@ セイカイ セイカイ ダセイカイ(遍路前夜) 2014.7.15

 心にゆとりが出来たためか、四国遍路に興味が向いた。十年余前に購入した岩波新書で著者が歩いた文章を追いながら、そこに吸い込まれている。

 遍路道の中に人生の教訓が所どころで示されていた。日々20〜30キロも歩くと、人は自然に溶け込み、草木や雲や大地に話しかけることができるらしい。ただ一人歩いていても寂しさは無く、一人では生きていけぬことに感謝をしている。

 車や電車の行き来する脇をただ黙々と歩く。日常と異にする非日常。風雨も関係なく、雨に濡れれば濡れたままただ歩く。遍路道には、山や峠もある。お遍路さんにはコンクリートの国道よりも山道のほうが歩きやすいらしい。その山道で迷っても冒頭の言葉、セイカイ セイカイ ダイセイカイが出てくる。道を選ぶのは歩く本人、選んだ以上は間違いないと思うことらしい。

 私も若いころ男体山の裏で道を間違え、一時間近く戻り下山したことがあった。正解が幻となり、自信を無くして間違えを確認できた地点まで戻った。山ではできるが、人生の時間では不可能だ。人生の振り返りをしても始まらない。選んだ時が正解であり、ダイセイカイなのだと教えて貰った。機会があれば四国へ、憧憬が膨らんでくる。(Y.I)