K 45番札所・岩屋寺 2014.10.7

巨岩が迫る岩屋寺。

 遍路旅を計画する前から書物で知っていた寺、岩屋寺。頭の中では、車道の脇に岩山があり、その下にある寺と思っていたが、地図を調べて山中にあることは理解できた。しかし、現実は松山の避暑地に当たる久万くま高原に上がり、大宝寺(44番)へ。そこからなおバスで分け入り、岩屋口バス停。石仏と石灯籠に導かれ、水の滴る参道を上がり、岩壁の直下の小さな平地に立つ本堂。大師堂があり、岩に圧倒されながら参拝をする寺だった。

 幸い天候に恵まれたが、雨が降れば岩が落ちてくる気配もある。このような所に良く建っていると、先ず感心し、その建物が永く保持されているのに敬服した。石の強さを知り尽くした先人が寺を開き、修行に励んだ姿が目に浮かんだ。

 「山は崩れるもの」と浅学の私には想像もできない現実があった。私は納経所で「岩は落ちてきませんか」「落ちますよ」。当たり前なことを聞いてしまい、今でも後悔と恥ずかしさが込みあげてくる。上の物が下に落ちるのは道理。生死と同様に起こりうること。それを気にしては、生きていけない。参拝後も覆いかぶさる岩に追いかけられるように山を下りた自分の姿を回想している。

 久万高原でバスを乗り換え、途中下車して浄瑠璃寺(46番)を目指す。バスに乗ると地元の方と思われる女性が話しかけてくる。

 「松山まで戻り、またバスで浄瑠璃寺に来ようと思っているのですが」「途中下車して1時間ぐらい歩けば着きますよ」

 下りとは言え山道。一人歩きは不安だったのだろうと思われた。塩ヶ森で下車、舗装された道を札所に向かう。聞くとはなく耳に入る女性の話は夫婦の問題らしい。その解決を求めての札所参り。遍路をする誰もが現実の不安や悩みを抱えて歩いている。途中で会ったのは軽四輪トラックのみ。重苦しい時間を過ごし、浄瑠璃寺に着く。

 参拝後、女性は次の寺へ。私はすぐ前の遍路宿へ向かう。驚く。宿は皆こじんまりしているものと思ったら、団体のバスを受け入れる旅館になっていた。善意から開いている各地の遍路宿は経営者の健康や設備の問題で歯が欠けるように廃業しているが、条件が合えば経営が成り立つことを示している。歩き遍路が続く限り宿は必要だと思う。オーバーハングした岩の下に寺を開いた先人同様、遍路文化の一翼を担う宿の確保も地元の方々の英知でこれからも継続していただけると思った。感謝。(Y.I)