第3回 まっちゃん

大工さんとまっちゃん

 松ちゃんは僕の勤め先の同僚である。沖縄の事をいろいろ教えてくれる僕の沖縄学の先生でもある。ウチナンチュらしいところもあるが、らしくないところもある。
 初めて会った時、名前や喋り方では沖縄の人とはわからなかった。以来十数年たつが、少し前まで沖縄の出身とは気づかなかった (ウソです)。色白でないところや、泳げない(らしい)ところ、シャイなところ、などなどウチナンチュらしくもあるが、お酒があまり飲めないところや、指笛が吹けないところ、三線を弾けないところ、沖縄民謡をあまり知らないところ、などなどらしくないところもある。
 沖縄を出て千葉に来て二十年とすこし経つそうだが、聞けば、彼が沖縄にいたころは、民謡や三線、エイサーなどは若者のあいだでは流行っていなかったそうである。つまりダサかったと。

 しかし、松ちゃんはヤマトンチュになりすましている訳ではなく、所謂『イチャリバチョーデー(一度出会えば兄弟のようなもの)』精神が横溢していて、先日の『ちゃんぷる』での「大工哲弘さんを囲んでの大宴会」に、女将さんに頼んで僕と妻を仲間に入れてくれる心優しきウチナンチュであったりする訳です。

 松ちゃんが初めて働くために渡った『大和』の地で、彼の言葉を借りれば、「歩いているのに走っているように見えるロボットのように無表情な人々」の渦の中に放り込まれ、感受性豊かな青年期にあった彼にとっては相当に過酷な状況の中で、彼はひたすら自らを『大和』に適合させるために、ウチナンチュらしさを押し込めていったような気がしてならない。
 お酒があまり飲めない松ちゃんは、飲酒を無理強いするかもしれない同郷人を避けて、沖縄料理店には近づかないようにしていたそうだが、あるきっかけで入った『ちゃんぷる』で、ウチナンチュであれ、ヤマトンチュであれ、酒飲みであれ、食事だけの人であれ、心優しく迎え入れてくれる女将さんに出会って、彼の心の奥の方に仕舞ってあったであろう『ウチナンチュの胆心(チムグクル)』が共振し、まるでほんとのアンマー(お母さん)のゴハンを食べに行くように『ちゃんぷる』通いを続けるのです。そして、そこで彼は、多くのウチナンチュや沖縄大好きヤマトンチュに出会って、忘れはしないだろうが、仕舞い込んであったウチナンチュらしさを少しずつ取り戻してきているような気がする。僕には、最近の松ちゃんの顔が輝いているように見える。

 最後に、彼に将来の事を聞いてみた、「そりゃー沖縄に帰りたいさぁー、人間生まれた処で死ぬのが一番さぁー」とのこと。しかし、『大和』で生活の基盤を築いている多くのウチナンチュと同様、なかなか難しい事のようである。

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