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 歩いてみよう 

いつもは車で通り過ぎてしまう身近な場所を歩いてみませんか。きっと新しい発見があります。

 6 中世の砦・建岩と道帰り山

 暦の上ではすでに夏。鹿田山の若葉も日増しに色合いを増している5月の下旬、建岩(たついわ)、道帰り山(どうがえりやま)を歩きました。この2つの山は、鹿田山の北端に聳える山です。道帰り山の標高は235.2m、笠懸で一番高い山ですが、平地から70mほど盛り上がった岡程度の里山で、運動靴で気楽に歩けます。
 鹿田山は、南北朝時代にはそれぞれの山頂に「弥衛門山砦」、「雷電山砦」「道帰山砦」「建岩砦」があって、清水北口地区の「泉沢城」の防御にあたったといわれていて、建岩、道帰り山には、自然の地形としては不自然な、山の斜面を掘り取ったような跡がいくつか見られ、当時がしのばれます。歴史に興味のある方には興味をそそる散策ポイントではないでしょうか。

天神山の遠景

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スタート地点を、山のふもとの「吹上集会所」にとりました。集会所の脇には彩られた「鹿田山周辺案内図」があり、地域の概要や歴史などを紹介しています。案内板では、周辺に2つの庚申塔と、歴史のある水溜りがあると記されていたので、山に登る前に辺りを一周することにしました。

クリックすると拡大図が見られます

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集会所から東に歩を取り、県道大間々・世良田線に向うと、県道との交差点の南角に、子どもが触るとひっくり返るといわれる「子供嫌いな庚申様」があります。さらに県道を60mほど大間々方面に進んだ交差点の角にも庚申塔があり、こちらは「子育て庚申」と呼ばれていて、子どもが大好きで何をしても怒らない庚申様だそうです。昔、吹上の子どもたちは、「子供嫌いな庚申様」には近寄らず、「子育て庚申」で遊んでいたといわれています。
※庚申様→健康長寿の神(仏)といわれている。庶民の信仰が厚く、五穀豊穣や病の全快、幸運などを祈った。笠懸には707基もの庚申塔がある。

「子供嫌いな庚申様」と「子育て庚申」

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子育て庚申からは新里方面に進みます。この辺りは、道が狭く交通量もあるうえに歩道がないので交通事故に遭わぬよう注意して歩かなければなりません。230mほど進んで人家の途切れたところを左折し、道なりに山の際まで直進すると突き当りの左側に、コンクリートと玉石で護岸された水溜りがあります。「七つ井戸」と呼ばれている、縦8m、横5mくらいの湧水地で、水涸れしたことがないといわれています。上杉謙信がココで飲水したとか銅山街道を行き交う旅人や銅を運ぶ人たちが利用したとかの伝説があります。
 「七つ井戸」から300mほど山際の未舗装道路を南に進むと「吹上集会所」に戻ります。一周は1,100m程でした。

新里方面への道と「七つ井戸」

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さて、いよいよ山登りです。集会所から70mほど坂道を行くと右側に石段があり、山登りの第一歩はこの石段です。1段の高さは15cmほど幅が25cmほどで、結構きつい勾配の石段です。172段目が踊り場のようになっているのでここで呼吸を整え、残りをハーハー言いながらも一気に登ると、標高211.3mの建岩の山頂です。集会所脇の案内板には、石段は337段あったが道路工事で一部が削り取られ305段になったと書いてありましが、実際にはさらに数段少ないようです。この一帯は、地域の老人会の人たちによって下草が刈り取られるなど手入れが行き届いていたのですが、今日はその様子が伺われません。しばらく中止されているのかもしれません、残念です。

建岩への石段

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山頂部は比較的平坦で、以前は神主の常駐する神社が建っていて、雨の神、山の竜神の石宮があり、琴平様、蚕影(こかげ)様が祀られていたそうですが、遺構はほとんど消滅しています。これらの神々は、現在8区公民館脇の赤城神社に移されているそうです。山頂からは、桐生、大間々の市街地や鳴神、吾妻、袈裟丸、赤城の山々の大パノラマが開けていると期待していたのですが、若葉をつけた木々がブラインドとなっていました。

建岩の山頂と山頂からの眺望
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建岩からは尾根づたいに道帰り山へと続く踏み跡があります。鞍部へ向かって下るとすぐに道は2方に分かれます。左はすぐに渡良瀬養護学校の裏に出てしまうので、歩を右側に取ります。道の右側は切り立った崖のようになっていますが、眺望はここも樹木の隙間から垣間見る程度です。道帰り山の山頂付近はさらに樹木が生い茂り眺望は望めません。しかし、木陰の中からは澄み切った鶯の鳴き声や寡聞にして名前は分からないが小鳥たちの声が聞こえてきます。遠方からはケーンと甲高く鳴く雉の声も聞こえました。癒されるひと時です。里山の良さを実感しながら歩いていると、突然セミの声が聞こえてきてビックリ。鹿田山もいよいよ夏のけはいを色濃くしています。

鞍部の分岐点と尾根からの眺望

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まもなくすると2つの石宮が鎮座しているところがあり、その先が山頂です。4等三角点が道の脇にありましたが、枯葉に埋もれて見落としそうです。道はこの後、山頂をぐるりと廻るように下りに入ります。「道帰り山」の名称も、こうして道が廻って戻ることからそう呼ばれるようになったという説があります。一方、新田義貞がココに陣を張り、この地から引き返して鎌倉に軍を進めたので「道帰り山」と呼ばれるようになったという説もあります。真偽の程は分かりませんが、どちらにしても変わった名前です。道帰り山の周辺は、山の斜面が掘り取られたり、道が段々に削られたりした跡があるので、砦があった痕跡を見つけて歩くのも愉しみだと思います。

道帰り山の石宮と三角点
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樹林帯を下っていくと、右手に視界が開けたところに出ます。西毛の山々が肩を並べて見えそうですが、この日は黄砂のためかいまいちよく見えません。そのまま進むと、左手に腐食した金網に囲まれた「清水配水地」があり、ここが分岐点です。直進は渡良瀬養護学校の裏手当たりに出そうですが、踏み跡も薄くなっていくので右手に降りることにしました。真っ直ぐの下り坂を降りて行き竹林の中を抜けると、清水地区の道帰り集落を通る舗装道路に出ます。ここを左に折れ進むと渡良瀬養護学校の裏手に出ます。学校を左手にしてぐるりと廻るように進むと、スタート地点の吹上集会所に戻り、今回の散策コースは終わります。

配水地の分岐点と竹林の下り坂

ひとこと
 所要時間は、吹上集落部分が15分、山岳部分が20分、道帰り集落から吹上集会所間が11分で、一周46分でした。
 吹上の集落では、車に注意を払わなければなりませんが、山の散策では難コースのところはなく、1人で歩いても不安や危険はないと思われます。軽装でお出かけください。(2007年5月26日)

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