その20 ゲルギエフ指揮 マリンスキー劇場キーロフオーケストラ

2001.9.28 19:30〜
 場所:楽友協会大ホール(1.Loge 右 2列1番)
 楽団:サンクトペテロブルク・マリンスキー劇場・キーロフオーケストラ
    (Mariinsky-Theater Kirov-Orchester St. Petersburg)
 指揮:ヴァレリー・ゲルギエフ(Valery Gergiev)
 曲目:リヒャルト・ヴァーグナー
     「タンホイザー」序曲
     「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第3幕への前奏曲
    ドミトリー・ショスタコーヴィチ
     交響曲第8番 c-Moll, op.65

 私の席は右側ロジェの一番舞台寄りの2列目。楽友協会大ホールのロジェは舞台と同じ高さに席があるため、ヴィオラの最後列のすぐ横に並んで座ることになる。オーケストラ団員と同じ目線で聴くという貴重な体験ができそうだ。ちなみに、ロジェ1列目に座っているのはどうやらロシア大使館すじの方々らしい。団員が入場してくると、ロシア語で2言3言で話していた。肩越しに振り返ると袖からゲルギエフが現れ、まっすぐ前を見据え指揮台に向かう。指揮台に上った彼は、観客に軽く頭を下げたかと思うと、次の瞬間、もう指揮棒を構えてオーケストラを向いている。

 タンホイザー序曲。かなり遅めのテンポだった。その上、息が長い。ひとつひとつ音符を刻んでいくような演奏。いや、むしろ音を塗り重ねていくといった感じだ。ゲルギエフの指揮は、例えば小澤征爾の指揮とは全く様子が違う。小澤の指揮は、曲の流れの中から旋律を拾い出していく作業が明確に見えるような指揮だ。それに対しゲルギエフは、パートへの指示を出しながらも、あくまで全体を一つの流れとしてまとめて引っ張っていくように見える。加えて、音楽をとぎれさせない。これは視覚的にもそういう印象があるが、聞こえてくる音も同様である。

 フレーズが続く限り、息をつかせない。ゲルギエフ自身が息をしていないようだ。見る見る顔が赤くなっていく。実際に楽器を吹いている管楽器、特にクラリネットもホルンも酸欠寸前だっただろう。気づくと私まで思わず息を詰めており、酸欠になったほどだ。団員達と同じ位置に座り、しかも譜面を見る必要も演奏する必要もない私には、ゲルギエフの必死にページを繰る姿があまりにもリアルに見えすぎたせいもあるだろうが。

マイスタージンガー第3幕への前奏曲
 表出されることのない静かな苦悩を、表へと押し出すようだ。タンホイザーが終盤に向けて盛り上がったぶん、この前奏曲の静かな重さが強調される。前奏曲が終ったとき、場の雰囲気だけが整って休憩に入ってしまうのに戸惑いを感じたのは、私だけだろうか。

ショスタコーヴィチの8番。
 曲が始まり、なぜ前半のヴァーグナーで息ができなかったかがわかった。前半のヴァーグナーはマリンスキー劇場でのオペラの一端が示されていたのだ。感情が発散されることなく高まっていき、観客が舞台に飲み込まれる。ショスタコーヴィチにおいてもゲルギエフは息の長い指揮をする。しかし、ショスタコーヴィチの場合、長い旋律であってもリズムが非常にはっきりしている。重なり合って続く長い旋律の中から、リズムが浮き出てくる。とはいえ非常に重苦しくかつ激しい演奏だった。