雨の恵みを受ける人々
〜バリ島の水のある暮らし〜



文=さとうあけみ

雨の降るバリ島の風景

ポタン、ポタンと空から雨が降って来た。ポタッ、ポタッ、ポタ、ポタ・・・・・落ちる間隔が早くなり、風が吹き、埃っぽいにおいが立ちこめてくると本格的な雨の始まりだ。バリ島は赤道直下の熱帯性モンスーン気候で、雨期と乾期の2つの季節がある。10〜4月ごろが雨期にあたり、特に1〜2月は雨量が多いが、日本の梅雨のような長雨ではなく、雨粒が地面にたたきつけるような勢いで集中して降るスコールだ。

乾期でもスコールは降る。子どもたちが大きな葉っぱを頭上に載せながら駆け足で家に帰る光景はよく目にするし、バイクで移動中なら、雨がやむまで軒先や屋台で雨宿り。道も悪い上、雨が激しくなると10メートル先がまったく見えなくなるからだ。人の声もミュージックテープから流れる音楽もザーッという雨音にかき消される。普通は30分くらいでやむことが多いが、2〜3時間も続くと、川が氾濫し水はけが悪い道路では、ひざまで水に浸かりながら歩かねばならない。雨が上がると、木々の葉が太陽に照らされてキラキラ輝き、清らかな気配に包まれる。

雨の恵みと稲作

儀式に聖水は欠かせない
山の稜線に等高線を描くように作りあげられた水田。そこに青空がそのまま映し出される。バリ島の棚田は世界的にも知られ、島のシンボル的光景としても有名だが、さらに雨上がりの光景は美しい。

急斜面にあぜを作り段差をつけて棚田にすることで、雨水は一気に流れずに、高いところからだんだんと下に流れ、洪水や土砂の地すべり防止にも一役買っている。地下へ浸透して地割れも防ぎ、イネの成長と共にたくさんの生物の生きる場にもなっている。田植えから収穫まで稲作全体が信仰体系に組み込まれ、豊穣を祈る儀式が行われる。雨ごいの儀式、田に水を引く時、田植えの時、稲穂がつきはじめた時、稲刈りの時、稲の神デウィ・スリに祈りを捧げるのが習わしだ。

バリ島では、雨が降ると小川の水門を閉じて雨水をためたり、ときに流したりして低地の田んぼまでくまなく水が行き渡るよう配慮されている。水の供給源を同じくする田んぼを持つ農民によって水利組合スバックがつくられ、灌漑設備が維持されている。共同作業や儀式を怠ると神の怒りを買い、災いが起こると信じるバリ島の人々の日ごろの手入れのおかげで、あの見事な棚田が守られてきたのだった。

水の宗教といわれるゆえん

地面に吸収された雨水は地下水として脈脈と流れ、島の随所で湧水が出る。バリ島の宗教はヒンドゥー教だが、もともとある土着の慣習が結びつき、<水の宗教>とも呼ばれている。あらゆる儀式に水は欠かせない。水といっても大地から湧き出る清らかな水でなければならず、儀式はこの湧水をくみに行くことから始まる。島の北東に最高峰のアグン山がそびえ立つが、この山こそがバリ人が仰ぐ聖なる山だ。普通は村の近くの湧水だが、最も重要な祭りでは、アグン山頂の湧水をくむ。

くまれてきた水は、司祭がサンスクリット語の呪文マントラを唱えることで神聖な水アムルタに生まれ変わる。僧侶は参拝者一人ひとりの頭上に聖水の水しぶきを飛ばし、参拝者が手のひらに注がれた少しの聖水を飲んで儀式は終了する。

バリ島では聖なる領域は、山の方角を意味し、不浄な領域は海の方角を意味する。天から降った恵みの雨は聖なる山に注がれ、川となって海へ流れる。そして大地から湧き出した水は祈りと共に体内に流れ込む。水は生命の源。そして汚れを落とすもの。恨み、憎しみ、悲しみ、穢れ、あらゆる人間の業を祓い清めて流してくれる。バリ島では人が亡くなると火葬にするが、その灰は海(遠い地域の場合は川)に流され、水へ還って行く。


国際協力2月号 (JAIC2003) 特集◎水と暮らし/上手な雨との付き合い方
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