津波騒動記 亭主のおまけ

 2002年3月末の八重山宮古地方津波警報騒動のちょうどその時、ちゃんぷるー亭亭主その2も石垣島に滞在中。
 大津波警報が出たことを千葉の勤務先で聞いた私は、真っ青になって電話に取り付いて夫のPHSへかけ続けた。ひとり浜辺で何も知らずにのどかな時を過ごしていたらどうしよう!!!
上司「沖縄に大津波警報が出ていてテレビで大騒ぎしている」
私「えぇっーーー!!!うちの人、今石垣にいるんですぅ!」と受話器を掴む。
上司「でも宮古八重山地方だとか言っているから石垣は入っていないようだ」
私「石垣は八重山地方ですっ!!!」と逆上。

 かけてもかけても繋がらない。珍しくひとり旅に出た夫を思い「あ〜、変わったことはさせるものじゃない」と不吉な気分、やっと電話がつながったのは、津波到達時刻から10分以上も後のこと。「えー、知らないよー」ちょうど人と会っていた時だったのだが、同席の人達も当然何も知らず「5メートル、6メートルの大津波が来るかも知れないから、高いところへ早く逃げて!」と私。ちょっと慌てた感じで「ん、解った」と電話は切られた。

 この後石垣では、まだまだ避難の勧告を必死で訴え続けるテレビを、同席の皆でのんびりと見ていたらしい。

 この時千葉にいたテーゲェーのともちゃんの携帯には、沖縄や石垣から騒ぎの実況報告が電話やらメールでどんどん送られて来ていた。「高いところでは波は10メートルになるんだって」とか、若い人達の間では何やらお祭り騒ぎの様相を呈していたようだ。
 後日ともちゃんの話によると、石垣のサザンゲートブリッジ上には、津波を見物しようという人出まであったという。帰宅した夫からも「至ってのどかであった」と聞かされた。

 本当に津波が襲っていたら・・・と思うと・・・
 でも八重山人のこんなノリに、津波の方が遠慮してしまったのかも知れない、とも思う。
 あるいは、本当に津波が来る時には、いつも眺めている海の只ならぬ気配をいち早く感じた八重山人は、警報なんか出る前にサッサと高いところへ移動を開始しているのかも知れない。

 この時、八重山人はどう考えていたのだろう。高いところのない宮古ではどんな状況だったのだろう。
「警報がまた出た。どうせ今度も来ないに違いない」「今から逃げたって遅い」「来るものはしょうがない、なんくるないさー」
 アンケートでも取りたい気がする。