第10便 メルクの街で見つけたもの


ドナウの支流メルク川を渡ったところから撮影したメルク修道院です。
ここから見るとこの修道院がバロックの至宝と呼ばれたのも頷けます。
しい写真ばかりです。ぜひ各写真をクリックして大きい写真を見てください
ファイルサイズも大きいですから、開くまでに多少時間がかかります

 車窓の景色の美しさに思わずシャッターを押す。動いている列車の中から撮ったのでは、ろくな写真は撮れるわけない。そう思いながらもついカメラを構えてしまう。そんな風景の連続だった...。

 今日はウィーンから80キロほど西にある、ドナウ川河畔の古い街、メルク(Melk)へ小旅行に出かけました。
 この冬は例年になく暖かいウィーンでしたが、それでも昨日は小雪が舞っていました。
 郊外に出れば雪景色が見られるかもしれないという期待も抱きつつ列車に乗りこみました。
 すると列車が動き出して10分もたたないころから、あたりが白くなり始めました。そして20分たつと雪景色です。しかも、積もっている雪はそんなに多くないため、道の小石のでこぼこや畑の畝がはっきりみえます。並木道の木々も細い枝の一本一本まで際だたせています。車窓の景色の期待以上の美しさに何度もシャッターを押してしまいました。
 そのうちの一枚がこの写真です。
(他の写真も「ウィーン写真館」でどうぞご覧下さい)

 この調子だと雪の中の散策ができるかもしれないと思っていたのですが、列車がメルクに到着する頃には、空は晴れ上がりました。そして駅を出るとすぐに、家々の屋根の間から目指すメルク修道院が見えました。
 雲一つない晴天の中にくっきりと浮かび上がった修道院は、そのまま絵はがきにできそうな風情です。
 観光案内書の「オーストリア・バロックの至宝とまでいわれるほど華麗」という言葉から思い描いていたイメージとはかけ離れてはいましたが、テレジアン・イエローと白の修道院と青い空、そのコントラストは見事でした。

 街の中心部は古い街並みが保存されています。
 15、16、17世紀に建てられたという家々が並び、石畳の道は両端がわずかに高く中央が低くなっています。
 脇の小道に入ると家々の屋根の向こうに街の教会の尖塔がのぞいています。時の流れがここメルクでは完全に止まってしまっているようです。
 でも暦だけはゆっくりとまわっているのでしょう。今日は1月も10日を過ぎているのにクリスマス飾りが残っているショーウィンドウもありましたが、路地の脇には飾りを取り払ったモミの木が横になっていました。

 「修道院の小道(Stiftsweg)という名の細い坂道をのぼっていくと修道院前には人影がありません。あたりを見回していると、売店のドアを開けて男性が出てきてくれました。「残念だけど2時まで閉まっています」とのこと。司祭の衣装が似合いそうな人でした。もしかしたら修道士たちが交替で切符売りをしているのかもしれません。

 市街地に戻り、どこでお昼にしようかと考えていると、前を歩いていた人々が一軒のレストランに入っていきました。なかなか感じのよさそうな店です。(写真の右の看板がその店です)私もここに入ることにしました。
 入り口のドアを開けると目の前にもう一つドアがあります。寒さを防ぐためにオーストリアのレストランの大半がこのようになっています。そして2つ目のドアを開けると暖かい部屋が客を迎えてくれるというわけです。ところがこのレストランは室温が暖かいだけでなく食事をしているお客さん達の雰囲気もとても暖かいレストランでした。

 さっきの人たちは奥のほうに行ってしまったようです。どこにすわろうかと迷っていたところ、ふと目のあった年輩の女性がほほえんでくれました。そこで彼女の向かいのテーブルにすわることにしました。彼女は、隣あわせた男性と楽しそうに語らいながら食事をしています。時折反対隣のテーブルの男性にも声をかけています。それぞれが知り合いのようです。奥の部屋から食事を終えた人が出てきました。するとその人は、こちらの部屋をのぞき込んで「ヴィーダショーン」と声をかけていきます。こちらの人々も「ヴィーダショーン」と応じます。
(さようならの挨拶はドイツでは(Auf) Wiedersehn(アウフ)ヴィーダゼーンと言いますが、オーストリアでは Wiederschauen で、ヴィーダーシャウあるいはヴィーダショーンと聞こえます。)
 観光客の少ないこの季節にレストランで食事をしている人はこの街の人で、互いに顔見知りなのでしょう。しかもほとんどの人が60代70代に見受けられる年輩の人々でした。そう、そう、今日は平日でした。
 私の向かいの女性が席を立つときは両隣のそれぞれとにぎやかに挨拶をし、その後に私にも「ヴィーダショーン」と声をかけてくれました。そこでこちらも、ちょっとためらいつつ「ヴィーダショーン」と見送りました。ところが最後に席を立った男性が帰り際に私に言った言葉は「ヴィーダゼーン」でした。あ、そうか、ヴィーダショーンはウィーンでもみんなが使っている言葉だけど、これはウチの言葉で、ソトの人に向かってはヴィーダゼーンなんだな、そんなことを考えながらデザートを食べていると、先程の男性が戻ってきました。「何かお探しですか?」「新聞を置き忘れちゃって......あ、片づけてくれたのかな。」と奥へ。奥から出てきた彼に「ありましたか?」「うん。あったあった。」そして新聞を見せてくれながら再び帰っていくときの挨拶は、今度は「ヴィーダショーン」でした。このレストランのおかげで、美味しい食事もさることながら、社会言語学のデータとしてそのまま使えそうな面白い言語行動を目の当たりにすることができました。

 メルク修道院では修道女が大きな鍵の束を持って、一部屋一部屋開けながら案内してくれました。皇帝のための寝室、貴賓室、儀式のための大理石の間など、まるで宮廷のようです。天井のフレスコ画は実際よりも天井が高く見えるように目の錯覚を利用して描かれているのだそうです。
 修道院が最も誇りにしているのは図書館でした。現在の蔵書は15万冊。宗教学、哲学、法学等にとどまらず自然科学の本も積極的に集められてます。そしてこの写真の部屋は特に訪問客のために作られた部屋です。室内装飾も見事なら並んでいる本の装幀も見事で特別注文だそうです。部屋の中央には手書きの本が展示されていました。
 修道院の付属教会は、大理石と金の彫刻でこれまた豪華絢爛に飾りたてられていました。ところが、ここの金の装飾は表面だけで、中は木なのだそうです。「だからこんなにたくさんあっても、金は全部で四キロしか使われていないんです。木彫りの彫刻の上に赤い塗料を塗りその上を極々薄い金で覆っています。例えばこの飾りのこの隅をご覧ください。中の赤がちょっと見えていますね。」と言う楽しい種明かしまでありました。赤の上でないと金色がくすんでしまうのだそうです。

 そしてこの修道院の訪問にはもう一つおまけが付いていました。
 教会から外に出て、修道士の部屋が並んだ長い回廊を歩いているときに、この写真の扉が目に飛び込んできました。扉に書かれた文字は東方の三賢王礼拝の日(1月6日)にまつわる風習で、三賢王のそれぞれの頭文字CMBを十字で結びその両側に年号を書くというものです。この話を以前に本で読んだことがあり、1月に入ってから家々の扉を注意して見ていたのですが、なかなか現物にお目にかかれずにいました。やっとここで出会うことができたというわけです。でも西暦2001年なら右側の数字は01になるはずです。それがここでは21となっています。どうしなのでしょう。たまたま書き間違ったのでしょうか、あるいは、ここに書かれるのは本当は西暦ではなくこの数字のほうが正しいのでしょうか。
 疑問を抱えたまま石畳の道を駅へと向かいました。