O 西行に憧れて 2014.11.4

石段の途中にあった西行の歌碑。
崇徳天皇、西行とかかわりの深い白峰寺。

 遍路を決意した一因に西行法師が居られる。昨年秋、「来年の桜は西行終焉の地、河内の弘川寺で見たい」と念じていた。今年になり、寺の後ろに高野山があり、弘法大師がおられ、大師が開いた四国遍路が見えてきた。今回、自分に残された時間と体力を勘案し遍路を実行に移した。その憧れの西行の足跡が讃岐にはあった。

 国分寺(80番)から白峰寺(81番)への登りは“へんろころがし”の一つになっている。それを避けて、坂出駅前からバスで車道登山口の高屋まで行き、白峰寺に登る予定だった。歩く所は、パソコンで国土地理院の地図を見て少しでも短距離になるように準備をしていたが、白峰寺への道は地図を見ていなかった。

 バスが高屋に着き下車しようとしたら、「この先に広い階段があるよ」と運転手に言われ、そこまで乗せてもらった。登り口に近い所で降ろしてもらったが道が分からない。二人で畑中を探し、大きな鳥居の前に来た。山に向かいきれいに積まれた石段が続く。登り始めると新古今和歌集の歌碑も立っている。中に西行の歌もあった。偶然の出会いに私は心をおどらせた。帰宅後調べると、この道は「西行法師の道」と呼ばれている。

 道は怨念伝説の崇徳天皇白峰殿への道でもある。年老いた西行が天皇の怨念を鎮めるため四国を訪ね、白峰殿で和歌を手向け、怨霊は治まったと知り、同じ道を歩けた自分に感謝をしている。

 陵の前を通り白峰寺へ。参拝後、これからの山道が今回最後の山越えとなる。それがうれしかったのか地図を見誤り、寺の門前を2度も通り森にすいこまれた。自衛隊の宿営地の傍を通り、時間の感覚もなくなるような緑の中を進む。広葉樹林の木陰は、涼しさを与えてくれるが、薄暗く視界は悪い。2人の会話も少なくなり、いつまでも同じ所を歩いているような錯覚に陥る。遠くに車の音、車道に出た。登り下りして根香寺(82番)に着く。庭木が色彩良く植えられた境内は、長い階段を登った者へのご褒美に思えた。

 今夜の宿のある高松まで400mの高度差を降らなければならない。頭上を覆う藪を抜け、ミカン畑、急な下りを降り、平らな道に出たら6月の太陽が頭上を遠慮なく照らす。山すそを回り、また山すそが見える。地元の人にも会えず、無言で遍路地図が示す道を進む。人家が近いので遍路道を外れ、通りへ出たらバス停があった。道案内が地図の端だったため分からなかったが、今少し早く通りへ出れば炎天修行も少しは短くできたと反省をしている。宿は、私たちがここで良いのかと疑うほど立派なたたずまいで迎えてくれた。(Y.I)