特集 地域の魅力を探す


一村一品   人の繋がりが生む力
地域づくりにかける。

地域おこしは人のつながりと地域の魅力のあわせ技。どちらが欠けても成功しない。フィリピンからの現地ルポと大分県の国際協力から、地域づくりと国際協力のつながりを紹介する。

Chapter 01 貧困を克服する町おこしって?
Chapter 02 大分の経験、世界の視点



Chapter 01
現地ルポ from Philippines
貧困を克服する町おこしって?

文=さとう あけみ text by Sato Akemi
写真=堀内 孝 photos by Horiuchi Takashi

セブ・シードにより東海岸4丁目では村落道路整備が行われている。ブルドーザーなど機械は4ヶ月ごとに各町交替で使われている
草の根レベルからの試み

「フィリピンのセブで今、日本の国際協力が行われている」と聞いて、瞬間耳を疑った。セブは一般に、高級ホテルが立ち並ぶ一大リゾート・タウンとして世界に知られる島。魅力的なダイビングスポットがあり、マリンスポーツの拠点として、日本をはじめ、世界中から観光客が押し寄せる。

現地で実施されている協力とは、セブ州北部地域開発プロジェクト、セブ・シードCEBU SEEDと呼ばれ、セブ州政府とセブ島北部の20町を対象に1999年にスタートした5年にわたる活動である。

セブ・シードCEBU SEEDプロジェクトは、Socio-Economic(社会・経済)Empowerment(パワーを与える)&Development(開発)の頭文字SEEDをとったもの。セブ州は高知県とほぼ同じ面積を持ち、セブ島を中心に、マクタン島、バンタヤン島など周辺の大小の島々からなる。


経験を共有する

セブ・シードの「生活向上事業」は、身近にある資源を利用して経済的自立をめざす。機械に野生の竜舌蘭(マゲイ)の葉を巻き込んだ後、手前にひっぱると繊維だけが残る。4台の機械をJICAが提供した。
セブ市を離れ、海岸線に沿う国道を北上すると、のどかな漁村・農村の風景が広がる。セブ州は、中部マクタン島を中心にリゾート開発が進む一方、北部の町や村との地域格差、経済格差が大きくなっていた。

フィリピンでは1991年に地方自治体法が制定され、翌年から地方分権化が実施された。しかし、長い間の中央集権型体制によって、地方自治体の長期的視野に立った事業の立案、計画などの行政能力が未成熟なままにあるのが実状だという。リゾートで有名なセブ州も例外ではなかった。実際、一歩北部に足を踏み入れてみて分かったが、給水や汚水処理、農道整備、医療や教育に関する基本的な行政サービスもこころもとない。

セブ・シードでは、生活基盤整備と住民参加型の生活向上事業を行いつつ、同時に州政府や町村の行政能力の向上を支援している。バランスのとれた地域開発を行っていくためには、地域おこしに必要な組織づくりや資源の有効利用のためのノウハウの蓄積が、必要であるからだ。



自立へのサポートがセブ・シードの役割

抽出された繊維は干して乾かす。1キロ18ペソでバイヤーに売る。ロープや玄関マットなどになる
セブ・シードはJICAの専門家とセブ州政府が協力し、問題のありかを一緒に探り、それをどう解決していくか、計画を立てつつ実行している。

「顔をつきあわせることで問題点が見えてくる」
スタート当初からプロジェクトに携わる日本人チームのリーダー、清家政信国際協力専門員はこう話す。セブ・シードで活動する日本人専門家たちは、セブ州政府の企画開発局職員と常に行動をともにする。町を訪ねる時は町役場職員が加わり、場合によっては地元NGOや住民組織がメンバーに加わるなど、活動のすべてをフィリピン・サイドと一緒に行っている。

「行政だけでは地域の人々の関係づくりはなかなかできない。地域住民にとって州政府は遠い存在です。中央政府機関、町、村、NGO、地域住民のそれぞれの間をつなぐ役割を州政府と、私たちが果たしています」。調整役を果たす清家氏は、「広域的な視点を持って判断できる人材を育てることが地域開発の重要なポイントだ」と語る。

海草養殖で暮らし向上

海藻養殖葉は零細漁民の代替生計手段として行われた。一方で、違法漁業で危機的状況となった漁業支援を保護する目的もある
山口綾専門家と訪れたメデリエン町沿岸の村では、海草養殖に取り組んでいた。

この漁村は、6月と12月、隣町のサトウキビ刈りを手伝いわずかばかりの収入を得て暮らしている零細漁民が多い。漁獲量の減少に悩む漁民が、ダイナマイトや毒物漁法などを使う違法漁業を行うためサンゴが破壊され、魚も捕れなくなり、さらに貧困に追い込まれるという悪循環に陥っていた。そこで考えだされたのが、海の力を生かす海草養殖だった。

まず住民側と話し合い、1つの循環ルールを考え出した。セブ・シードが23世帯の漁民に対し、網やロープなど海草養殖のための資材を提供することで養殖活動を始める。資材代金は、養殖によって得た収入から町の農業事務所に返済され、別の世帯への資材購入資金にあてられる。村の自立という息の長い取り組みのために始められた活動の一つである。

この村で本格的な活動が始められたのは昨年の7月。当初の予定では9カ月後に、資材代金を返済する予定であったが、売上金が少なく、訪問した時点では全額返済には至っていなかった。

住民の話によると「昨年11月の台風で網が流されたり、海草の成長が遅かったりと、天候の影響が大きかったから」。

農業事務所のエドワード・バリン氏は、養殖を始めてからの住民の変化について話してくれた。
「これまでぶらぶらしたり、トランプ遊びに興じるなどして過ごしていた人が、仕事ができたことで自信が持てたという気がします。魚を捕ったり、海から網を運んでくるのは男性の仕事ですが、陸で海草を外したり、干す仕事は女性が手伝います。女性に役割ができたことで、家庭での女性の地位もあがりました。子どもたちも学校へ行けるようになったのですよ」

緑色の海草はセブ市の市場へとまわる。茶色の海草は乾燥させて仲買人に売る。その後、工場で粉末に加工された海草は海外、実はかなりの部分が日本へ輸出され、歯磨き粉やペットフード、おむつの吸着シートなどとなって日本の家庭で利用されている。

各機関と協力しあって

別の町では、ロープの材料に使われる竜舌蘭(マゲイ)の繊維生産が行われていた。マゲイはやせた土地でも自生する。

この事業は、セブ州の繊維工業開発局、技術開発局の共同事業として行われているものの一つ。従来生産農家は、葉を1週間海水に浸して葉脈を取り出していたが、機械を導入すれば、その必要はなくなり、しかも増産できる。そして売り上げの1/4はその土地の持ち主に、3/4は生産者に収入として入る仕組みが作られた。こうしたルールも、セブ・シードが組合を作り、住民と一緒に作り上げていく。

家畜を保険に

最初は10〜30世帯(家畜や町により異なる)に山羊や地鶏を配った。繁殖によって、それが地域全体、村全体に行き渡るような仕組みを作っている
また別の町では、セブ州畜産局との共同で肉牛飼育が行われていた。10世帯の零細農家に、それぞれ1頭の繁殖牛を提供するが、この牛はセブ州の"人工受精プログラム"を活用したもので、無料で人工受精を受けられる。生まれた子牛は農家で10カ月間育てられた後、農業事務所へ返され、次の農家へ渡される(母牛を返す場合もある)。第二子、第三子・・・が生まれてくればそれはすべて自分所有の肉牛になるというわけだ。


事故や病気で働けなくなり、農作業ができなくなった時や食糧が不足し食べ物がなくなった時、その家畜を売ることで家族の暮らしを立て直すチャンスを作ることができる。つまり家畜が"保険"の代わりとなる"家畜銀行"とも呼べるものだ。

さらに家畜の病気に備えるために、家畜衛生管理ボランティアや獣医補助員が養成されている。各村の代表者を対象に研修が行われ、家畜の病気やケガに適切に対処できるように、診察器具も提供される。このような取り組みは、治療できずに死なせてしまうケースが多かったため。家畜の健康を守ることが生産農家の所得向上につながっていく。

ほかの地域でもこの試み"家畜銀行"は行われている。地鶏や山羊、豚など家畜の種類や数は地域ごとに検討されるが、現物を村の住民組織に返納し、それがまた次の農家へ提供され村全体へ広がるように工夫されている。

これまで、家畜を失った農家は、住み慣れた土地を離れて都会へ働きに出たが、職を見つけられずに家族の離散を招くことがしばしばあった。少ないコストで重要な経済活動となるため、貧困対策事業としてあちこちで成果をあげている。


専門知識、技術を身につける

持続的な経済活動を続けていくためには、住民自らが自立して事業経営のノウハウや専門技術を身につけることが不可欠だ。セブ・シードでは専門知識と技術の習得にも力を入れている。


にがうりの栽培。土地に適した野菜の栽培技術の指導や、農薬、肥料、噴霧器を提供している
傾斜地農業研修。山がちの痩せた土地で土地改良と水管理の技術を伝えていく。地域の活性化は、共同作業を重ねながら持続可能な農業を目指していくことかもしれない。この日の講師8人は全員ボランティアだが、来年度からの研修には町の予算がつくことになった(上・下)


セブ・シードの支援活動の目標
地方開発行政を強化し、住民やNGOと協力しながら開発資源を持続的かつ効果的に利用する地方開発メカニズムが構築されること。ひいては、地方分権制度が定着し、セブ州地方部の社会経済開発が促進されること。


トウモロコシがよく育つわけ

最初のスタートをセブ・シードが支援し、後は地域内で活動するスタイルは農村でも同じように行われている。

ダーンバンタヤン町の集会場で行われている農業実施研修を訪ねると、トウモロコシにつく害虫についての講義が行われていた。約4カ月にわたり、収穫量を増やすためのさまざまな工夫が伝えられる。この研修を受講した生産者には、セブ・シードからトウモロコシの種子、肥料、天敵虫(害虫を食べる虫)が提供され、提供を受けた農家は収穫後の売り上げから住民組合に返金し、そのお金で次にトウモロコシ生産を始める農家へ種や肥料などを提供する。

トウモロコシの実習畑
参加者に話を聞くと「今までは収穫量を増やそうと、間隔をあけずにたくさん植えていたが、かえって生産量を落とすことに気付いた」、「穂を間引くと、育ちが悪いと信じていたが、害虫がつきやすい原因になっていた」と話してくれた。

実習畑では、24名の参加者が5班に分かれ、それぞれ違った方法で栽培する。班長は畑での成果を持ち帰って、みんなの前で発表し合う。疑問点が出ればこの場で解消される。

タボゴン町職業訓練センター。最初に行われたのは機械技術。3つの村から女性15名ずつ計45名を対象に行われた。センターの建設はセブ・シードが支援し、隣接する宿泊所は町の予算で建設する予定。
実習畑に隣接し一般の農家の畑が広がっていたが、その実習畑のトウモロコシが頭ひとつ分高い。まわりの農家から「どうしたら大きく育つのか」とよく尋ねられるという。そんなとき、実習で行なってきたことを教えてあげるのだと、参加者のひとりは得意そうに話していた。

地域のリーダーが生まれる

またダボゴン町では、傾斜地を利用した農業についての研修を行なっていた。朝7時から夕刻5時まで3日間にわたり行われる。受講者の前で身振り手振りを加え、"肥料と土壌管理"について話す若い男性講師は、かつてセーブ・シードがNGOと連携して行った農業研修の卒業生だ。こうして研修生の中から新しいリーダーが生まれる。自分の学んだことを伝えるその様子は輝いてみえた。

また、この町では職業訓練センターがつくられ、昨年11月から研修生を受け入れている。

「仕事を求めて多くの人が都市へ出稼ぎに行きますが、仕事に就くのは難しい。しかし、技術を身につけていれば就職しやすくなります」と訓練センターのマリオ・ガルシア氏は話す。

ペーパー・クラフト事業は、最初に小学校長、町役場職員、州政府職員、大学教授と一緒に、セブ市のハンドペーパー会社2社を視察。生産のプロセスを見ることでイメージが生まれ、何をどんな手順で行うかを知ることができ、モチベーションも高まってくる。その後、小学校が紙をこねるための臼を自主的に購入したことを知って、セブ・シードで支援を決め、シュレッターと攪拌機を提供した
これまで訓練センターでは機織りや溶接技術の研修が行われた。今後、エアコンや大型冷凍機の修理、ミシンによる縫製が予定されている。

「現在、講師は職業訓練学校から招いていますが、いずれはこの町で訓練士を養成して自立していきたいと思っています」。



希望へとつながるヒント


これまで州政府は行政からの情報を、市町村や住民へ伝える手段を持っていなかった。このため、州政府職員や議員がコネ社会を形成しやすく、公平性を欠くという弊害が生じていた。プロジェクトの成果を生かしてもらうためには、情報の共有化が欠かせない。

コミュニティー誌の発行

情報の共有化を進めるために、コミュニティー誌が必要ではないかと考えた。そして州政府に働きかけた結果生まれたのが、セブ語と英語で書かれたタブロイド版の広報誌『スグボ(セブの旧称)』だ。

セブ州初の広報誌
創刊にあたってはJICAから杉下恒夫氏(読売新聞社OB)を短期の専門家として迎え、州政府内に編集委員会をつくった。毎号4000部を発行、市町村や学校、ラジオ局、議員へ配布される。

「来年度から州の予算で、引き続き発行されることに決まったばかりです」と専門家の上村泰氏。


さらに印刷物としてこのプロジェクトマニュアルを残すだけではなく、いつでも誰でもが閲覧できるウェブサイトを作成しようという計画もある。フィリピンはIT技術が発達している国。作りあげたウェブサイトに州政府が新たな開発経験を書き加え、NGOや市町村、住民がインターネットでアクセスできるようなものにしたいと考えているという。

セブの自立へ向けて

この事業の成果と展望について、セブ州企画開発局のエンギアドルフォ・キロガ氏に聞いてみた。「常に日本人専門家と行動を共にしてきた成果なのでしょう、効率的な仕事ができるようになり、職員の遂行能力も高まったのではないでしょうか。また、現場に足を運ぶ努力をしてきたことで私たちは多くを学ぶことができました。今後は、日本(大分)の一村一品の村おこしの研修に参加して得た知識を、こちらの環境に置き換え、フィリピンのコンセプトに合った方法で実現させること。そのためには私たち自身で真剣に取り組んでいかなければと思っています」

このとき5年のセブ・シードプロジェクトはすでに終盤にさしかかっていた。フィリピン人職員だけで事業を遂行するという課題に取り組むため、残り6つの町の担当者を決めたところだった。

また、キロガ氏は「住民のための生活向上に関する事業は長い期間を要する」としながら、「事業のモニタリング(観察・調査)をしっかりやり、それに対する評価をきちんと実行していきたい。そして、成功に導いた要因、失敗の原因は何かを教訓として残したい」と話した。

セブ・シードは、セブ州北部20町のあちこちに、さまざまな種をまいてきた。州・町の職員や地域住民自らで生活向上の努力が続けられる仕組み作りや、地域資源の利用法を考えるなど、草の根的な「参加型プロジェクト」であった。

ある村ではNGOによる演劇の手法を用いたワークショップ「わたしの村の未来」が行なわれた。地域住民によってシナリオがつくられ、また、演じられた。迫真の演技で、かなり盛り上がったという。

外部の視点を借りながら、自分たちの住む地域資源を見直すことで、そこからさまざまなアイデアが出る。そうして掘り起こされた地域の価値が、地域の個性を際立たせ、ほかとは違う魅力を作りあげるのだ。

生活の糧を得て暮らしが改善され、経済的に自立できる可能性を見出したとき、自信が芽ばえ、将来への希望が生まれてくる。その希望へつながるヒントをこのプロジェクトは生み出していた。寄り集う人々の協力がやがては地域の、そして町の活性化につながっていく。そこには共に生きようとする、たくさんの人と人とのつながりがあった。


コラム
森を守りながら練炭作り

タボゴン町の山村へは急な坂道を登って行く。この村では練炭作りが行なわれている。14名の住民により森林組合がつくられ運営されている。日本の練炭の技術が、この村に応用ができるかどうか調査された。そして枝打ちや間伐で出る半端な木材やおが屑、ヤシ殻を利用して、熱効率が良く煙りがでない良質の練炭作りに成功したのは昨年のことである。現在、試験的にセブ市のスーパーマーケットで販売されている。これらの収入はいったん組合に入り、賃金として支払われる。

練炭作りによって、共同体や仕事が生まれ、かつ森の保全に貢献することにつながった。「練炭を作ることで森が管理できます。違法に森林を伐採する人も来なくなります。私はいわば森の番人なのですよ」と住民のリーダーは笑う。


コラム
日本の紙すきの手法で古紙再生

ボゴ町中央小学校では、古紙を利用した再生紙作りが始まっていた。

「毎週月曜が古紙を持って来る日です。古紙は4、5、6年の家庭科の授業で再生紙にしたり紙粘土として工作に使ったりしています。子どもが古紙を集めることで、親の意識にも変化が見られ、いい影響を及ぼしているようです」と校長先生。授業では、紙の薄さを競うゲームをしながら日本の紙すきの手法を用いて再生紙が作られている。

再生紙作りを支援するきっかけとなったのは、「日本に留学経験を持つフィリピン大学セブ校の教授が、再生紙作りをしている」ことを、千頭聡専門家が知ったこと。環境教育に役立ち、セブ・シードの狙いにも合うと感じた千頭氏は、さっそく州政府職員と一緒に教授を訪ねた。

日本人専門家たちは、州や町の職員、地元住民の雑談にも耳を傾け、必要な情報をキャッチすべく普段からアンテナを張っている。いきなり生活向上に関する具体的プランを聞き出そうとしても、「〜がない、〜がほしい」といった直接的な要求や要望になりがちで、長期的視点に立った生活向上に関するプランはなかなかでてこないからだ。

再生紙作りは、今のところメモ用紙にしかならないし、生徒に配るだけの量もないという。しかし、ゴミとして処理される古紙を再利用することで身近な資源を生かそうという意識が生まれる。

「商品化できれば、それが収益に結びつく。手作りのノートができれば、市販のノートを買わずにすむ。何より環境教育の観点でも申し分ない」と千頭専門家は語る。身近な資源を宝にするか否かは、そこに価値や意味を見出す視点をもつことにつきるのかもしれない。

(国際協力2002.10月より)