その15 アルバン・ベルク四重奏団 「叙情組曲」

2001.4.27 19:30〜
 場所:コンツェルトハウス・モーツァルトホール(Partere 右1列目4番)
 演奏:アルバン・ベルク・クァルテット(Alban Berg Quartett)
     ギュンター・ピヒラー(Guenter Pichler); Violine
     ゲルハルト・シュルツ(Gerhard Schulz); Violine
     トーマス・カクスカ(Thomas Kakuska); Viola
     ヴァレンティン・エルバン(Valentin Erben); Violoncello
 曲目:アルバン・ベルク(Alban Berg 1885-1935)
     叙情組曲 Lyrisch Suite(1925/26)
    ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)
     弦楽四重奏 a-Moll op.132(1825)

 今回の席はパールテール1列目、真ん中から3つ目の席である。つまり、前から4列目。ちょうど、クァルテットの4人を1つの視野内に入れられる位置だった。第1ヴァイオリンのピヒラーから曲の順序を入れ替えるとの話がある。まずベルクを演奏し、ベートーヴェンが後に来ることになる。客席がざわめく。「そりゃあその方がいい」という声が多数を占めるようである。

 30年前、ABQ(アルバン・ベルク・クァルテット)はコンツェルトハウス・モーツァルトホールでデビューした。30年後、同じ場所での演奏会。四重奏団の名前であるアルバン・ベルクの曲が演奏される。その演奏は、アルバン・ベルクの心そのものを体現しているかのようだった。愛しさ、焦燥、嫉妬・・・あらゆる感情が、音となってそこにあった。
 「叙情組曲」はハンナ・フックスとの恋愛を元に書かれた曲で、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」、ツェムリンスキーの「叙情交響曲」、ボードレールの詩が引用されている。ベルクは12音技法を用いたが、この曲ではその他にもイニシャルを音として使ったり、数字(運命の数)が音楽を支配していたりと、構造的な曲作りをしている。ABQの演奏を聴いると、そうした作曲手法が主観的な理由から用いられたのだろうと思えてきた。不協和音、激しい音と音とのぶつかり合い、今にも消え入りそうな小さな音、ざわざわとかすれた音、きーきーいう耳障りな音・・・それら全ては、複雑な人の心を表しているようだった。頭で考えられた複雑な構造の中に織り込まれたものは、ベルクの複雑な思いであり、ベルク自身。自分と恋人のイニシャル(b-a-f-h)の使用は、まさに音楽と一体化するためのものだったのではないか。そして、この曲の構造の複雑さ自体が、感情の複雑さを表しているのではないか。

 ベルクとは違いベートーヴェンは私にとって馴染みのある作曲家だ。そのため、先程よりは心に余裕を持って聴くことが出来る。しかし、ABQの演奏は、私の中のベートーヴェンを遙かに越えたものだった。ピヒラーのヴァイオリンの音は、とても無造作に発せられているように見える。弓を握る右手は緩く、左手の指もするすると動いていく。出てくる音は平均率にはほど遠く、4人の音程関係の中で絶妙なハーモニーを生みだしている。拍の刻みも緩やかで流動的だ。一見ルーズな拍の刻みが意図的なものであることは、4人の演奏が決してずれはしないことからわかる。それは意図的というより、4人の中に同じリズムが流れているといった感じだ。ABQのベートーヴェンは非常に情緒的だった。これは、縦よりも横の流れを強調した演奏スタイルが大きく影響しているだろう。もちろんベルクのような「ほとばしる感情」ではないが。それにしてもこのクァルテットの4人、何とバランスが取れているのだろう。パートの特色と各パート員の性格がまるでぴったりだ、と思うのは私だけではないだろう。

 私が日本に帰るまでに、モーツァルトザールでのアルバン・ベルク四重奏団のコンサートは少なくともあと3回あるようだ。是非また聴きに行きたい。