号外5 ストリート・ミュージック


 9月16日、路上演奏をしようと決めた日曜日の午後。前日までのどんより天気とはうって変わって、青空に秋の雲が浮かんでいる。私が日本で所属している大学オケの元コンサートマスターTと2人で、向かった先はケルントナー通り。シュターツオパー(ウィーンオペラ座)とシュテファン大聖堂をつなぐウィーン随一の繁華街だ。Tにとっては海外で初めての、私にとっては人生で初めてのストリートパフォーマンスだ。まず演奏してみなくては始まらないということで、取り敢えずここならという場所を選んだ。人目に付き、かつ交通を妨害せず、周囲の店の迷惑にならなさそうな場所。

 道行く人々の反応は予想を越えたものだった。街路樹の前に譜面台を並べて準備をし始めた段階で、すでに数人が私たちの前に足を止めた。1曲目はモーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジーク。弾きだした途端に、四重奏曲のヴァイオリン2声のみを弾くという暴挙にモーツァルトが怒ったのか、強い風が吹いてきた。倒れかけた譜面台を通りかかった男性が立て直してくれた。さらに彼は譜面を押さえつつ、足りない声部を鼻歌で補ってくれた。曲が終わると集まった人々からは温かい拍手があった。「We came from Japan T&S 」と書いたボール紙を立てかけたヴァイオリンケースに小銭を入れてくれる人もいる。お姉さんは「私もストリートやってるから苦労がわかる」と、譜面を固定するためのクリップを置いていってくれた。

 ウィーンの秋風の強さと人々の暖かさに驚きつつ演奏を続けたのだが、数曲後に日本の曲を演奏し出すとあたりの空気が変わった。それまで少しずつ増えていた観客が、一人去り、二人去り・・・トトロの主題曲を弾き終わったときには、最後に一人残ったおじさんだけが拍手をしてくれた。人が周りにいなくなったせいもあるのか、風も一段と強く吹きはじめた。次の曲に移ろうとしたが、楽譜どころか譜面台まで吹き飛ばされそうになる状態で、私たちはそれを理由にその場を後にすることにした。

 選曲の大切さ、馴染みのない曲を聞いてもらうことの難しさについて話し合いながら大通りを歩く。ヴァイオリンを背負い、譜面と譜面台をかかえて歩く道はウィーンの街の中心街。グラーベン、コールマルクト、王宮へと続くいわゆる観光ルートだ。風が弱く、聞いてもらいやすい場所を探す。ようやく見つけた場所はミヒャエル門をくぐりぬけた王宮の中庭。フランツ2世像の側に譜面台を並べた。像を背にして立つと風をよけることが出来る。観光客は中庭の隅を通り、スイス宮、または英雄広場へと歩いていく。私たちが立つ場所は通り道からそれているため、準備の間、まわりに人はいなかった。演奏をはじめると、数人のグループが私たちの前に足を運んでくれた。小さなこども達が像の陰からのぞいていたり、お母さんがよちよち歩きのこどもにコインを握らせて来てくれたり。

 この中庭での演奏では、ケルントナー通りでの観客の反応をもとに曲目を入れ替えた。日本の曲はソーラン節のみにした。そのソーラン節を弾き終えたとき「とてもいいテンションだったわ。」と一人の婦人が声をかけてくれた。この言葉で、先刻、日本の曲を弾いたときの人々の反応もわかる気がした。 ウィーンは「音楽の都」と呼ばれる。この「音楽」はいわゆる「クラシック・ミュージック」に代表される西洋音楽を指す。観光客を含めウィーンにいる人々が、ウィーンのストリートでそうした「音楽」を期待するのは当然といえよう。そして、彼らは日本の聞き慣れない曲を聞いたところで、その曲を解することも、演奏を判断することも難しい。きっと伝わったのは「テンション」のみだったのだ。さしてうまくもないモーツァルトを、鼻歌を歌いながら楽しんでくれたのとは対照的に。