インタビューを終えて

 今、文明が大きな転換期を迎えている、と言われている。"物"中心で走ってきた近代文明が、いよいよここに来て限界に達し、いろいろなところにほころびや破綻を引き起こした。そこで、現在、既に様々な分野で、これまでとは違った価値観に基づく問い直し、模索や挑戦などが、活発に行われ始めている。 

 映画の分野でも例外ではなく、特に、最近では全国に感動の波を広げ話題となった龍村仁監督の「地球交響曲」(ガイアシンフォニー)と、小栗康平監督の『眠る男』の二作品が注目されている。「地球支響曲」は、世界的な登山家、宗教者、動物保護活動家などの語るメッセージを集めたドキュメンタリー映画だ。『眠る男』は、小栗監督が、初めてシナリオを書いた「存在の起源」を問う画期的な作品である。


 それぞれの表現の手法は異なっているものの、興味深いのは、どちらの作品のモチーフも「普遍的な地球生命との交感」に置かれていると感じられる点である。見えない世界がこれほど美しく、リアルに、しかも感動的に描かれた映画は不思議な共時的出来事といえる。今回は、このお二人にインタビューを試み、創刊特集とすることにした。



新しい地平を開く

つかもとこうせい

 小栗監督は、撮影が終わったあとも超多忙でした。舞台あいさつをはじめ、新聞、雑誌のインタビュー、映画関係や外国からの訪問客の応対、地方上映のためのネットワーク作りなど追いまくられている様子でした。

  そんなある日、無理やり時間をとってもらって東京・岩波ホールの応接室で、「地球人インタビュー」を受けてもらったというわけです。この日も、たまたま、アジア映画界でも有名な韓国を代表する映画監督、イ・チャンホ(李長鎬)氏が訪ねて来ていました。後で小栗監督にうかがったところによると、イ監督とは友人同上で、年齢もまったく一緒だそうです。

 今回、「眠る男」で最も重要と思われる主役の拓次を演じたのは.韓国指折りの名優、アン・ソンギ(安聖基)氏でしたが、彼を小栗監督に推薦したのが、イ監督その人だったということでした。イ監督は別れ際、「眠る男は韓国でも上映したい」と言って帰られたそうです。

 インタビューでは、作品である映画に直接触れることは避け、むしろ「眠る男」を構想したその背景、個人的な間題から、地域、社会システム、文化、文明、自然、生命システムなど、自由に話しをしてもらいました。

 私が小栗監督の話しを聞いていて強く感じたのは、現代の様々な行き詰まりや破綻を、個人レベルで受け止め、何とか新しい変革の回路を見いだせないか、という模索を試みられておられるのだなということでした。それは、それまでの3作品と、テーマ、表現法共に、がらりと変えられている事実をもってしても、はっきりとわかります。小栗監督は、朝日新聞の山口宏子記者のインタビューに次のように話されています。

 
『「死の棘」で、もうこの先はできないと思ったんです。とがっていけばいくほど「こうじゃない、こうじゃない」と否定することでしかメッセージできない。(略) 個人を超えるものとの出会いで、自分自身をとらえなおす契機を探さなければならない時代になっているのではないか。それが自然や命ということかもしれません。』

 こうしたことが重要なモチベーションとなったのかも知れません。ここで、ちょっと「眠る男」の内容に触れておかねばなりません。それに最もふさわしいと思われる優れた評が花崎皐平氏によって発表(朝日新聞)されています。

 『この作品は全体を通じて、競争と業績を軸にした生き方ではない生き方、つまり存在すること、生きていることに価値を置き、風や木の葉や月の光や水の流れを、おなじ生命として味わう生き方を映し出している。だから登場する人物たちはだれも、なにも特別なことを"する"わけではない。"ある"という仕方で、自然の存在と等価値なものとして横並びになっている。"ある"ものは、生から死へと常に移り、また、再生する循環のなかにある。満ち欠けする月のイメージが、生と死のあわいにあって、それを媒介する象徴であるようだ。(略)この映画では、美学的な意味での様式性、つまり型としての美が追求されて(略)、美的感情が、生態系と生命の危機が予感される中で、想起すべき大切な価値を含むものとして、心にしみこむ映像でえがかれている。』

 これ以上的確な評はないと感じ、ここにあえて引用させてもらいました。

 ヨーロッパの近代思想は、人間を中心にすえ、ひたすら物質的豊かさを、合理主義、機能主義を徹底させる形で追い求めてきました。そして、そのあげく、限界に達し、地球的規模の自然破壊と環境汚染を引き起こすに至ったのです。それだけでなく、理想を掲げたイデオロギーも、機能を失いかけ、私たちは頼るべき世界観をを喪失しそうな危機に陥っています。

 そのために、今こころある人たちが再起を期し、新しい地平を開くべくオルタナティブな回路を探り出すために、様々な挑戦を試み始めました。それが、映像分野でいえば、小栗監督の「眠る男」であり、龍村監督の「地球交響曲」といえると思います。

  「地球交響曲」は様々な分野の秀でた人たちのメッセージを集めて構成したドキュメント映画です。この最初の映画は、それこそ、普通の人たちによる自主上映で公開されたのですが、不思議なことに、あれよ、あれよという間に全国に広がり、気がつくと一番、二番合わせて60万人を越える人が見るというありさまでした。現在は第三番の撮影に入っているそうです。

  これらの映画の反響でわかるのは、今いかに多くの人たちが、未来を開くメッセージを待ち望んでいるかということです。私たち地球人通信も、世界各国で、様々な分野の人たちが、地球生命システムの存続を求め、持続的社会の可能性を探る活動の中に、未来を開くカギを見つけ、紙面で広く紹介していきたいと思っています。
(地球人通信1996.7)