M 今治・仙遊寺 2014.10.21

仙遊寺の山門。本堂はここからかなり登る。

 「私は猟師をしています」。朝のお勤めが終わり住職の言葉。ここ今治の地も過疎化が進み、檀家の耕作放棄地が増えたので、住職自ら鍬を持ち水田の管理にあたっているという。今度はイノシシが田を荒らす。そのため、行政にお願い出て僧侶でありながら猟師の許可を得た。殺生はしたくはないが、地域の生活を守るために考えた結果である。「殺した肉は皆でありがたくいただく」と言う趣旨の話があった。

 仙遊寺は、しまなみ海道を望む300mの高台に立ち、宿坊からは瀬戸内海の島々が見える。逆に56番・泰山寺や57番・栄福寺から寺の建物が良く見え、標高差で歩き、遍路に挑戦するような存在感がある。前の寺からはわずか2q余の距離だが、犬塚池の傍や田んぼの畔は足元の見えぬくらい草の茂った道が続き、心細く感じられた。車道を通り、仙遊寺の山門を過ぎると、水の落ちる急坂が本堂まで続いていた。「あのくらい」と安易に考えていた私も、山門からの道で苦戦をした。

 参拝を済ませ、宿坊に伺ったら人の気配があまりない。部屋に案内をされ、洗濯の準備をしていたら、風呂に入れると告げられた。食事の時、同宿者1名、相手は外国人と見間違いそうな女性。食後の会話で、アメリカに40余年生活をしているシカゴ在住の日本人と分かる。彼女は何年か前に遍路で高知県まで歩き、今回は2度目。88番・大窪寺まで歩き結願をするという。予定が一致するので同行をお願いする。

 食事は全て精進料理。旨そうな赤身の刺身と思い食べたが、異なる食感が口の中で踊っていた。寺に翌朝のお勤めを確かめると早い出発が困難と分かり、プランの変更かと心配したが、住職の計らいで30分繰り上げてお勤めを開始してくれることとなった。

 早朝、読経に合わせた寺の奥様の声はオペラのアリアのように美しい。座っている足の痛さを忘れさせてくれた。お勤めの終わりで前記の猟師の話となる。ほかに四国遍路を世界遺産に進める雄大な話や、私たちの遍路の目的などを話題にしてくれて、近寄りがたい法衣に似合わない親しみのある住職だった。旅の途中で遍路仲間から聞いた「泊まる価値がある宿坊」との話を実感できた。ただ、美声の持ち主の奥様が大病のため明日をも知れない命と、住職が淡々と話されていたのが心に引っかかっている。

 住職との話が長くなり、結果、出発時間は当初の予定と同じとなる。30分のロスを取り戻すため、二人して下りの坂道を急ぎ、次の札所に向かう。(Y.I)