J 南国宇和 2014.9.30

仏木寺の境内はすがすがしく掃き清められていた。
神仏習合の面影を伝える龍光寺。

 暖かい。雨模様のせいだけではない。やはり愛媛は暖かい。バスに揺られ峠を越えて、雨の中、南宇和の観自在寺(40番)に着く。傘をさしての参拝は初めてだった。参道を戻り、国道近くの配達を担当している郵便局で雨宿りをする。バスの時刻になったので外に出ようとしたら、「杖が無い、お寺だ」。傘もささずに小走りで寺へ。5分ほどでバス停に戻れた。一番大切な御大師様の身代わりを忘れても、傘だけは持っている自分にあきれる。遍路の身が小さくなった。

 昔、宇和島城主は仙台伊達家から来た。私は仙台の地名に関わった宇和島の地に親しみを感じていた。宇和島では、翌朝早く出発したので城を見ることはできなかった。夕方、食事のために町に出たとき、街路樹も風も人情も上州とは異なって感じた。午後6時を過ぎたのに駅の付近の商店は開いていた。その日は朝から満足な食事が取れなかったが、立ち寄った食堂の女将から、やさしい言葉と温かい接待を受け、名物の鯛めしもおいしくいただけた。宿への帰り道、旅の途中で無くした虫眼鏡を店頭で見ていると、私と同年ぐらいの店主から、「これはガラスで良いです」と勧められ、その言葉にひかれ買い求めた。雑談の中で宇和島の良さを強調されたのが印象的。郷土愛に満ちている話だった。

 翌朝バスで北に向かい、県道そばの仏木寺(42番)へ。バス停でほうきを持った方を見かける。すがすがしい境内、行き届いた清掃。寺に入った瞬間に身が引き締まった。思い起こせば、今まで歩いた各寺では、遍路道に散らかったごみは見かけていない。毎日人々の生活圏を歩いているのに、収集用のごみ袋の山も見られなかった。今思うと、これも大きなご接待で、四国全体が稀有な地域に感じられる。その中でも特に仏木寺は掃除が行き届いていた。

 逆打ちになるたんぼ道を龍光寺(41番)へ。歩き遍路の方5人にすれ違う。徳島よりかなり歩き、遍路の人数が少なくなっている。寺の入り口には鳥居があり、神仏混合の寺。本堂は少し高台にあり、見晴らしの良い境内で、区切り打ちの若者、大きな荷物の外国人、大洲の宿を探していた女子3人と束の間の話をする。彼らは皆仏木寺へ、私は反対方向の務田駅へ向かう。駅で列車を待っている時、菩提寺から戴いてきた腕輪の数珠が切れた。転がった球を拾い集めたが数が足りない。「ボサッとした時間はないぞ」と叱られたと同時に、「真剣に無くなった球を探しなさい」と命じられた思いでホームを探していたら列車が到着する。探しきれない思いを抱き、今も忘れられない駅名となっている。(Y.I)