アップロード・ノート action13 酷い目に次々遭った

5月18日
 職場のシステムで、仕事の大切なファイルが一つ死んだ。駆けつけたシステムメーカーのメンテナンス担当者は「お気の毒ですが・・・」と言った。14日から稼働し始めたばかりの慣れない新システムで、3日間も四苦八苦して仕上げたファイルだった。バックアップしていなかった。そんな余裕がなかったから。
 最初から作り直す以外の方法はなかった。11時まで残業した。
 アイコンも正常に表示されている、プロパティの情報も正しい、ハードディスクのどこかにこのデータの信号は必ず存在しているのに、システムで開くことが出来ない。20年のパソコン生活でこんな目に遭ったのは初めてだ。

 帰宅して、メールのチェックをしようとすると、メールサーバーに繋げない。プロバイダのホームページで、メールサーバーダウンのお知らせを見つるまでに1時間近く費やした。いつもなら最初にチェックする項目だ。疲れ切った頭を無理矢理働かせるとこんな目に遭う。今日はなんて日だ。


5月19日
 夕方、ターミナルアダプタの一番下のランプが点滅しているのに気が付いた。いったんMacを起動し終了させる。TAのランプの異常点灯はいつもこれで解消するからだ。点滅は初めての経験で、電話も不通の状態。普通じゃない。そう言えばさっきまで凄い雷の音がしていた。これはやられたかもしれない。
 まずやることは電話が不通なのだからNTTに連絡だ。でもどうやってNTTに連絡する? 夫が在宅中ならPHSがあるののだが、でもどうやったら夫にこの窮地を知らせることができる? SOSのメールを出すことも、電報を打つことも、電話が繋がらなければ出来ない。通信手段のほとんどをたった1本の電話線に頼っていたことを思い知らされ、途方にくれた。ISDNの最大の難点に遭遇してしまった。

 夕食の時間帯を承知で、お向いにお願いして113にかけた。業務時間外で留守電が対応するのみ。我が家の通信危機に緊急対処してくれるシステムにはなっていないようだ。
 夫が帰宅し、今度はPHSから113にかけてみた。これはドコモの113にかかってしまい、NTTの113へは繋げてもくれない。これって不便を通り越してもの凄く変よ。結局夫が公衆電話に走って、連絡先としてPHSの番号を留守電に入れたのだが、公衆電話に走れない事情のご家庭はどうなるのかしら。


5月20日
 朝8時頃、夫のPHSにNTTから電話がかかってきた。こんな目に遭っているのはウチだけではないようだ。
 まず調べに行きますということだったが、午前10時半過ぎに現れたNTTの人の小脇には、しっかり新しいTAの箱が抱えられていた。既にやるべき事は解っていたらしい。税別12800円、電話代と一緒に請求するってサ。ネットはともかく電話の不通は非常事態だ。買うしかないじゃない。何か陰謀とちゃう、と勘ぐってみたりする。マイ・ラインの選定に当たって、この一件を必ず考慮入れると心に決めて、TAの取り替えに同意した。
「ちゃんぷるー亭毎週日曜日更新」の最大の危機だった。いつもより18時間ほど遅れたが、なんとか更新を遂行でき、ホッとした。

5月21日
 やっとのことで失ったファイルの作り直しを終えた。明日朝の納品に間に合った。・・・出力できない!!! バックアップデータでも同じ。金曜日の事がある。自分で何とかいじってみるなんていう勇気はない。5時直前、メンテに電話する。明日になるという返事に、私は、金曜、今日と、どんな思いで頑張ったかを、涙声で訴えた。
 午後6時過ぎ、伏せっていたため金曜日には来られなかった馴染みのメンテ担当者が、病の床から駆けつけてくれた。嬉しかった。彼の顔を見ただけで、なんだか安心した。年に数回、1〜2時間のメンテナンス作業に来てくれる彼は、いつも誠実に仕事をする信頼できる青年だ。
 配置画像が多すぎる場合、その内の1つの画像でも壊れると、こういった症状が現れることがあるという。一旦、リンク画像を全て外して出力を試みた。ダメだ。いや、まだ埋め込み画像がいくつか残っている。これを順番に外していってみよう。1番目の画像を外して出力にトライ、成功。この画像以外の全ての画像リンクを戻して再度トライ、ヤッター。これで明日の納期に間に合う。もう大喜び。もしかすると金曜日も彼が来てくれていたら、という思いがよぎる。「もう、飛びつきたいくらいよ」って言ったら、「お気持ちだけで」と返された。そして午後8時すぎに帰路に就くことが出来たのだった。

5月24日
 朝、職場のシステムが起動途中で止まった。今度は何ダー、またメンテに電話。しばらくしてかの担当者が電話をくれた。状況を説明する。「フロッピーディスクが入ったままになってませんか。」アッ、そうだ、ウチのウィンドウズ機でも一度やったのだった。単なるイージーミス、でもこの間あまりに色んな目に遭った後だったから、パニック状態で自分では何も考えられず、何もしないでメンテに電話をしたのだった。この程度のことなら、たまに経験しておく方がいいくらいだけれど。

5月26日
 ちょっとは余裕が出たのか、はじめから気になっていたモニターの解像度を上げてみようと思った。不安がよぎり、かのメンテ担当者に相談してからにした方がいいかも、とも思ったが、土曜日で連絡できないだろうしと、ついやってしまった。Macではしょっちゅうやっていることだし。
 モニターが真っ暗になって、戻らなくなった。control+alt+deleteもやってみた。画面は真っ暗なまま。頭を抱えてしまう。もう「メンテに電話」しかない。電話の向こうに今や懐かしくさえ感じる声が聞こえた。なんたるラッキー、「何時になるかわかりませんが、伺いますから、そのままにしておいて下さい」ハイハイ、何時になろうとおとなしくお待ちしておりますとも。
 3時前に彼は、後光を背負って登場した。原因がはっきりしていても、何しろ画面が真っ暗じゃ、コンピュータとコミュニケーションがとれない。もう1台のマシンと繋ぎ直したりしながら2時間以上かけて復旧してくれた。同僚が「彼は救世主ね」と言い、私はもう彼を拝んで、今後OSの設定を触ったり、新しいソフトをインストールしたりするときは、必ず彼に相談してからにすると約束した。

5月27日
 Macで作業していた夫が、Macが終了できなくなったと、私を呼んだ。終了させても終了させてもすぐ再起動してしまうという。今日は休めると思ったのに、なんで次々とこんな事が起こるのだろう。何かパソコンに嫌われることでも考えてしまったのかしら、もうノイローゼ寸前。夫が所用で出掛けている間に原因を探ってよう。
 取り敢えずパワーキーで強制終了でもさせてみるかと・と・と・パワーキーが引っかかって押し込まれたままの状態になっている。なーんだ。アッという間に一件落着。何だかこれでこの一連の大騒ぎが収束の方向へ進むような予感がした。

5月31日
 2週間にわたる嵐のような日々だったが、今週になってから今日までは、残業手当がゼロだったこと以外は血圧が上がるようなこともなく穏やかに過ぎている。
 職場のウィンドウズNT上DTPシステムのトラブルの原因については、解ろうと分かるまいと、メーカー側から知らせて貰えることはないだろうと感じている。
 でも何で、あれもこれもが一時に起こったのだろう。日頃の行いのツケかしら。これも経験の蓄積となって今後のパソコンライフに役立ってくれる事だろうと、自らを慰めている。