奈良・平安時代の住居跡を発見 〜笠懸西小建設用地の調査で 2020.10.6
遺跡発掘調査が行われている笠西小建設用地。 |
9世紀のものとみられる住居跡。 |
みどり市笠懸町鹿の笠懸西小学校の建設用地で遺跡発掘調査が現在行われて、奈良・平安時代のものとみられる住居跡などが発見されています。今から1200年も前の赤城山を望むこの地域の風景に思いが膨らみます。
学校建設に先立ち市が試掘調査を行ったところ住居跡が確認されたため、現在、学校用地の北部分、校舎が建設される予定になっている場所で発掘調査が行われています。発掘調査の指揮をとっている岩宿博物館長の萩谷さんによると、これまで奈良・平安時代の竪穴式住居跡が10か所、井戸の跡、縄文時代の獣の捕獲用と思われる落とし穴6か所などが見つかっているということです。現地で説明を聞きながら見させてもらうと、住居跡はいずれも北西から吹く赤城おろしを背にするように建てられていて、また赤城おろしを避けるように家の東側に竈(かまど)がつくられているようすがうかがえました。萩谷さんは、「発見された甕(かめ)のふちの形から9世紀ごろの住居ではないか」と話していました。
ここから北を望むと鹿田山が大きく横たわっていて、昔は新田郡、山田郡、佐位(佐波)郡、勢多郡の郡境をなしていたとのことです。そのふもとでは大田んぼからとれた良質の粘土を原料として瓦を焼いたとみられる窯の跡が発見されていて、また、西に目をやるとこんもりとした天神山が見え、そこには凝灰岩の採掘場跡があります。奈良時代、聖武天皇によって出された詔によって建てられた上野国分寺では、ここで切り出された凝灰岩が基壇などに使われ、ここで焼かれた瓦が屋根に使われました。つまりこの地域は一大工業団地であり、大田んぼという水場も近いこの辺りに工人たちの集落ができたのではないかということです。発見された落とし穴も、それよりもさらに前、縄文人が水を求めてやってきた獣を追い詰めて穴に落として捕まえたのではないかという萩谷さんの説明に、当時の人々の暮らしにたいする想像が膨らみます。
発掘調査は11月末まで行われる予定です。その後この場所には校舎が建つことになるので、遺跡は壊されることになりますが、長い間土の中に埋もれていた古の人たちの暮らしのようす明らかになり、貴重な記録として残されることになりました。