私の青春時代
お裁縫をサボってダンスに夢中


谷しず江さん(80)

大正6年、神奈川県横浜市生まれ。現在は東京都港区六本木在住。戦後夫とともに貿易商などを営み、現在はホテルオークラ内「谷シャツ店」会長。趣味は俳句、囲碁、写生など。好きなファッションはニットスーツ。1日3千歩歩行を目標とする。



おしゃれして銀座に遊びに

 生まれは横浜の山の手です。周りには貿易商や大使館勤めの外人が住んでいて、子どもの頃はお屋敷に遊びに行ったりもしていました。


 通っていたフェリスの制服はえんじ色のセーラーで襟は黒。長いスタートは、毎晩寝押ししました。髪型はみんな、おかっぱお下げです。


 普段着は洋服。ギンガムや水玉のワンピースが多かったですね。まだ横浜には既製服のお店なんかありませんでしたから、近所の人に頼んで仕立ててもらうんですよ。よそいきは着物でした。


 下着は、ズロースにメリヤス地のシャツにレースがちょっとついたやつ。よそいきのスリップはシルクのレース。元町のお店で買っていたと思います。


 女学校で習った英語やタイプを生かして、卒業後には貿易会社に勤めました。お休みの日や土曜の半ドンには、よく銀座に遊びにいったものです。5円あれば、横浜からタクシーで往復して、資生堂でオムライスを食べて伊東屋でお買い物して充分でした。


 デート? そういうのとは違うけど、ええ、戦前だったので男の子と外出くらいはしたのよ。一対一ではないけど。同僚の男の子が借りてた一軒家で、クリスマスやお正月に集まってパーティもしました。お茶とお菓子でね。


 そうそう、この頃、社会ダンスが流行ってねぇ。親の言いつけで行かされていたお裁縫学校の近くにダンス教室があったの。毎日、縫いかけのゆかたを持って出かけちゃ、出席だけとって抜け出して、元町の橋のたもとにあった教室に通ったのよ。ハンサムな先生が目当てだったんだけど(笑)。


 お父さん(夫)とは、恋愛結婚だったんです。戦時中だったけど、熱海に新婚旅行にも行きました。でも、結婚したら戦局が厳しくなって、毎日のように灯火管制、そして空襲。寝るときもモンペをはいている始末で。


 この頃、隣近所で組織する「国防婦人会」っていうのがあってね、桜木町の駅前に立って、袂の長い着物の女の人を見つけると注意するの。ちょっと怖かったねぇ。

聞き手:川又由紀子 (地球人通信1997.4)