第4便・・・巨大なマリア・テレジア


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 昨日10月26日はオーストリア国家記念日というので祝日でした。そしてドイツ語の先生から「自然史博物館は一般に無料公開しているから是非行ってご覧なさい、でも午前中は人がいっぱいだろうからお昼頃をらっていくといいですよ」とお勧めがありました。

 自然史博物館があることは知っていたのですが、何が何でも行かなくちゃと言う気にはまだなっていませんでした。ただ、ウィーンの博物館が人でいっぱいになるということがほんとにあるのだろうかと思いました。これまでどこにいってもそこそこの人出で、日本のように人がわっと押し寄せているという光景は目にしていません。そこでその人混み状態をどうしても見たくなり、出かけることにしました。

 自然史博物館はマリア・テレジアの巨大な像の建つマリア・テレジア広場にあります。この広場を挟んで自然史博物館と美術史博物館が姿・形もそっくりに、対称に立てられています。一方この広場の道路を挟んだ向かい側は王宮です。つまりマリア・テレジアは王宮の前にどっしりと座り、世界を支配する王宮に君臨しているというわけです。そしてその王宮前には、国家記念日というので戦車が何台もでていました。男の子を連れた家族はここを目指してきている人も多かったようです。

 自然史博物館を遠くから眺めた時は、人混みと言ってもやっぱり日本ほどではないなと思ったのですが、近づくと入り口が人で埋まっていました。なるほど。じゃ、その前にちょっと美術史博物館でも見てこようかと、マリア・テレジアのそばを通り過ぎようとしました。ところがその像は、下を通るのがためらわれるくらいにすごい大きさです。マリア・テレジアは、馬に乗った4人の将軍、宰相を遙か下に見下ろしながら、台座の上で世を睥睨しています。

 美術史博物館に行ってみると、こちらもかなりの人でした。こちらも無料公開だったようです。ところが巨大な博物館は、人の波をどんどん飲み込んでしまいます。すぐに中に入ることができました。

 中に入ると、王宮と言ってもそのまま通用する作りでした。世界中の大理石を集めたのではないかと思われるほどふんだんに使ってあります。そして白い大理石の美しい中央階段をのぼると絵画館です。16世紀から17世紀にかけてのヨーロッパの名だたる作家の作品は全部持ってきてしまったかのように、その時代の物は集中的に集められています。ですから基本的に宗教画と肖像画が中心になります。まだ十分に修養をつんでいないからでしょうが、私の目にはどれもこれもがほとんど同じに映り、それぞれの画家が描きたかったのは自らの信仰心なのだろうか、見た人に啓示を与える絵なのだろうか、自分でなければあるいはその絵でなければ描けない何かがそれぞれの絵にはあるのだろうか、などと考えながら見ていました。

 その中で、はっと心惹かれた絵が一枚ありました。ジョルダーノ Jordano の「乞食(Bettler)」と題された作品です。身なりも貧しく、手には人々からの施しをうける鉢を手にしているのですが、その顔はまさにキリストを思わせるものでした。ええ、こういうメッセージが伝わってくると思わず足を止めてしまいます。でも他の画家の作品は・・・と思いつつ、ぐるりと歩いて反対側の並びの2部屋目にはいると、何とそこには、ブリューゲルが、しかもこれまで、画集等で見たことのある物がほとんど全部といっていいほど集められていました。(残念ながら「イカルス」だけはありませんでしたが。) 同時代の画家の中にこうして置かれると、ブリューゲルが他の人にまったくない視点と思想とを持ち、それを反映した画風を作り出していたことがよくわかります。絵の中の人物が見事に生きています。そして一人一人が何かを語っています。構図も見事です。遠近法も物の大小も、必要とあれば自由にデフォルメして、彼が伝えたいものをそのまま見る物に伝えてきます。いえ、見ようとすればいつでも見られるように描いてあるというほうが正しいかもしれません。

 中でも「十字架を担うキリスト」は、テーマはもちろんキリストの受難でありながら、いわゆる宗教画ではない絵を描こうとしたブリューゲルの思想が感じられる絵でした。そこここに群がる人、どの群がりにキリストがいるのかは、ひと目ではわからない。画面の一番手前右には悲しむマリアとそれを取り巻く人々。ところが左の群がりでは農民たちがまるでキリストとは無関係に日々の生活を営み、あるいは、騒ぎを引き起こしているのです。すっかりブリューゲルに引きつけられてしまいました。(もちろん、大きなカレンダーを手に入れました。)

 頭の中がブリューゲルに占領されてしまい、ヴェラスケスを見てもルーベンスを見てもさして感動できなくなってしまったので、カフェで一休み。そして、下の階の宝物館に行きました。今度は贅沢の極みという宝物の陳列です。それでいて、日本人の私にはその記号が十分には読み切れないもどかしさも感じます。西欧には歴史が3つある、ギリシャ・ローマの神話、創世記にはじまる聖書、そして西洋史、その3つを自らの歴史として持たない限り、結局は異文化であり、ここで私は他所者にすぎないなどと改めて感じながら歩き回りました。

 そして、出会ったのが、象牙でできあがった精緻な彫刻です。中でも馬にまたがり、マントを翻し敵に向かう若いヨーゼフ1世の像は、リアルなばかりか、羽織っているマントは透き通って光を通すほどに薄いという彫刻です。しかも、こうした精緻な像はこれ一つではありません。象牙を彫り上げて作られた神々や王やアダムやイブの像がずらっと並んでいるのを見て、ハプスブルグ家のコレクションがいかに贅を極め、かつ、質の高いものであるのかを思い知らされる感じでした。

 ハプスブルグ家のすごさを思い知った状態でぼーっとなりながら、博物館の外に出てきた私を待ち受けていたのは、そう、あの、世に君臨する巨大なマリア・テレジアでした。

 お便りが長くなりました。その後、自然史博物館で何を見、何を感じたかは次便でお伝えすることにいたします。