星くず
生命の不思議


 一橋大学の前を歩いていると、キャンパスの中の林の方から、かん高いうぐいすの鳴き声が聞こえてきた。今年初めて聞くうぐいすだが、鳴き方はへたくそだった。子どもなのか、シーズン初めで練習不足なのか、よくはわからないが、しかし、春が確実にやって来たことが感じられて嬉しい。

 東京は、まだ樹木の枝々に緑の若芽が吹き出すには早すぎるが、これがいっせいに芽吹く頃になれば、樹木に耳をつけると、水が逆流する樹音が聞こえるのだと、アイヌの詩人で“古布絵”作家、宇梶静江さんからうかがった。 

 その『樹音』というタイトルがついた季刊誌が共同通信社から近く創刊される。そのインタビューで、アウトドア派として有名なタレントの清水國明さんが建てた丸太小屋を、猪苗代に訪ねた。

 ここら一帯はまだ冬で、小屋のある林の中は、5、60センチの雪が積もったまま凍りついている。夜、まきストーフをどんどん焚いてみても、寒さがしんしんと足を伝わって這い昇ってくるのだ。

 このときの清水さんの話の中で興味深かったのは、子どもにまつわるエピソードだった。この冬のさ中、清水さんは家族を連れてきては、テントを張って小屋造りを続けたのだという。ある日、子どもが40度の熱を出したが、スケジュールの空きはこの日しかない。迷ったが、清水さんは計画を断行、子どもはテントの中に寝かせて、大工仕事を行った。そして、翌朝、「パパ治ったぞー」といって元気な子どもがテントから出てきたときは、ホッとしたと同時に自分の判断にちょっぴり満足したという。

 「最近の子どもたちは、保護されすぎていて、野生が細胞のなかで眠らされてしまっている。それを、自然の中で目覚めさせてやらないと、このまま退化していってしまいますよ」と清水さんは心配するが、私も全く同意見である。

 その“退化”で思いついたのがクローン羊である。世界に異様な衝撃を与えたこのニュースは、何か地球の未来を暗示しているようで不気味である。こうした「生命をもて遊ぶような試み」には私は反対だが、この記事でちょっと興昧をひいたのは、乳腺細胞をいったん餓死寸前にし、電気ショックを与え、もうひとつ別の核を除去した卵母細胞と合体させると、羊の全器官が再生するという実験だった。

 つまり、ひとつひとつの細胞には、その個体の全機能が備わっているが、普段は必要な機能だけしか目覚めていないらしい。そこで、いったん栄養を滅らし、餓死寸前に追い込み、電気ショックを与えると、全機能がいっせいに眠りから覚め、動き出すのだ。生命の神秘には、言葉もでない。 

 砂漠で、何年も、何十年も仮死状態でいる魚の話を何かで読んだことがある。そしてある日、何年、何十年ぶりかの雨が降ったりすると、生命がよみがえり、魚は水たまりで泳ぎ出す。木の実や種にもこうした例があるそうだが、もしかすると、私たち現代人の身体も精神も人工的都市環境の中で、何か大切な本来の生命力が、細胞の中で仮死状態にされつつあるのではないか。

 そして、そのままの状態が長く続きすぎると、野生の機能は完全に死に、いわゆる退化が起きてしまうのでは、と、不安になってくるのだ。そうならないために、どのような方法があるか。清水さんのように野山を駆け巡り、畑を耕し無農薬の食べ物を食べるのもいいし、都市生活を強いられている人は、心身の活力をよみがえらせるヨーガを行うのも良い方法のひとつかもしれない。

(河音元/地球人通信1997.4)