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資料集

つくしまほろば
倭国筑紫王朝

つ く し 伝 説


更新 10/07/31

(1)邪馬壹国
 1.水行陸行
 2.末廬国
 3.伊都国
 4.奴国
 5.不弥国
 6.
投馬国
 7.女王国
 8.侏儒国

 

 

邪馬台国

 「倭国筑紫王朝」の前身は、魏志倭人伝に描かれた古代国家「邪馬台国」である。その女王卑弥呼は「日の巫女」であり、古事記・日本書紀に登場する「伊奘冉(いざなみ)「天照大神(あまてらすおおみかみ)」あるいは「神功皇后(じんぐうこうごう)」のモデルとなった。

 魏志倭人伝は「ヤマタイコク」を「邪馬台(臺)国」とは記していない。「邪馬壱(壹)国」と書き、「山一国」か「山居国」あるいは「山入国」の意味であり、女王の在所地を言っている。女王卑弥呼は「日の巫女」として、太陽に近い山岳に住み、高地性集落を形成し、周辺諸国を宗教的に支配した。

 縄文時代一万年の時間が育んだ山岳信仰と、稲作伝播の道程、古代中国・朝鮮との関係を考えれば、「邪馬台国」の位置はおのずと簡単に想像がつく。

邪馬壹国の主な国々

 日本列島で本格的に稲作が行われるようになったのが、今からおよそ2300年前と云われ、それ以前の、およそ一万年を縄文時代と云う。縄文時代の人々の生活は、狩猟・魚撈・採集が主であり、山への依存度は特に大きかった。天候が許す限り(日の神に祈りながら)人々は山に入った。動物を追い、木の実を採集し、沢に入って魚を捕った。

 高い山はその形成過程から奇形をなす事が多く、また、その地形的要因が作り出す色々な光の模様は神秘的な風景を描いて見せた。そして毎年おびただしい数のサケ・マスが、山を目指して遡上して行く様を、縄文人は神の仕業として眺めてきた。そうした山のいくつかは、縄文時代一万年という膨大な時間の中で、「神々が住む山」として人々に崇拝され、崇められるようになった。

鮭神社

鮭神社

 祭神は日子穂穂出見尊豊玉姫尊鵜葺草葺不合尊の三神。
 神武天皇が東征の途中この地に祭ったとする伝承がある。
 福岡県嘉麻市大隈

  紀元前221年、中国大陸は秦の始皇帝によって統一されるが、その頃にはすでに、日本列島への集団渡海を可能するほど造船技術は発達していた。大陸からの移住民の多くは、朝鮮半島から対馬・壱岐を経て北部九州に入った。彼らは平地に住み稲作を始めるが、しかし山の動食物や燃料としての木々等の資源は彼らにとっても、やはり必要不可欠であった。やがて現地の縄文人との混血、同化が進むなかで、稲作中心の弥生時代になっても、山岳信仰は人々に受け継がれていった。

金立山

金立山

 徐福伝説の山。紀元前210年、秦の始皇帝の命を受けた徐福は、東海の三神山にあるという不老不死の薬を求め、三千人を引き連れ船出した。その後、この山に入ったとする伝承があり、徐福を祭る金立神社がある。
 佐賀県佐賀市金立町金立

 北部九州の最高峰は「英彦山」である。「ひこさん」と読み、古くは「日子山」と書いた。玄海灘洋上からも見える怪奇な姿のこの山は、楽天地をめざし船出した渡来人の眼には、「東海の三神山」に写ったに違いない。

 「邪馬台国」の「邪馬」は「山」のことであり、女王「卑弥呼」は、玄界灘から見える北部九州で最も高い、この山にあって、「日の巫女」として人々の信仰を集めた。魏志倭人伝に云う「女王之所都」である。

英彦山

 当然の事であるが、日本の正史「日本書紀」にもこの山は、天孫降臨の地として登場し、「筑紫の日向の高千穂のクジフル峯」や「日向の襲の高千穂の添山峯」と書かれている。この事は別に詳しく触れることになるが、まずは、魏志倭人伝の邪馬台国への道程を現地に追ってみる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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