第8便 リルケと歩いた秋の日


奥に見えるのが元お城の塀だったかも知れない長ーーい塀
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 今年のウィーンの秋は、例年になく暖かいが続いていました。そしてもう11月も末だというのに、最低気温が7度とか8度位で東京の方がむしろ寒いようです。
10月に入ると寒くなるから、ともかく寒さに備えた準備をと脅かされて、コートを3枚も荷物に詰め込んで来たのですが、11月になっても日中コートなしでも歩けるくらいの日が何日もありました。9月の末に来たときに木々は既に美しく赤や黄色に色づきはじめていましたが、その紅葉・黄葉の時期がともかく長かったので、ウィーンの秋の美しさをしっかり味わうことができました。

 そして今日、朝起きると素晴らしい青空が広がっています。日本の秋には秋晴れという言葉がありますが、ウィーンの秋は時に小雨の降る曇りの日が続きます。久しぶりの青空が嬉しくて、今日は授業はない日だし、と急遽予定を変更してともかく外に飛び出すことにしました。目指すはウィーン郊外にある古い城下町 Rodaun です。

 地下鉄で Heizing に行き、そこで市電16番に乗り換えて終点まで行きました。
 城下町と言われていたので城跡をさがしてみたのですが、見つかりませんでした。でも小高い丘の中腹に町の教会があり、そのちょっと手前に裏山に上る小道がついていました。その小道には、Statswanderweg ちょうど「ふるさと街道」とでも訳せそうな名がついていましたので、その道を歩くことにしました。とはいえそこは裏山に登るという感じのみちで、人のまるで通らない、落ち葉のつもった上を歩く道です。あたりには白樺も生えていましたし、八ヶ岳の遊歩道を歩いているようです。
 誰も通らない道を、ずっと一人で歩いているのはちょっとこわくなります。ようやく頂上かというところに、ベンチが3つ置かれていて、そこで初めて人に出会いました。ここまで20分ほど誰にもあわなかったのです。で、初めてであったその人は、ベンチで本を読むちょっと気むずかしそうな老婦人でした。ここまで一人で静かに本を読みに来たのでしょうか。声をかけるのもためらわれたので、そのまま通り過ぎましたが、そう言えばさっきの教会の脇のベンチにも老婦人が一人座って何か書き物をしていました。考えてみたら今日は平日ですから、昼間のこの時間にこんなところにいられるのは老人くらいかも知れません。

 そこから来た道を戻るのもつまらないので尾根沿いに歩き始めました。その道は左下には国道、右下には Rodaun の街が見えていますから、お城と街とを囲む要塞の役目をはたしている裏山の尾根の道ということになります。街の北側を取り巻いていると言う感じでしたから、この理想的な地形をいかしてお城が造られたのでしょう。
 ぐるりの尾根が下り坂になると塀にぶつかりました。ながーーい塀です。これがもとはお城の塀だったのかもしれません。ただ今はお城ではなく学校か病院のような大きな建物と広い庭がみえるだけでした。さっきの老婦人以外誰にも出会わなかったので、聞くこともできませんでしたが。
 塀沿いにしばらく行くと、道は小川にそって続いていました。小川の向こう岸は、すてきな住宅街になっていました。城下町というので古い街並みを想像していたのですが、そのあたりの住宅はすべて新しく郊外の町として開発されたところのようでした。それぞれ広い庭のある一軒一軒が個性的なすてきな住宅街でした。そして再び先程の教会の尖塔がみえてきました。

 さて、この Rodaunの 裏山を歩きながら私が何をしていたか、わかりますか? 何とリルケの詩の暗唱です。
 昨日ドイツ語の先生が突然、この詩はとてもきれいな詩だから、月曜までに覚えてきなさいというのです。単語の意味さえほとんどわからない詩を覚えるというのは苦役です。ともかく頭にはいらないのです。初めて出会った単語は、Sで始まるとか、Fで始まるとかはインプットできても、その先が覚えられない、ちょうどロシアの小説を読んだ時に登場人物の名前が何とかスキーと何とかエフというレベルでしか覚えられないのと同じ状況です。
 さらにドイツ語の名詞は女性・男性・中性と3種類あり、しかも性と格によって冠詞が異なってくるため、どれがどれだか分からなくなります。というわけで昨日の夜、あれこれ覚えようと努力してもなかなか覚えられず悪戦苦闘しました。
 ところが、ここで山道を歩きながら、声を出して口ずさんでみると不思議に頭にはいるような気がします。その詩は「Helbsttag 秋の日」という詩で、周りの景色がまさに詩のイメージの世界を盛りたててくれるからかもしれません。
 そして、詩を繰り返し繰り返し口に出しているうちに、ドイツ語の複雑な格変化の背景にある仕組みが何となく分かってきました。冠詞と形容詞と名詞の語尾変化に統一性をもたせようとする仕組みのようです。これはとても大切なことなのに、文法ではそれぞれを別々に扱うためこの特徴はなかなか浮かび上がってきません。また今のドイツ語のクラスはコミュニケーション重視のクラスのため、その文法さえほとんど教えてくれません。そこでこの仕組みはぼんやりと感じてはいたのですが、これほど見事だとは思いませんでした。
 しかもリルケはさらにその音の響きをより美しくするために、単に脚韻を踏むだけでなく巧みに音を整えていることがわかってきました。ドイツ語の先生はもしかしたら、そこまで考えてこの宿題を出してくれたのかしら、と一人で感心しながら、再び先程の教会に戻りました。

 趣のある古い石畳を踏みしめながら教会の周りをぐるりと歩いていると、道の向こうに寄宿舎制の学校がありました。そしてその学校の門のところにきれいに飾られた掲示板があったので、思わず近寄って眺めました。するとそこには何故かとても心惹かれるドイツ語が並んでいます。ええ?そんな!と思わず声を出してしまいました。
 そこにはたった今覚えたばかりのリルケの「秋の日」の詩が、美しい落ち葉の絵で縁どられていたのです。

 ウィーンがモーツアルトのウィーンであると同時に、リルケのウィーンだったことを改めて思い出しました。それにしてもドイツ語の先生の粋なはからいと、今日の美しい秋の日の偶然の出会いには、思わず神への感謝を捧げたくなりました。