その6 ヘルベッヘ指揮・王立フランドルフィル

2001.3.30 19:30〜
 場所:コンツェルトハウス大ホール(Glarie 8列6番)
 楽団:王立フランドル・フィルハーモニー
    (Koninklijl Filharmonisch Orkest van Vlaanderen)
 指揮:フィリッペ・ヘルベッヘ(Philippe Herreweghe)
 ソリスト:サラ・コノリー(Sarha Connolly);Mezzosoprano
 曲目:フェリックス・メンデルスゾーン・バルソルディ
    (Ferix Mendelssohn-Bartholdy)
     序曲『ヘブリディーズ』op.26 《Die Hebriden》
    エクトル・ベルリオーズ(Hector Berlioz)
     『夏の夜』《Les Nuits d'ete》op.7
    フェリックス・メンデルスゾーン・バルソルディ
     交響曲第4番『イタリア』A-Dur, op.90《Italienisch》

 初のコンツェルトハウスでのコンサート。ここコンツェルトハウスは、ウィーナー・シンフォニカの本拠地である。今回の席はバルコンよりさらに上の階、3階のギャラリーだ。収容人数1811人。楽友協会大ホールは立ち見を除いて1744人。座席数はそう変わらないのだが、ギャラリーから舞台を見下ろすと、このホールの方がかなり大きく感じられる。

 予定表では前プロはメンデルスゾーンの『夏の夜の夢』になっていたのだが、曲目が変更になったようだ。日本だとこうした時に放送が入るものだが、ウィーンではそれがない。そもそも、コンサートホールでは開演ベル以外放送は入らない。開演ベルもエレベーターの満員を知らせるベルのような「ビーッ」という素っ気ない音だ。コンサートホールで必要な音はあくまで音楽のみ、といった感じだ。プログラムを持っていない人は気軽に隣の人に声をかけ、隣の人も快く見せてあげる。曲目の変更があるなしに関わらず、こうした光景はよく目にする。

 さて、『夏の夜の夢』に代わって選ばれた曲は『ヘブリディーズ』。日本では別名『フィンガルの洞窟』の名でよく知られる。私にとっては、日本でオーケストラに入団して数年後にコンサートで弾いて以来大好きな曲である。この曲はメンデルスゾーンがスコットランド西部のヘブリディーズ諸島にある洞窟を訪れた時に着想を得て書いたものだ。いや、描いたと言った方がよいだろう。メンデルスゾーンに批判的であったワーグナーもこの曲を聴いて「音による第一流の風景画家」と賞賛したとのことだ。波によって浸食されてできた岩窟。レースのカーテンを通したような陽の光が、洞窟の中まで射し込んでくる。すると揺れる水面がキラキラと光る。時たま大きな波が岩間をすり抜けて入り、それまで白かった岩肌を黒く変色させて去っていく。私はこの地を訪れたことはないのだが、メンデルスゾーンの絵画は、そんな刻一刻と変化する洞窟の風景を見せてくれる。ヘルベッヘの指揮は、そんな風景の細かな描写を一筆一筆描き出すかのようだ。

 ベルリオーズの歌曲『夏の夜』。歌詞はフランス語だ。プログラムには、フランス語の歌詞とあわせてドイツ語の対訳もつけられている。曲が始まると、観客がごそごそとプログラムを開き始める。ウィーンの人々にとって歌曲の歌詞は大切なもののようだ。おそらく普段耳にする歌曲、ドイツ・リートやミサ曲、オペレッタなどがドイツ語で書かれている為、歌声と共に歌詞の内容を味わう習慣が出来ているのだろう。日本人の和歌に対する感覚のように、歌詞に使われる詩に対して親和性がある故もあるかもしれない。いずれにせよ、ページが変わるたび方々から聞こえてくるぱらぱらという音はどうにかならないものか。さて、肝心の歌であるが、さて、肝心の歌であるが、いまひとつ訴えかけてくるものが少ない。というのも、3階の私の席からは歌手はあまりに遠い。今回のオーケストラは小編成なので歌手もそれにあわせた声量しか出していない、ということもあるだろうが、そもそもフランス語の発音自体、大ホールで歌われる歌曲向きではないように思われる。イタリアで素晴らしいアリアが多く作られたのは、子音と母音が1対1対応し、しかも母音の長短が豊かなイタリア語が、高らかに歌い上げるアリアに適していたためであろう。ドイツ・リートが花開いたのは、ピアノ伴奏で歌われる詩の内容を重視した歌曲が、子音が重なるドイツ語と相性がよかったのだろう。鼻音の多いまろやかな音のフランス語は、小さな部屋で聴衆を目の前にして歌われてこそ、その特性が生かされるであろう。そんな意味で、この曲をコンツェルトハウスで演奏しようとしたことに無理があったのかもしれない。

 ヘルベッへの指揮は1年ほど前、日本にいた時にサントリーホールで目にする機会があった。その時聴いたのはバッハの『ロ短調ミサ』。コレギウム・ヴォカーレとの精緻な音作りと宗教的な響きに深く感動した。今回のフランドル・フィルでは合唱は入らないが、オーケストラの編成は同じくらいだろう。ヘルベッヘは前回見たときと同様、曲を通して細かい指示を出していた。しかし、その細やかさが今回は裏目に出たようだ。『ヘブリディーズ』の洞窟という小さな空間を描くのにはそう問題はなかったのだが、交響曲では物足りなさを感じた。描かれた世界は美しいのだが、メンデルスゾーンがイタリア旅行で感じたに違いない感銘は伝わってこなかった。オーケストラが指揮者の要求する全てを表現しきれていなかったせいなのか、音楽がこぢんまりとしていて箱庭的な印象を受けたのだ。あるいは、ヘルベッヘはメンデルスゾーンの音楽から叙景的要素のみを描き出し、ロマンティックな要素を排していたのかもしれない。そうなると、物足りなさを感じたのは音楽的な趣味の問題、ということになるだろうか。会場のあちらこちらから、ブラボーの声がとんでいた。