その17 ムーティ指揮 ヴェルディのレクイエム

2001.5.18 20:00〜
 場所:シュターツオパー (Stehplatz Parterre)
 楽団:ウィーナー・フィルハーモニカー
 指揮:リッカルド・ムーティ(Riccardo Muti)
 合唱:シュターツオパー合唱団
 合唱指揮:アーンスト・ドゥンシルン(Ernst Dunshirn)
 ソリスト:ミリアム・ガウチ(Miriam Gauci);Sopran
      ヴィオレータ・ウルマーナ(Violeta Urmana);Alt
      ジュゼッペ・サバティーニ(Giuseppe Sabbatini);Tenor
      アラスタイア・マイレス(Alastair Miles);Bass
 曲目:ジュゼッペ・ヴェルディ(Giuseppe Verdi)
      レクイエム(Messa da Requiem)

 このコンサートのチケットは、売り出し直後に完売になったらしい。しかし、国立オペラ座(シュターツオパー)の場合、立ち見券は優待会員以外には当日のみ販売される。ドイツ語の授業を早退してチケットを買いに行く。15時頃、オペラ座に到着。立ち見券購入専用の入り口横に並ぶ。開演は20時なので、チケットの売り出しは19時頃。4時間も前なのにも関わらず既に長蛇の列ができていた。私が並んだ後も列は長くなる一方だ。入り口の扉はまだ当分開かない。雨が降り出した。屋根があるので濡れはしないが、吹きさらしでかなり寒い。地面に座ろうと思い持参したビニール袋を出すと、前のおじさんが座布団を貸してくれた。彼は立ち見の「常連」らしい。折り畳みの椅子も持ってきている。17時半を過ぎてようやく屋内に入れた。2列に整列すると、かなりの人数がいることがわかる。私の位置だと、100番近いかもしれない。パールテール(1階)はいっぱいかなと思い、隣の男性に「パールテールとバルコン、どちらを買いますか?」と聞いてみた。「パールテールだよ。」「後ろの方でもちゃんと見えます?」「もちろん!」ここまでは英語での会話だったのだが、その後彼もドイツ語を習っていることがわかり、ドイツ語に切り替えてしばらくお喋りした。メキシコから指揮の勉強に来たとのこと。立ち見のために何時間も並んでいると、不思議と仲間意識のようなものが芽生える。思い切って声をかけてみるといろいろな人がいて面白い。

 19時を過ぎ、ようやくチケットが手に入る。シュテープラッツ・パールテールの82番。立ち見の場合、チケットを手にしてもまだ席は決まらない。左右に分かれてホール入り口に並ぶ。ドアが開くと列を崩さず立ち見席への階段を上る。係の人の合図をまって、左右から人がなだれ込む。パールテールの立ち見席は階段状になっていて、各段の間はバーで仕切られている。自分の場所が決まったら、前のバーにスカーフなどを巻き付ける。これは立ち見席の暗黙のルールで、そうしておけばその場を離れても場所を確保しておける事になっている。軽い夕食を済ませてオペラ座に戻ると、当日券売り場にはまだ人が並んでいた。後で聞いたのだが、立ち見券も売り切れ、多くの人が演奏を聴けなかったのだそうだ。開演は15分ほど遅れた。

 ムーティが手を挙げる。チェロによる pp (ピアニッシモ) の旋律に、ヴァイオリンの旋律が続く。そこに合唱が重なる。スコアの指示は sotto voce (声を和らげひそやかに)。囁くような歌声。会場のざわめきが、すうっと音楽の中に溶け込んでゆく。弦楽器の急激なクレッシェンドののち、一瞬の間を置いて、突然 ppp(ピアニシッシモ)で転調。そして、ppp を突き破るバス(合唱)のフォルテ。こうした変化が、全て劇的に起こる。「空気がかわる」とでも言ったらいいような変化である。先日聴いたコンツェルトハウスでの演奏との様々な違いを感じる。弦楽器の繊細な響き、合唱の厚みをもった音、そして音楽の「変化」。ソリストの歌が入ると、様相の違いはさらに顕著に感じられる。もちろん聞こえる音の違いには、コンツェルトハウスとオペラ座の音響の違いも含まれる。だがそれ以上に、表現の方法に大きな違いがある。

 オペラ座の舞台に並んでいるのは、もちろん大がかりな舞台装置や華麗な衣装の歌手達ではない。白黒の衣装に身を包んだ合唱団とオーケストラ、そして、4人のソリストも演技をするわけではない。しかし、ムーティによって引き出された音楽が壮大なオペラの舞台を描き出していた。レクイエムのテクストに描かれた場面とその風景を描写しているかのようだ。その情景の中で、ソリストは美しい旋律を、高らかに歌い上げる。

 同じヴェルディのレクイエムを聴いて、前回と今回では全く異なる印象を受けた。簡単に言えば、前回は「宗教的」だと感じ、今回は「オペラ的」だと感じた。この印象の違いはなんだったのだろう。前回の演奏では、合唱・ソリストとも言葉をひとつずつ紡ぐような歌い方をしていた。それが旋律を伴った「祈りの言葉」として聞こえてきた。それに対し今回はソリストも合唱も感情を表に出すような歌声だった。テクストの中で描かれた聖書の世界を、音楽そのもので表現しようとているかようだった。

 オーケストラと合唱が並ぶ舞台の後方には、横断幕が掲げられていた。「am90.Todestag von Gustav Mahler / im 100.Todesjahr von Giuseppe Verdi」今年はヴェルディ没後100周年、今日(5月18日)はマーラーの90回目の命日というわけだ。2人の偉大な作曲家に捧げられたレクイエムは、神のもとに届いただろうか。