Q むすびにかえて 2014.11.18

旅の終わり、高野山金剛峰寺。

 遍路は大きな事業だった。計画から終了まで6ヵ月を費やした。終わって見れば短い期間だった。今、以前と変わっていない自分がいる。達成感よりも計画を実行できた安堵感が大きい。夢中で歩いた四国と地図の四国が一緒にならない。やはり、幻の中だったのかと思っている。それほど非日常だった。しかし、郷愁か回帰かは分からないが、出かけて漂っていたい快い空間が思い起こせる。これを「お四国病」と言うらしい。

 札所で初めに教えて貰ったのは、香の本数だった。「3本ですよ」「なぜ3本ですか」「3本は過去・現在・未来です」。言われて以後、何も疑わず香を3本手向けて参拝をした。帰ってから菩提寺に問い合わせると、宗派により手向け方法は違うらしい。ただ、言えるのは相手(本尊様や仏様)に手向けるのではなく、自身のけがれや心身の清めを目的にするらしい。札所で教えてもらった焼香は、過去・現在の二つは過ぎ去りつつあるが、未来の香に意味深さを感じた。

 人生を無駄使いして残り少ない。残りは面白おかしく過ごしたいと安易に考えていたが、未来に手向ける香から安直はダメと言われた気がした。まだできることがあるのなら反省して実行しなければと思っている。

 以前、亡妻が私の父に頼まれて柿の木を庭に植えた。なぜ何本も柿を植えるかと妻が聞いたところ、父は「俺は食べない。子、孫が食べるのだから、文句を言わずに植えろ」と叱られたと言ったのを思い出した。親たち世代は少しでも子が楽になるように、自分のできることを行ってきたと思われる。しかし、今、田舎で親が住まなくなった家を引き継いだため、金銭的に苦労している都会育ちの若者が多いと週刊誌で見たこともある。物が有り余っている現代は、香を手向ける心は必要でも、物質で形見を残すことがナンセンスになるらしい。

 何を残せばよいのか大きな課題と思われる。今まで小さな幸せを享受していたが、それが危うくなっているように感じている。例えば、私が生きている時間で壊れた原発の廃炉処理は不可能だ。先の大戦以後、戦いで人を殺さなかった日本国も死の商人になり、戦争に加担しそうだ。これら大きなことだが少しでも良い方向に導いて子や孫に引き継ぎたい。自分にできることを勇気を出してやらなければ、悪夢の時代に戻るようで怖い。行動、行動と思いだけで空回りしている現在の自分がいる。そこからいつになったら踏み出すのか、未来は分からない。旅で世話になった感謝を含めて考えている。線香の燃えている時間は本当に短い。−完−(Y.I)