--------------------------------------------------

   『女房をモデルに「責め」の體驗的研究を貪る伊藤晴雨氏』

   --------------------------------------------------

 細君を、たとひ實驗のためとは言へ、責めてどんな氣持ちがするのだらうか。伊藤氏はこの場合「女房」とは思はず、「情婦」と思つて行動するのださうだ。繩が女の肉體にくひ込む時の手應へに一種の快感がある。それは行李を繩で一段強くしめた時に感ずる快感に似てゐる。また弓に矢を番へて切つて放し、時に感ずる快感にも似てゐる。女が苦しむのを見るのもいい氣持のものである。苦しさの中に美がある。平生にはない美がそこにあらはれている。隠れてゐるものの露出が面白いのであると。
では、帰世子さんは責められてどんなつもりでゐるのだらうか。

「初めのうちは相對ずくだと思つてゐますけれども、縛られたり、吊されたりして、長くなりますと、どう言つていいでせうか、反抗心といふやうなものが湧いて參ります。レンズに入る時も、苦しいといふよりは憎らしいといふ感じで胸が一杯です。これまで責めてもなほ飽足らないのかと怨めしくなります。自然にこわい顔にもなるのでせう。けれども、傍に見物がゐたり、仲間のものがゐたりすると、こんな氣持にはなれません。却つて滑稽に感じて來ます。」と歯切れよく、帰世子さんは物語つた。    

         無斷轉載:「サンデー毎日」
大正13年6月1日號

            *帰世子さん=伊藤晴雨の2度目の妻

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

 愉快は美に反し、露見はつまらなく、傍觀者は邪魔である。

               まだまだ、だな、若合春侑。

                     

                       

            「密室と臺風と地震と雷がすきです。」と歯切れよく語る

                                    すう


次へ進む

◎『正字正假名遣ひ文を樂しみませう。』へ戻る

◎INDEXに戻る