第34便・・・ユーロ流通事始め 

  新年明けましておめでとうございます。

 今年、2002年1月1日は、ヨーロッパにとってはユーロ流通開始の日でもありました。当日は休日でしたから店はほとんど開いていません。また1年定期を持っていますから切符を買う必要もありません。その日、初めてお金を使う機会はコンチェルトハウスのクロークでした。
 クロークでは混乱を避けてユーロ用とシリング用とに受付を分けていましたが、ほとんどの人がシリングの方に並んでいました。お釣りもシリングでした。私の手元にもまだシリングしかなかったのでシリングで支払いましたが、ユーロで払った人はユーロでお釣りをもらっていたようです。ただこのときの料金設定がいままで1着につき11シリング(約100円)だったのに突然22シリングになっていました。ユーロの方も1着につき1ユーロ60セントという表示です。「便乗値上げ?それにしても倍の金額になるとは」と驚きましたが、これはお正月特別料金だったようです。プログラムに関しても会場入り口にシリングとユーロの双方で書かれた張り紙が張ってあり、私を含めほとんどの人がシリングで買っていました。というわけで1日はすべてがシリングですんでしまい、ユーロ初体験は翌日に持ち越されました。

 スーパーのレジに並んでいると、まず「シリング?オイロ(Euro のドイツ語読み)?」と聞かれます。「シリングで」と言うと、レジ係はボタンを押し合計額をシリング表示に直します。シリングを出すと、レジ係は受取金額を打ち込んでからボタンを一押してユーロに換算し、お釣りをぴかぴかのユーロでくれました。レシートにも合計金額、受取金額、お釣りがすべて両方の通貨で記載されています。スーパーでは数ヶ月前からすでに商品の価格は両方の値段が併記されていたのですが、この日のために準備万端整えていたようです。
 小売店の対応も見事なものでした。靴を修理してもらいに行ったところ、靴屋のお兄さんも「シリング?オイロ?」と聞いてきます。シリングで支払うと、手元の電卓で引き算をしてからユーロマークのボタンを一押しし、ぴかぴかのユーロでお釣りをくれました。もちろん彼もユーロそのものには慣れていませんから、裏返してコインの金額をちょっと確認したりしてはいましたが、受け取ったシリングはちゃんとユーロとは別の引き出しにしまっていました。

 初めて手にするよその国の通貨は、いつでも、おもちゃのように見えます。ところが今回のユーロ導入ではすべてが新札とぴかぴかコインですから、なおのこと、お金だという実感が湧きません。ユーロ、紙幣はユーロ導入の12か国で全く同じものが使われています。いっぽう、硬貨は国によってデザインが違います。オーストリアの1ユーロはモーツアルト、2ユーロはマリア・テレジアです。面白いことにモーツアルトの肖像には「Mozart」と書かれていますがマリア・テレジアには何も書かれていません。これが誰かは書くまでもないということなのでしょう。ユーロの下の単位はセントで、100セント=1ユーロです。10セント硬貨はシュテファン寺院、20はヴェルヴェデーレ宮殿、50は分離派会館 Secession です。2日に受け取った硬貨はすべてオーストリアの硬貨でしたが、あっという間にいろいろな国の硬貨が混ざっていくことでしょう。

 地下鉄の切符の自動販売機は数日前から新しいものが設置され、「現在使えません」という張り紙が張られていました。1日になったら一斉にはがされるのだろうと期待したのですが、わが家の最寄り駅 Pilgramgasse では1日はそのまま、2日になっても張られたままでした。3日からようやく使えるようになりましたが、この間切符の必要な人はどうしたのでしょう。もう一つの問題は電話です。町中にある公衆電話はまだシリング対応です。手持ちのシリングがすべてユーロになってしまうとコインで電話はかけられないということになります。シリングが使えるのは2月いっぱいということになっていますが、それまでに電話機がすべてユーロ対応になるのでしょうか。

 このように小さな問題は起きてはいるものの、オーストリアでのユーロへの切り替えは非常に順調に進みました。3日の日の買い物で支払い時に「オイロ」と言うと、店員さんが嬉しそうに微笑んでくれました。そして4日から数日チェコまで行き、戻ってきてみると、その数日の間に街では小さな変化が起きていました。スーパーでのレジでの質問は「シリング?オイロ?」ではなく、「オイロ?シリング?」になっていたのです。レジに並んでいるお客さんもシリングではなく、ユーロで払う人のほうが明らかに多くなっていました。それに対して、イタリア旅行から帰ってきたばかりの友人の話ではイタリアでは1月になっても料金をリラのままで表示している店が多く、ユーロでと言うと慌てて計算機を取りに行き、お釣りが来るまでが一騒動という状態だったとか。また、ユーロへの切り替えはゲルマン系の国ではスムーズに行われたが、ラテン系の国々ではかなり混乱したという話も耳にしました。同じ日から一斉に同じ通貨を使うことになっても、人々の対応の仕方が異なっているあたり、まさに現在の EU の状況をそのまま象徴しているかのようです。そうは言っても各国通貨から共通通貨への切り替えが始まった今、これまで以上に EU 諸国の相互の繋がりが強くなるのは確かだと思われます。ユーロの現金流通後10日目に、レストランで受け取ったお釣りの中にイタリアの1ユーロ硬貨がはいっていました。


後日談:ちょうど2週間後の1月14日に再びコンチェルトハウスに行ったところ、入り口付近のクロークには、大きな字で「ユーロ」と書かれた張り紙があり、小さな字で「シリングの方は奥の受付へ」と書かれています。奥のクロークのさらに一番奥の受付1列のみがシリング用になっていました。たった2週間でシリングは完全に端の方に追いやられていました。実際、シリングで払う人はもうほとんどいないようです。そして、クロークの料金ははちゃんと以前と同じ11シリング(ユーロでは80セント)に戻っていました。