけになる。でも富士山の上にかぶさっているじゅうたんとつながってしまったら結局は同じことが起こります。僕たちは、富士山に乗っているじゅうたんの下にあるものをちゃんと見る目を養わないといけない。

聖なるものを取り戻す

 富士山は実際、こんなに美しい山はない、というくらいに美しい山です。遠くから見る分にはきれいな山、ということに異論はない。アメリカインディアンの人たちが神聖な山と感じるのも当然だと思います。ただ、我々が神聖なもの、として扱っているかどうかというのは、大きな疑問だと思います。もちろん、世界遺産に登録されなかった理由もいろいろあるのでしょうけれども、僕たちは富士山を日本のシンボルとしてとらえる前に、我々が失ってしまった神聖なものをもう一度取り戻すための糸口とする必要がある。きちんと富士山に触って、富士山の話す声を聴いて。そこで何を語るのか、ということはそれぞれの人によって違うのでしょうけれども、今回のイベントはこのためのきっかけになればいい、と僕は思っています。これがないとこの国はゴミの中に沈んでいきます。

 自分たちの聖なるものを取り戻す作業というものは至難の業じゃないかと思います。じゅうたんをまくりあげてその下にあるものをちゃんと見る。じゅうたんの上に乗っているものは非常にもろいものです。もろいものだけれども、この国を2000年も支配してきたあらゆる価値観が乗っかっています。じゅうたんの下にあるもの、ある人はそれを縄文だと言うかもしれないし、いろいろな言い方をするかもしれませんが、日本というものをつきぬけてその下にあるものとつなぐための媒体としての富士山というものを認識する必要がある。

 富士山に宝永火口という噴火口が富士側にあります。僕はそこが好きでよく行くんですが、好きな理由を考えてみると、そこは唯一役の行者の伝説がない。空海も来たことがない。それは当然で江戸時代になって噴火したところですからそういう人たちが来たこともないし、そこに巨大な神社やお寺が建っているわけでもない。行ったことのある人は知っていると思うんですが、知らない人は一度行かれてみるといいと思うんですが、宝永火口は地球の力というものを改めて教えてくれる清い場所です。富士山の中にはそういう場所がたくさんあります。

 自分のスピリットと富士山をつなぐという作業をこれから6月に向けてやりながら、それが終わりではなく、この国日本というものの下にある大きな流れみたいなものを感じてほしい。僕たちがアメリカインディアンとよく似ている、と言われるある部分、それを1000年とか1500年かけて全部失ってしまった。値段がついていないものはない、という国家を作り上げたわけですが、そのことによって失ったものを取り戻すための最初のきっかけにこのイベントがなればいいな、と僕は思っています。

日本人から地球人へ

 たぶん、富士山とネイティブスピリットと言うと、ある種とても危険な匂いを感じる人たちがいる。戦争のときの記憶をまだ持っている人たちで、日本というものと自分をつなげることによってそれを美化する、というように持っていってしまうのではないかと恐怖を持つ人もたぶんおられると思います。これから本当にやらなくてはいけないのは、じゅうたんで根っこを止めるのではなく、じゅうたんの下にあるものに触れること。よくスー族の人たちは、「おまえは誰か」と聞かれて、「自分は地球で生まれたただの人である」と答えるのが一番好きだと言います。日本人は、「あなたは誰か」と聞かれて「日本人だ」、と言いますけれど、日本人である、ということがいったいどういうことなのか、ということをそれぞれの人たちが考えなければいけない時代が来ると思います。

 僕は日本人はもともといなかった、という考え方を持っています。それはアメリカインディアンの人たちが、アメリカインディアンと言われるものがもともといなかったように。30とか40の部族の人たちが日本列島の中にいた。そこを日本としよう、とする人たちがやって来て、日本という1枚のじゅうたんを敷いて自分たちに目障りなものは全部なくしてじゅうたんの下に押し込める、という作業を2000年くらいかけてやった。我々はもう一度じゅうたんがくるくると巻き上げられてその下から・・・盆栽のように飾られたものではなくて・・・、まっすぐに伸びた木、巨木がいっぱいあり、きれいな山があり、動物がたくさんいて、なおかつ人がそこにいた、という世界をもう一度想像力の中でいいから夢に見る必要がある。

 夢に見ることができれば、今本当に取り除かなくてはいけないものが何かというのがそこから出てくるだろう。今度ラコタ族のルッキングホースさんたちが来て富士山で祈る。いったいここで彼らは何を祈ろうとしてるのか。日本に対して祈るのではなくて、日本の下にある地球。マザーアースのシンボルとしての富士山。これらに向かって彼らは祈りをあげようとしているということを僕たちは誤解しないようにしたいなと思います。

 たぶん日本人から地球人に僕たちはシストしなければいけない時代に生きていて、シストできるかもしれない、というところまでは来ているんですけれども、日本人という枠組みがあまりにも強固で不動と思えるためになかなかできないでいる。そこに風穴をあけるきっかけは今度のイベントにもあるし、富士山というもの自体がそれをもっている。だからしっかりと富士山の声に耳を傾けられるような態勢をそれぞれの人がこれから作っていってほしいし、"日本"のネイティブではなく、"日本列島"のネイティブであってほしい。

 日本列島に生まれた、ということはこういうことなんだ、ということを世界に向かって言えるような若い世代が次に育ってくることを夢にみています。それが可能であるかどうかは、こうしたアメリカンインディアンの考え方がきちんと広まってくること、その間に日本がさまざまな宗教の影響を受けて失っていってしまったことを自分の中でもう一度再整理し、直接自然に触ってそこから声を聴き取れる人たちがたくさん生まれることを願っています。


秋鹿博さんの話

富士山を仰ぐ町

 私は富士山の麓に現在住んでおりますから、原住民の秋下です。今日は
富士宮市観光協会の会長ということで来ました。富士山の話をしてもいいよ、ということですから喜んで参加しました。みなさんよろしくお願いします。今、一緒に歌った童謡は、富士山の歌です。富士山を見て先人が作った歌ということです。歌ったり聞いたりしますとさわやかな気持ちになりますね。

 富士山は何百回も噴火しているんですが、大きく分けますと3回ということになります。現在のような富士山ができあがるのは20〜50万年前。小御岳という山ができたんです。山梨県側です。小御岳の上に、小渕というのがだいたい10万年前にでき、新富士が1万年前くらいにできたと言われています。だから私は富士山は三世代だ、と思っているんです。みなさんのお宅の中でおじいちゃんやおばあちゃんを大切にして、おじいちゃんやおばあちゃんの教えを受けている家庭は円満ですよね。大事にしない家はいつかはほろんでいくんじゃないかと思うんです。


 
私が観光協会の会長をやらせていただく前には、富士宮市は「富士山のある町」と、キャッチフレーズをつけていました。私が会長になってから観光協会のキャッチフレーズを変えました。どう変えたかと言うと「富士山を仰ぐ町」としたんです。富士山は山梨県と静岡県の中間にあるんです。静岡県のうち約半分が私たちの町富士宮市が占めているんです。海抜37mから3776mということで日本一高低さの大きい町。富士宮市は富士山のある町というのは間違いないですが、それは富士吉田市、河口湖町、上九一色村、御殿場市、御山町、裾野市、富士市も入りますね。なぜ「仰ぐ町」という表現にしたかというと、富士山を大切にするという気持ち、畏敬の念です。

 今回の6月にこうした催しが行なわれることもこのことに関係がないわけではない、と思っているんです。私たちの先祖の人たちは中国から来た神仙思想というのがあります。よく、孫悟空やアニメなどで白い髭を生やした仙人が出てきて雲に乗って高い山に行くでしょう。高い山に神様や仙人がいると。富士山は一番高い山ですから一番偉い神様がいると思ったのかもわかりませんね。昔から伝えられているいろいろなことがありますね。一番大切なことは、それが事実だったかどうかということも大事ですけれども、私たちの祖先の人たちがどのように考えていたか、ということが重要だと思うんですよね。神仙思想の中にかぐや姫や羽衣伝説がありますね。最後はみんな富士山に登っていくんですよ。ですから昔から富士山は神のように考えていたということがわかりますね。

 先ほど北山先生からお話がありましたように、いつの頃から富士山を大切にしなくなったのかなぁと考えますと、私たち地元の人間として責任があるんですけれど、私がやっている観光ということにも関係があるんです。観光という言葉は中国の古い文献に出てくるんです。光を見る。よそから来た人がいたら、自分の国、自分の地域の自慢にできる文化を見せてあげることです。明治に日本に伝わって来ますと、物見遊山に熱海、伊東に行ってお風呂に入って芸者さんを呼んでわいわい騒ぐ、みたいなことが観光、というようになってきてしまったんです。本当の観光の意味はそうじゃないよ。もう一度観光の意味を考えることが大事です。国際化時代だと言われますが、海外に出るばかりではなく、自分たちの足元、自分たちの文化を見て掘り起こしていくこと、外の人に伝えられること、こうしてはじめて国際化時代だと思うんです。富士山というものをもう一度見直す。物見遊山的な登山というものが、富士山をあんなに汚してきたということが言えると思います。

浅間神社と村山浅間神社

 富士山に登るようになったのはいつ頃かと言いますと、文献によると平安時代、鎌倉時代、修行のために登ったんです。山伏の格好で白装束に身を固めて、富士山に登ることによって心と身体を鍛える、仏教の霊場だったんです。富士山の頂上には大日如来とか薬師如来という仏像が安置されているんです。富士山の中腹に山宮というところがありますが、そこは原始的な仏教、修行の場所だったんです。昔は神社の中にお寺があったり、お寺の中に神社があったりしましてね、仏様と神様は仲良しだったんです。神仏混合という思想を長くもっていたわけです。山宮にぜひ来てください。まず社がないですよ。富士山の遥拝所。富士山を拝む、というところが山宮の浅間(せんげん)神社なんです。もう1つ村山浅間神社というのがありまして、富士山の真南に位置しています。ここが、仏教の中心であって、そこから登っていたんです。

 明治政府が新しい国作りをしたときに富国強兵という大きなスローガンを掲げて国家作りをしたんです。そのとき廃仏毀釈(※明治初年の神仏分離令によって起こった仏教排斥運動で、このとき多くの寺や仏像が壊された)という考え方がでてきます。富士山の頂上にあった仏像を全部捨てたんです。村山の登山道の方へ行きますと、ときどきそういう仏さんのかけらに会います。山宮の浅間神社は地元の人たちが富士山を崇めたんですね。富士山が噴火して地元の人を脅かしていたから。富士山が怒っているぞと、食べ物を供えたりして富士山の怒りを鎮めようとしたのが、古い方の浅間神社の思想ですね。

 1200年くらいい前に奈良から京都に都が移りましたね。しばらくしてから坂上田村麻呂という人が大和朝廷から命令されて富士山麓に来まして山宮の浅間様を現在の富士宮の市街地に移したんです。それからあと3年で1200年になります。その浅間様がどういうものかというと、大和朝廷の権力によってこの辺り一体を支配下においたよ、という意味なんです。富士宮市という町はその浅間大社を中心に門前町として栄えてきたところなんです。伊豆、駿河、遠江の3つの国を集めて今の静岡県になりました。明治の廃藩置県ですね。その藩に1つずつ大きな社があったんです。例えば伊豆の国には三島大社、これが一宮と言います。駿河の国の一宮は富士宮の浅間大社ですね。大宮町というのはどこにでもある。富士宮の場合は富士山の麓の大宮町ですから「富士の大宮」と言っていたんです。たとえば郡上八幡という町がありますね、近江八幡、八幡町というのはどこでもありますよね。ですから頭に地名をつけないとこんがらがっちゃう。富士宮市は昭和17年に富士宮市になりましたけれど、読み方は「ふじみや」じゃないんです。「の」、が入っているんです。富士のお宮ということで「ふじのみや」と名づけたんですね。

 昨年の10月に今回の催しの相談があって、私はがんばってみようと思ったわけです。なぜかといいますと今本当に日本人の心がすさんでいますね。もう一度自分たちの国の、あるいは民族の、祖先の、真心というものを取り戻す必要がある。そして地球環境がおかしくなってしまいましたね。毎日いただいているものについても、狂牛病の問題とか鳥の問題を考えますと、私たちの日本人の生活を見直す必要がある。この6月にお集まりになる各地区の先住民のみなさんの考え方、つまり自然の摂理に従って生きていくという考え方の中にその答えがあるんじゃないか。私が子どもの頃、よく川におしっこしたりすると、おまえおちんこ曲がちゃうぞ、とよく言われたものです。夜遅くまで遊んでいると○○に連れていかれるぞ、と言われたんです。これはひとつの戒めだと思いますけれど、自然を大切にする、ということを昔の人は大切にしたんです。今回の催しは私たち日本人が自然の恵みに感謝する心を取り戻すという意味で、大きな意味があるのではないかと思っています。

(休憩入る)



北山耕平さんの話


日本人のルーツ

 南北アメリカは広いために新旧のモンゴロイドはほとんど混血していません。南の方へ行けば行くほど古モンゴロイドになります。南アメリカから中米、北米とあるんですが、古モンゴロイドの北限がホピと言われる人たち。アメリカのアリゾナ州から北の人たちは新モンゴロイドと言われる人たちが多くなってきます。南北アメリカにおいて新旧のモンゴロイドは住み分けています。日本列島においては新旧のモンゴロイドは混血しています。それは日本列島がこれ以上先に行けなかったから。

 先ほども言ったように、僕は日本人というのはもともといなかったという考え方をもっています。それはアメリカ人がいなかったと同じように、日本人というのもいなかった。アメリカ大陸には最初から人はいなくて最初にやって来たのは今のアメリカインディアンで、その次に白人がやって来た。日本の場合は広さでいうとカリフォルニア州とほぼ同じくらいですから、カリフォルニア州がそうだったように30〜40くらいの部族に分かれています。千数百年くらい前にお米と一緒にお米のプランテーションをつくる人たちが入って来ます。その人たちがここは日本だと言い始めます。ここが日本であり、日本人であるためには日本を受け入れなくてはいけないという形で最初の日本人を名乗り始める。その人たちが日本というものを作ったんですけれども、それ以前にいた人はどうなったかというのはいろいろな説がある。日本人のルーツは何かというとそれ以前にいた人たちと以後の人たちの混血です。多くは旧と新のモンゴロイドの混血です。

 混血というのはおそろしい速さで進みます。いい悪いじゃなく。最初は1/2、1/4、1/8、1/16、1/32、1/64・・・。アメリカでは1/8までをアメリカインディアンとする、という法律みたいなものが施行されていました。1/16になるとアメリカインディアンではない。国が保護政策でインディアンの人に対して、仕事を与える、食糧を援助する。無制限に広がっていってしまうとキリがなくなる。一説には2004年と言いますから今年から来年にかけて、すべてのアメリカ人のなかにアメリカインディアンの血が入ると言われています。1/64インディアンだという人たちは、ものすごい数です。しかし1/64インディアンであることを自覚している人は少ないです。それはなぜかというと、アメリカインディアンは差別の対象だった。忌まわしい血が入っている、と差別される。だから自分のルーツを言わない、ということが長い年月続いていました。

明治時代に敷かれたじゅうたん

 コロンブスが来て500年。アメリカインディアンの人たちは500年なんてつい昨日のことだという歴史観を持っています。それくらいのサイクルでものごとを考えます。日本の歴史は1200年か1300年くらいでしょ。700年くらいに日本と名乗り始めますからそれ以前に日本は存在しませんでした。倭人と言われる人たちが朝鮮半島の南から九州の上の方にかけて海洋国家を築いたでしょ。あるときから日本を名乗り始めます。日本というシステムを受け入れるか受け入れないかという形で日本というものを押し広めていく。


 日本列島の上に日本というじゅうたんが敷きつめられたのは明治時代になって北海道に屯田兵が入り、開拓者が入るという形でアイヌの人たちから北海道のポジションを取り上げてしまった。それで日本というものが片方で完成した。完成するまでに1000年近くかかっている国です。そこに住んでいる人を日本人だと言っているに過ぎないのであって、そこにはたくさんの民族がいる可能性があります。それぞれの人が自分は何何族だ、と言い始めた場合、国自体が本質的に成り立たない。それを成り立たせるためには日本という強烈なアイデンティティを植え付けなければいけない。それを徹底して行なったのは明治政府です。日本人が作られたのは明治時代であって、それ以前は国と言えば駿河であったり武蔵の国であったり相模の国であったり播磨の国であったりしたわけです。「わが国」、と言った場合はそっちを意味していた。「わが国」が日本になったのは明治以降。最初の日本というのは都があったところの周辺20km。それくらいを日本と言って、その中に住んでいる人たちが日本人であって、それ以外は征服の対象。

母なる地球のシンボル

 アメリカインディアンの人たちがよく言うんですけれど、「高い山には神様が住んでいる、山の頂を見よ」と。山の頂に神様が立っている、神様に見られているという意識があるんです。この感覚を我々は取り戻すべきだろうと思う。東京は富士山が見えるところにできた都だったわけです。東京から富士山が見えなくなってしまったときに何が起こり始めるか。それは山に見られているという感覚がなくなってしまうこと。よく「母なる地球」という言葉をホピの人も使いますけれども、冗談じゃなく本当にそう見えているわけです。地球は生きている女性であって、怒りもするし病気にもなる。嫌なことがあれば地震を起こすし、噴火する。それは地球の生体反応であって、我々の体の中にウイルスが入ればそれを排出するのと同じようなことが母なる地球の肉体でも起こっている。地球にとって人間というのはたくさんの中のひとつにしか過ぎない。人間がいなくても地球はあり続けるだろうし、地球を必要としているのは、我々の方。地球が病気だという言い方はよくされますけれど、病気になっているのは本当は我々の方です。

 富士山の周りにいた人たちが日本人だったかというのは大きな疑問です。日本列島の先住民の人たちはいったいどこに行っていまったのだろう、僕は日本に帰って来てまずこのことを考えなくてはいけなかった。なぜ母なる地球という見方を失ってしまったんだろう。日本人として富士山を見てしまうとその下にあったものが見えなくなってしまう。もう一度富士山を母なる地球のシンボルとして見ることができれば、そこの周りにいた人たちがどういう人たちで何を感じていたのか、ということも、もっとリアルに見えるかもしれない。

 そろそろそういう生き方をすることを僕たちは求められている。もう一度まっさらな日本列島を見てみたい、そのときのシンボルとしての富士山、というのが僕の頭の中のビジョンとしてずっと残っている。今回、アメリカインディアンの人がいっぱい来てお祈りをしたからと言って一瞬にして翌日からきれいな自然が還ってくるかは疑問としても、そちらに向かって動き始める最初の一歩としてはすごく大きな一歩になると思います。


秋鹿博さん
の話


アイヌ語とフィジー

 浅間神社のせんげんという字は浅間と書きます。富士山が見える周辺に1300社。みなさんの近くにもあるでしょ。浅間、というのはアイヌ語だそうですね。火という意味だそうです。長野県に浅間山ってあるでしょ。火山ですね。それを浅間と言ったようです。だから富士山の辺り一体にアイヌ民族の人たちが住んでいたのではないか、ということが考えられるわけですね。また、フィジーという国があります。一説によるとフィジーというのは火という意味だそうです。おもしろいですね。富士、というのは火という意味だと。南方の人たちも日本列島に来て、いろいろな民族が混じって今の日本人になっていったのかな、ということが想定されますよね。

 私たちは今から10年前に富士山を世界遺産にしようと370万人の署名をいただいて奮闘したんです。ところが今のところ非常に難しい状態でこの運動が休眠しているんです。私は個人的に、今回の催しをきっかけにもう一度世界遺産に登録することをみんなでアピールする、話し合うきっかけにしたらどうかなぁと思っているんです。



北山耕平さんの話


地球から切れた子どもたち


 僕は自然というのはそこに住んでいる人たちの心の投影だと思っています。自分の部屋を見ればよくわかるんですが、自分の部屋はそこの主の心の投影です。環境というのは明らかにそこに住んでいる集団、あるいは部族、トライブ、国民、住民なんでもいいです。そこの人たちの意識の投影です。富士山が汚れているのは富士山を守っている、と思っていた人の心が汚れてしまった。たぶん、これが一番大きな原因だと思います。これは昨日今日汚れたものではなくて、1000年という単位でだんだん汚れていったものです。だからそれを元通りにするにはものすごく時間のかかるだろう。かかるんですけど、それは非常にやりがいのあることでもあります。

 僕たちは聖なるものというものを一切失ってしまっています。聖なるものとは何なのか、ということが伝えられていない。三種の神器と言われるものが鏡と曲玉と刀、これを本当に聖なるものとしていいのかどうか、ということをきちんと考えられたことがない。これは全部人間が作ったものです。

 「自然の中の聖なるものって何なの、あなたにとって聖地って何」、という質問を突きつけられたときに、「僕にとって聖地はここですよ」、と言える人は少ないと思います。それくらい聖なるものというものに対する感覚が鈍ってしまっている、出会ったことがない。一切それらに出会わせないようなしくみが日本というしくみの中に最初からある。そのしくみがあってはじめて日本は成り立っていて、日本人が聖なるものに触れてしまうと困る、というものがどこかに残っている。1000年近く、日本人の頭に孫悟空の頭の輪っかみたいなものがかかっているために、それを取って世界を見たことがなかなかない。常に日本人としてみる、という見方でしか僕たちは学校で教わっていないわけです。

 そうじゃなくて「地球に生きるただの人」として自然をみるということはどういうことかを教わる機会を失ってしまっている。"日本人"は自然をこうみる、という形では教わりますけれども、そうじゃなくて「地球に生きる普通の人、ただの人」っていったい何か、そういう人にとって本当に大切なものは何か、ということが日本の教育のプロセスの中からすっぽり落ちている。教育というのは本来は家族の中でするものです。親は子どもにそのことを教えなくてはいけなかったのを、教育という形で学校に預けたために"日本人"にするための教育が子どもたちの頭の中に刷り込まれてしまう。

 「地球に生きるってこういうことなんだよ」、ということを大人が教えられるようなものを失ってしまったために、地球から切れた子どもがいっぱい出てきたんです。この人たちは自分の部屋と同じように環境をみるわけです。車の運転をしていて信号が止まると窓から外にタバコの灰を捨てる人がいるように。自分が汚れているということを世界に向けてアピールしているだけなんですけど、そのことにすら気がつかない。本当に病んでいるのは我々の心であって、本当に祈りが必要なのも我々の心。

先住民に学ぶこと

 今度来るネイテイブの人たちの祈りは日本の国のための祈りでもアメリカの国のための祈りでもない。ペラペラなじゅうたん、すり減ってきているじゅうたん、1000年くらい経っているじゅうたんの下にあるもの、それに向かっての祈りです。そこではじめて言葉が国、国家を超えられる。


 僕たちはじゅうたんの下にあるものに触る手段を失ってしまっている。アメリカインディアンの人たちに僕たちが学ぶことがあるとするならば、その下にあるものにどう接したか。彼らはアメリカインディアンでありアメリカ人であるんですが、そのふたつの世界を行き来する。アメリカインディアンの世界とアメリカ人の世界の間をうまくバランスを取りながら行ったり来たりします。普通はどちらかの世界にずっぽりです。日本人も"日本人の世界"と、"地球に生きる人"の世界の間を行き来できる生き方ができればいいですが、日本人だけずっぽりの人たちがたくさん生まれてきてしまっている。

 富士山を単なるお金儲けの対象としかみないというのではなく、自分にとっての聖なるもののふるさと。そうみることができる心が作れるかもしれない。それができたときにはじめて世界遺産、というものがでてくるのであって、それをなくして世界遺産になっても・・・・。屋久島がどうなってしまったかというのは見ればわかるし、北上が今どうなろうとしているのかも同じようなことです。そこでお金儲けしようとする人にとっては必要かもしれないけれど、富士山にとっては、あのとき選ばれていなかったことはラッキーだったかもしれないと思います。


秋鹿博さん
の話

自然を大切にする心を伝えるきっかけに

 10年前の世界遺産の運動の中で、富士山を本当にきれいにしなければいけない、という問題意識をもったということはあったと思います。今回の機会に自然を大事にするその心を伝えていく、ということが一番大事であって、世界遺産かどうかというのは目的じゃなくて手段だと。こんなふうに考えればいいのかもしれませんね。

 日本人は昔から恥の文化の民族だといわれていますね。欧米の人たちは罪の文化と。恥の文化というのは自分がしたことを自分の判断で良かったかどうかよりも、他人が見てどうかということを常に意識している。例えば富士山をきれいにしようと唱えている人が、別のところに行くと捨てる方になったりするんですね。これまで集団とか国家とか団体を中心にしてきたことを、自分自身で良かったかどうかを判断するようにならなくてはいけない、ということでしょうか。先住民から私たちは何を学ぶか、私たち日本人が生活態度を見直して自分たちの環境を作っていくか。日本だけ良ければいい、という利己主義ではもういけないですよね。地球人としてひとりひとりが目覚めていくか、こういうきっかけになるといいですね。