その9 ゲルギエフ「春の祭典」
2001.4.9 19:30〜
場所:コンツェルトハウス大ホール
楽団:サンクトペテルブルク・マリンスキー劇場オーケストラ&コーラス
   (Chor und Orchester des Mariinsky Theaters St. Petersburg)
指揮:ヴァレリー・ゲルギエフ(Valery Gergiev)
ソリスト:イリナ・デョエヴァ(Irina Djoeva);Sopran
     エフゲニー・アキモフ(Evgeny Akinov);Tenor
     エフゲニー・ニキティン(Evgeny Nikitin);Bariton
曲目:セルジュ・ラフマニノフ(Serge W. Rachmaninov)
    鐘《Die Glocken》op.35
   アナート・リャードフ(Anatol K. Ljadov)
    魔法にかけられた湖《Der verzauberte See》op.62
   イゴール・ストラヴィンスキー(Igor F. Strawinsky)
    春の祭典《Le Sacre du Printemps (Das Fruelingsopfer)》

 ゲルギエフのコンサートがある。気がついたのは前日の夜。9日はオールロシアプロ、10日はマーラーの復活。当然売り切れだろうな。そう思いつつも諦めきれずに翌朝・・・9時に起き、朝食もとらずに家を飛び出す。コンツェルトハウスのチケット取扱所へ。まずは「明日のグロッサーザールのチケットはあるか」と聞いてみる。(この程度はドイツ語でできるようになった。)係のおばさんはパソコンの画面を呼び出し、何か言うが聞き取れない。パンフレットを差し出すと、今日のコンサートを指差す。「どの席がいいですか?」なんと今日のチケットは残っているらしい。パソコンの画面を見せてもらいつつ、財布と相談。残念ながら2階は全席売り切れ。各ランクの後ろの方が数席残っているのみ。さすがに820シリングは出せなかったので、パールテールの後ろのチケットを買うことにした。

 開演10分前に席に行くと、やはりパールテール最後列の隅。舞台を眺めると、譜面台と椅子と打楽器群が舞台から溢れんばかりに並んでいる。楽団員、続いて合唱が入場。たくさんいるので思わず数えてみると、合唱は60余名。コントラバス8本、チェロ5プルト。左隅のピアノは、フルサイズのコンサートグランドのようだ。そしてソリスト3人が登場。なんと、ソプラノの女性は舞台後ろのオルガン演奏台へ登る。ゲルギエフ登場。彼が指揮台に登ると、観客は静まりかえる。指揮棒を持たない手を挙げ、指が動いたかと思うとグロッケンの音が。彼が動き出すと同時に、音楽が動き出す。

 以前、テレビで初めてゲルギエフの指揮を見たとき、まるで魔法をかけているようだと思った。ひらひらと指先を動かす独特な指揮法はとても奇妙で、そこから生まれる音楽が素晴らしいことが、なんだか不思議だと思っていた。そして今、目の前にいる本物のゲルギエフは、本当に魔法使いだった。彼はまさに音楽を体現していた。彼の動きそのものが音楽だった。ひらひらと指が動く中にも、きちんと拍が刻まれ、的確に指示が出されていく。彼の指先から魔法の糸が出ていて、みんなを操っているのではないか、そう思ってしまうほど、彼の思いのままに音楽が紡ぎ出されていくようだ。

 さて、曲について。ラフマニノフの「鐘」は、コーラスに加えソプラノ、テノール、バリトンのソロが入り、オーケストラもかなり大編成だった。詩はエドガー・アラン・ポーのもの。第1楽章。グロッケンやトライアングルが鳴るせいか、可愛らしく、かつロマンチックな雰囲気で、アメリカ映画かディズニーアニメに似合いそうな曲である。途中テノールが声を息の限りのばす場面があったのだが、そのまま倒れるのではと心配になるほど。あのようにゲルギエフに睨み付けられていたのでは、息をしたくてもできないだろう。第2楽章はさらにロマンチック。メロドラマにならないギリギリの線といったところだ。ソプラノのソロが入る。彼女が歌っているオルガン演奏台は位置が高いこともあり声がよく通る。だがソプラノだけ声が浮き立つようなこともなかった。もともとソリストがそこで歌うことを想定して設計されているのかもしれない。第1楽章で、題名の「グロッケン」というのは鐘ではなく鉄琴のことだったのか?と思ったのだが、第2楽章ではきちんとベルの音が入った。さて、第3楽章。やはりラフマニノフはロシアの人だった。合唱の和声がまさにロシアの響き。オケも一転して重厚な音を奏で出す。第4楽章は引き続き厚い音楽にバスのソロが加わり、時たまラフマニノフお得意のセンチメンタルなメロディーが入る。最後はオケのみで終わるのだが、終わる少し前にバスの人は座って、しっかりオケに花を持たせる。あんなに合唱との絡みがあったら面白いだろうな、と思うような作品だった。編成は大きいし、演奏できる機会はたぶんないだろうけれど。ここでパウゼ(休憩)が入る。後半1曲目はリャードフの「魔法にかけられた湖」。余談だが、ドイツ語のSeeは男性名詞だと湖で、女性名詞だと海なのだそうだ。この曲は金管が少ない。弦を中心に幻想的な雰囲気が醸し出されている。ゲルギエフの指揮にぴったりの曲だ。指先からキラキラと金の粉が飛び出すんじゃないかと、本気で思う程だった。短いが起伏に富んだ曲で面白かった。

 いよいよストラビンスキーの「春の祭典」。打楽器と金管のメンバーがぞろぞろと入場。ホルンとワーグナーチューバを両手に抱えた人もいる。特に打楽器の人達が「意気揚々」と見えるのは私の気のせいだろうか。「鐘」の時に合唱かと思っていた坊主のお兄さんは、ティンパニー奏者だったらしい。最後列でとても目立つ。指揮台にゲルギエフが立つと会場が静まりかえる。まるで、観客を含め会場の全員が魔法にかけられたみたいだ。そして、音楽が始まる。ファゴットのソロにも、何の迷いもないかのよう。こんな「春の祭典」は聴いたことがなかった。とにかく輪郭がはっきりしている。一つ一つの旋律が、次々と浮かび上がっては入れ替わっていく。第2ヴァイオリンやヴィオラなどの旋律も、主旋律を担うとなるとしっかりライトアップされる。曲の途中、不思議なことが。ちょうど曲が落ち着いたあたり、霧の中といった雰囲気のところで、突然冷たい空気が流れた。以前ムジークフェラインでサバリッシュ指揮シンフォニカを聴いたときのことをふと思い出した。あの時は曲の流れと時たま差し込む日の光が微妙にずれていてちょっとおかしかった。ところが今回は違う。ゲルギエフは会場の空気にまで魔法をかけてしまったのではないか、とまで思ってしまう。おかしな事に、母も同じ事を考えたらしい。

 今までで最高の演奏会だった。他の観客も同様の思いだったらしく、ブラボーの声とスタンディングオベーションで指揮者と楽団を讃える。楽団もそれに応えてアンコール曲を演奏。リヒャルト・ワーグナー「ローエングリン」第3幕への前奏曲。当然ロシア物だろうという予想を覆された。明日のプログラムはマーラーである。もし、チケットが買えたならば・・・