分子生物学の発展は、われわれ素人にも思いもよらない世界を垣間見せてくれている。しかし、遺伝子治療や遺伝子操作など、最新の科学技術の応用分野では、専門家と一般人の間には深い溝があるようだ。最先端技術応用の最前線に生きる研究者に率直な思いを書いていただいた。

遺伝子行動学序説

母性愛も遺伝子がつくる?


佐藤静夫(応用生物研究所所長)



 われわれは遺伝子という利己的な分子を養育するためにプログラムされた生存機械なのだそうである。


 半年ほど前になるが、朝日新聞の書評欄に「赤ちゃんが自分に似ているのを喜ぶ親。この人間的な心情も、実は、遺伝子が自らを次世代にコピーしたことを喜んでいるに過ぎないのではないか」という記事が載っていた。


 このところ、人の情動を遺伝子そのものの働きに還元する論調が、いたるところで目に入る。「遺伝子は体をつくる統計図なのだから情動(行動)も遺伝子の動きと密接に関係している」と考えるのは、ごく自然だと思うし、「本能」はその関係をうまく表現した言葉に違いない。人においても一卵性双生児を対象にした環境(経験)に左右されない行動パターンが明らかにされている。


 しかし、だからといって、人の情動を「本能」と同じように、遺伝子の直接の支配下にあると考えるのは短絡に過ぎるのではないか。


 最近の、遺伝子の働きと情動とのつながりを探る研究によると情動が動き出すには「こころ」の内に外界の“出来事”や内的な概念を「評価」する過程(と、そのためのシステム)が必要であるという。その「評価」システムが情動を司る遺伝子を発動させるかどうかのスイッチの役目をしているらしい。そして「評価」の基準は経験(環境)に依存するという。

  
 人の情動を、遺伝子のなせるわざ、と考えるのは一種の因果律である。そのこと自体、間違いではないだろう。しかし、遺伝子と情動の関係は因果律もさることながら体用律でとらえることも必要なのではなかろうか。


 「風が吹くから波が立つ」というのが因果律である。これに対して体用律では「水があるから波が立つ」。


 何千万年という時をかけて生命がつくりだした人の情報という装置は多様な波を作り出す力を有している。しかし、どのような波を立てるか、には、遺伝子は、それほど責任を負っていないのではないか。 


 母親が自分で産んだ赤子を抱き幸福感に浸って微笑みかける、という行動は代理母でも認められる。とすれば、遺伝子は、自分とまったく関係のない遺伝子を育む「体」(生存機械)を作りあげ、その遺伝子に優しく微笑みかける度量の広さをもっていることになる。ここに「利己的な遺伝子」のイメージはない。


 幸せを感ずる「幸福」遺伝子も見つかったという。ならば幸せを発生させる遺伝子はどこにあるのだろう。己の外にあるだろうか、内にあるのだろうか。


 今年から「脳の解明」を目的にした総額2兆円の国家プロジェクトが始まる。脳科学総合研究所(科学技術庁)の設置も決まった。そこでは遺伝子と環境はどのように相互作用して、人らしさを形作っているのかも、研究することになっている。

(地球人通信1997.4)