第5便・・・日本人の剥製


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 続いてお便りいたします。

 マリアテレジアの像の下を威圧されつつくぐり抜け、再び自然史博物館に向かいました。大理石の階段を上り、まずは化石の並んだ古代生物館を眺めている間は、コレクションの多さには驚いたもののまあそれでも普通の博物館と言う感じでした。ただ、化石の復元でどこまで本物の生物の様子が正確に復元できるのだろうかと過去において疑問に思っていたことも、ここのコレクションを見ているうちに、これだけはっきりした形が残っていれば、なるほど再現は可能なんだと思えてきました。そして古代生物館が終わったところで出会ったのがこの地図です。ここにはヨーロッパからアラビア、インドへと陸地が連なり、大きく南にカーブしたところにエジプトがあり、アジアはその奥地にあるわけです。つまりこの時代のヨーロッパにとって、アジアはほとんどどこにあるのかさえわからない国、アフリカのさらに奥地にある未知の国なんですね。そうか、日本なんてその奥のまた奥で存在さえしないんだ、そんなことを頭の隅で考えつつ、歩みを進めました。

 すると階段の途中に人形が飾られています。それはモーツアルトの魔笛の舞台を模した人形でした。自然の声、動物たちの声を聞こうとしはじめた時代をまさに象徴しているのが魔笛だというわけです。人々が世に存在するさまざまなものに改めて目を向け、その存在の位置づけ、人との関係を明らかにしようとした時代、そして同時に人間とは何かを改めて問い始めた時代、そんな時代の雰囲気があの魔笛も現れているんですね。

 そしていよいよ生物館です。昔ながらのものから電子顕微鏡まで、色々な種類の顕微鏡が置かれ、自由にのぞけるようになっています。緑藻、ミミズ、うじむし、クジャクの羽、博物学のもっとも根幹におかれている思想、自然界のあらゆる現象に目を向けようというメッセージが伝わってきます。そして昆虫室、美しい蝶のコレクションもたいそうなものでした。そして、サナダムシの標本もありました。蛇の部屋もありました。アルコール漬けの蛙の部屋もありました。隣の爬虫類室にはワニの剥製が並んでいます。ありとあらゆる種類のワニが一斉に同じ方向を見て並んでいるのは、あまり気持ちのいいものではありません。それにしてもどうしてこんなに蛇やイモリやヤモリを集めたんだろう、きっと王家には「虫愛ずる姫」か「虫愛ずる王子」がいたんだろうななどと考えつつ見て回りました。ところが、さらに隣の鳥の部屋にはいると、これはまたすごい。フクロウもいれば小鳥もいる、これでもかこれでもかというように、ともかく世界のあらゆる鳥を全部集めなくてはならないという執念が伝わってくるほどに、本当にみごとに集めてあります。鳥が博物館にあるのは何の不思議もありません。ところが図鑑で見かけるあらゆる鳥が、写真ではなくて全部剥製で並んでいるということはとてつもないことであり、なおかつ、これほどすばらしいことはありません。写真では色や形はわかるものの、実際の大きさの大小ははっきりとは把握できません。動物園で実物が見られる場合にも、枝のどこかにいるのを必死で探し、このケージあのケージと動き回るうちにそれぞれの比較対比はできなくなります。それがここでは本当にあらゆる種類の鳥が一同に集められているのです。

 小鳥から駝鳥まで。それを見たとき、ふと、早稲田で教えたオーストリア人の学生のことを思い出しました。彼がどれほど鳥に詳しいかを知らずにうっかり「ほらあれが白鷺よ」と自慢げに指し示したところ、「先生、あれは白鷺ではなくて小鷺です。白鷺という種類はありません。」と教えられたことがありました。なるほど、彼はこうやって小さいころからあらゆる種類の鳥に接していたわけですね。そして、鷺のショーケースを探すと、私にはまるで名前が特定できない多種多様な鷺が並べられていました。

 ところがこの博物館のコレクションは鳥類にとどまりませんでした。ほ乳類までも集められていたのです。ええ、これは大変なことです。こんなことを現実にしてしまっている博物館が存在するのです。そして博物館という言葉の本来の意味はまさにこれを表しているということ、そして、何故マリアテレジアを挟む形で自然史博物館と美術史博物館があるのかという意味も読み解けました。ええ、神の創造物と人の創造物とをそれぞれの館がおさめているというわけです。そして、これを見ながら、先ほどの世界地図を思い出し、どこにあるのかわからない日本のことをふと思い、ひょっとして、日本人の剥製もこの自然史博物館のどこかにあるんじゃないかなどと思ってしまいました。(陰の声:きっとできることなら世界のあらゆる人種の標本も全部集めて置きたかったんだろうな。)そんなことを考えたら、なんだかほんとうに打ちのめされた気分になってきました。
 
 そのときトナカイが目に入り、そのやさしい顔をみながら、そうか、集めだしたらここまでやるんだとちょっと嬉しくなったものの、その次で完全にノックアウトされました。トドの剥製です。その大きさについては知っていましたし、アメリカで遠目に実物を見たこともありました。でも、遙か彼方にいるのは見たことがあっても自分と同じ床の高さで、背比べができるほどにすぐそばに並んで立つという体験はしたことがありません。ガラス越しではあっても、本当に間近にその大きさを体感できる。これはすごいことです。しかも動物園の元気のない状態ではなく、生き生きとした剥製のもつ実在感。そう、トドの前に来た人は、皆、口々に「わ、大きい」と叫び、思わず見上げます。そして、でっかーーい体つきの男性でも同じ反応をしました。
 
 トドの隣のケースはライオンでしたが、そのライオンが小さく見えることと言ったらおかしいくらいです。ここでは百獣の王もまるで存在しないかで、人々はちらと視線を投げかけるだけでとおりすぎていきました。

 以上が自然史博物館のご報告です。人の標本?ええ、たき火を囲む男女と子供がひとり。でも何故か全員毛むくじゃらでした。

 一連の展示を見終わりかいだんをおりたところに犬のぬいぐるみが、とおもったら、それはマリアテレジアの愛犬の剥製でした。

 博物館の外に出た私の目に、あたりを睥睨するマリアテレジアがまた飛び込んできました。