私が単身赴任でウィーンに来ているお話はいたしましたが、ようやく主人が日程をやりくりして、日本からやってきました。日頃の罪滅ぼしに、好きな音楽をたっぷりという音楽三昧の日々をプレゼントしました。そして今回の特別寄稿となりました。どうぞお楽しみを。

その3「マーラーとウィーン」

 オーケストラの歴史の中で指揮者としてのマーラーが果たした役割は群を抜くだろう。
 ウィーンの宮廷歌劇場の指揮者に就任した彼は、管の基音のチューニングを統一することに着手したのだ。いまでは当たり前のことであるが、彼以前のオーケストラの楽器は楽器作者の間で微妙な音程の違いがあり(楽器制作が徒弟制度に支えられていた名残で、作者の出身地でそれぞれ自動的に決められていたようだ。)各パートが全員で同じ音を出してもけっして揃うことがなかったのだそうだ。これは今では考えられないことだが、マーラー以前では別に特別あわせなければいけないという意識もなかったのだろう。世の中全体が今よりずっと静かだったはずだから、細やかな響きまで耳にはいっただろうし、基音の違いに神経質になっていたらやっていられなかったのかもしれない。マーラー自身がどう考えてそのことに手をかけたのかは知らないが、今日、基準の「ラ(A)」が 440Hz だとか 442Hz だとか決まりさえすれば全員が同じ音を出せるという常識の基を築いてくれたのだ。
 だから、ウィーンフィルでマーラーを聞くというのは特別のことといってもよい。もっとも、マーラーとウィーンフィルとの関係は何冊も本が出るほど複雑で、いい話ばかりではなかったわけだが、今日ではウィーンフィルは好んでマーラーを演奏し、多くのウィーン子は「おらが街の作曲家」だと信じているようだ。
 今回のウィーン行きに際してはコンサートカレンダーをにらみつけ、ウィーンシンフォニカーの9番と前述のウィーンフィルの3番を見つけたときは天にも昇る心地であった。ウィーンシンフォニカーはウィーンを代表するオケのひとつで、ウィーンのもう一つの大ホールコンチェルトハウスとムジークフェラインの両方を活動の場にするオケだ。9番を先に聞いた。シンフォニカーの音はその時点ではウィーンフィルの音を聞いていなかったわけだが、明らかに違うのだ。すでに聞いたベルリンフィルとも違う。同じように長い歴史を持つにもかかわらず作り上げる音が実に若々しいといったらよいのだろうか、躍動感にあふれている。もっとも、手に入れた席が最前列、コンサートマスターの足元だったから、スフォルツァンドで全員が腰を浮かせてエイヤッと弓を引ききるのを目の当たりにしたからかもしれないが・・・・・それにしもダイナミックかつパノラミックな演奏はそれまでの9番に対するイメージを根底から覆すのに十分だった。

 さて、ウィーンの音楽に満ちあふれた日々も最後になった。そして、前述の通り、今日は待望のウィーンフィルを聴く日である。マーラーの3番。マーラーシンフォニーのすべてが網羅されているともいえる多彩でドラマに満ちた作品である。誇大妄想的19世紀末のヨーロッパの精神世界とオーストリーハンガリー二重帝国の田舎町に育ったマーラーの素朴純朴な少年期との間にある心の空間をすべて音で埋め尽くしたと表現してもいい華々しくもあり、同時に作曲者の内面世界をえぐり出したともいえる長大でかつ複雑な曲である。
 壮大なこのシンフォニーをブーレーズとウィーンフィルはどう料理するのだろう。3時半、それまで小編成のベルリンフィルで聞いてきたムジークフェラインのステージはオケのメンバーであふれんばかりになっていた。ここに4楽章になったらウィーン少年合唱団とソリストのオッターが加わるはずだけどそんな隙間あるのかしらというほど。

 ブーレーズの棒は実に淡々ときっちりテンポをキープしながら曲を進めていく。音に表されたマーラーの強気よりも少年の時代、遙か彼方の幼い自分自身への内気なまなざしを曲の間から探し出すようなそんな棒であった。
 そして、待望のウィーンフィルはといえば、これは言葉を飲む。見あげるムジークフェラインの天井に描かれた女神達とともに心は宙を舞い至福のひとときに思わず涙した。

 数十年来、様々なオーケストラを聞くたびに曲の解釈を、演奏技法をあれこれと吟味してきた自称評論家は完全に打ちのめされたのだ。音楽とともにあること。音楽の中に完全に浸りきること。言葉など元々いらないものだった。
 そんな経験のあと、第9を聴くのは少々つらかった。でも、ウィーンでの夢のような日々の締めくくりを飾るのにはこれほど適した曲もないだろう。「おお友よ」。18世紀から19世紀までの200年にわたって、ヨーロッパ音楽の本流をなしてきたハプスブルグ家の都でそれぞれの世紀末に現れた二人の巨人の曲を聴くことがウィーンとの別れの儀式でもあった。

 さてさて、夢の日々を思い返すと言葉が無限にといってもよいほど湧き出してくるのだが、とりとめのない話をいつまでも続けるわけにはいかない。そろそろ筆を置こう。もし、拙文をお読みになってムジークフェラインでコンサートをとお考えになる方がいらっしゃるなら、是非そうしていただきたい。確かにチケットの入手方法は地元に住んでいる人間でないとわかりづらい部分もあるが、インターネットでの予約もできるし、片言であれ英語がしゃべれればチケット売り場で入手も可能である。さらに街のチケット屋さんでも若干の手数料さえ上乗せすれば現物を買うこともできる。個人的な体験だけを元に断言するのはどうかと思うが、あえて言ってしまう。是非ムジークフェラインの響きを一度は聞いていただきたい。汲めどもつきぬ音楽の泉を掘り当てることは間違いない。

.....おわり...... 

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