「悲しみの半分、毒」      

               島田雅彦

愛する人の亡骸(なきがら)が焼かれる時、
棺の周りで取り乱す人も一時間後には
・・・この骨はどこの骨ですか?
と聞く余裕を取り戻す。
自分が思っているより心の容量は大きい。
悲しみの半分は
今ある日常が変わることの憂鬱。
あす早起きしなければならない辛さ。
あらためて相手や仕事を
探さなければならない面倒。

らない面倒.

君も私も毒なしにはいられない身だ。
記憶を曖昧にしたり、めまいを覚えたり
理性をなくしたり、早死にを促したり、
しかも、一回限りでは済まないものばかり
好んで体に取り込むところをみると、
木から落ちたりんごのように
発酵や腐敗を急ぐ理由があるのだろう。
毒を食っても食わなくても
行き着く先はみな同じ黄泉(よみ)の国。
そこには貧富の差はなく、万人が平等で
全ての自由が認められているがゆえ退屈で
先にそこに着いたものは後悔するらしい。
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2003年1月4日「朝日新聞・夕刊」掲載

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