その16 ウェルザー=メスト指揮 ヴェルディのレクイエム

2001.5.7 19:30〜
 場所:コンツェルトハウス大ホール(Springerkarte)
 楽団:チューリッヒ歌劇場管弦楽団(Orchester der Oper Zuerich)
 指揮:フランツ・ウェルザー=メスト(Franz Welser-Moest)
 合唱:ウィーナー・シングアカデミー(Wiener Singakademie)
 合唱指導:ハインツ・フェルレシュ(Heinz Ferlesch)
 ソリスト:エヴァ・メイ(Eva Mei);Sopran
      イェヴォンヌ・ナエフ(Yvonne Naef);Alt
      ファビオ・アルミリアート(Fabio Armiliato);Tenor
      ラースロー・ポルガー(Laszlo Polgar);Bass
 曲目:ジュゼッペ・ヴェルディ(Giuseppe Verdi)
      レクイエム(Messa da Requiem)

 「オペラ的」「スペクタキュラー」としばしば形容されるヴェルディのレクイエム。私自身初めてこの曲を聴いたとき、死者のための曲だと知って「これでは死人が飛び起きてしまう」と思った。しかし壮大なこの曲は、昔から私が好きな曲のひとつだ。小学生の頃、父と二人で地元のオーケストラに通う道すがら、毎週車の中でCDに合わせて歌っていた。
 今回の演奏会は月刊プログラムに●が付いていた。開演45分前、学生は残券を一律150シリング(約1200円)で買える。今日は母と2人。窓口でチケットを買うと2人合わせて310シリングだった。正規料金でも160シリングの券である。座席はどこだろうとチケットを見ると「Springerkarte」と書いてある。下に注意書きが。なんと、開演時に空いてる席ならどこに座っても良いというチケットなのだ。さて、開演15分前。2階のバルコンに行ってみる。ちらほら席が空いている。1列目の通路側が4席あいていたので座ってみた。しばらくしてその席のチケットを持った女性が来たので奥に詰める。開演10分前を過ぎた頃になって、またチケットを持った人が。結局1列目は埋まってしまった。3列目に移動。ところがここも開演3分前に人が来た。その時点で唯一あいていた4列目の真ん中に行き、ようやく席を確保することが出来た。

 チューリッヒ歌劇場管弦楽団はその名の通りチューリッヒ(スイス)のオペラ座付き楽団だが、私は初めて接する楽団だ。指揮者ウェルザー=メストは1995/1996年からチューリッヒ歌劇場の音楽監督をしているとのこと。
 開演。合唱が入場。その人数に驚いた。ざっと数えてみたところ100人以上いるようだ。オーケストラも入場。ソリスト4人は舞台後ろ上方のオルガン演奏台にのぼる。最後に指揮者が現れ、客席が静まるのを待つ。曲が始まると、さらに静けさが増す。「Requiem」弓の毛1本で弾いているような弦の響き。そこに合唱の囁き声が重なる。
 大抵の演奏では、この後合唱とオーケストラはどんどん勢いを増していく。しかし、ウェルザー=メストは、演奏者を絶対に前に行かせない。

 合唱の歌声は、高めの響きで統一されている。「高め」というのは音程が高いというわけではない。特にバスが野太い声ではなく整ったやわらかい音色なため、合唱全体が高いような印象を与えるのだろう。ソリスト4人も、ともに落ち着いた歌声だった。特にアルトのナエフは高音から低音まで無理のないきれいな歌声だ。ソリストがオペラのアリアのように歌いあげている演奏をよく耳にするのだが、今回の演奏では、この曲の宗教曲としての側面を強調しているように聞こえる。

 「怒りの日」、レクイエムの一番の見せ場といっても良いところだろう。合唱の高声部は叫ぶような高音が続く。オーケストラもフォルテッシモで演奏する。ここに曲の山が持ってこられることが多い。少なくとも私が聞いたCDはみなそうだった。だが、今回はそれほど派手には演奏されなかった。普段派手な曲づくりに隠れがちな後半の美しい旋律に重きが置かれていた。特にソプラノのソロ。曲の前半では、メイの歌声は他の3人のソリストに比べ技量的に少し劣っているかに思えた。しかし後半、特に〈リベラ・メ〉では「このために力を温存していたのか」と納得してしまうような、張りつめた、美しく澄んだ声だった。そして、静かな終曲・・・。

 音が消え、残響が消えてもまだ指揮者は手を下ろさない。完全に静寂が会場を支配したところで、ようやく指揮者の手が降りる。教会のミサで感じるような宗教的な静寂。それに続く万雷の拍手が、この静寂が教会ではなくホールの演奏会で得られたのだという事を表していた。メイや合唱団の数人のそっと涙を拭う姿が印象的だった。
 指揮者はこの曲をオペラ語法満載のドラマチックな作品としてとらえるのではなく、死者を悼むという曲本来の意図に焦点を当てたのだろう。それが集約されたのが、あの心に染みこむ静寂だったのではないだろうか。あのとき感じたことを、私はうまく言葉にできないでいる。何に感動したのかがわからないのだ。あるいはあの瞬間こそ、「神」に与えられる歓びだったのだろうか。