1.「世界が裁く東京裁判」佐藤和男監修・終戦50周年国民委員会/ジュピター 出版 H8年
2.「東アジア共同体―経済統合のゆくえと日本」谷口誠著/岩波新書‘04年
3. 米の東アジア戦略は〜米軍再編の背景、専門家が分析/朝日‘05.4.12
4. 「米軍再編」NHK「クロ現」‘05.4.5
1.「世界が裁く東京裁判〜85人の外国識者が語る連合国裁判」佐藤和男監修・終戦 50周年国民委員会/ジュピター出版 H8年
序章 レーリンク判事の〈東京裁判〉への総括的批判
東京裁判とレーリンク博士
・東京裁判にオランダ代表判事として参加したベルト・レーリンク博士は、カッセーゼ教授の評言では「…レーリンクは、国際社会の構造と法規を、その構築者である西洋諸国の支配者としての高みから考究しようとはしない。彼は、自身の必要とするものや志望が押しやられてしまった諸国、つまり貧困な諸民族、あるいはレーリンクの好んだ表現でいえば。『持たざる国』・『敗残者』の側に立った。…それも。無批判的ないし似非中立的な姿勢からの見方ではなくて、恵まれない諸国の陣営に正々堂々と立脚しての見方である。」であった。…レーリンク博士は、第二次世界大戦を契機として実現を見たアジア・アフリカ諸国の解放という歴史的事実の重要な意義に着目して、日本の遂行した大東亜戦争が世界史の中で果たした積極的な役割を非常に重視するに至るのである。
・レーリンク判事が提出した反対意見書は、長文であって、…まず、連合国最高司令官(マッカーサー)の命令により作成された極東国際軍事裁判条例の合法性を審査する権限を同法廷が持つべきことを明らかにして、同法廷が右条例により拘束されるというがごとき考え方は、将来に対して危険なだけでなく、現在においても正しくないと力説している。…しかし、実際には、レーリンク判事のこの主張は東京裁判では認められなかった。
・(カッゼーガー教授)「まず初めに、レーリンクは、罪刑法定主義は国際法では厳格な規則ではなくて、むしろ“立方政策上の格言”“政治的英知の表現”であり、そのため諸国によって無視される――ことを認めた。こうしてレーレンクは…国際法上の“政治的犯罪”になぞらえ、犯罪人というよりは“敵”と考えられるべきである。したがって、その者の処罰は、“司法的応報”というよりは“政治的措置”の性質を持つべきで、…“平和に対する罪”で有罪と認められた者は、死刑の判決を受けることがあってはならず、有期の禁固刑にのみ処せられるべきであるというものだった。」
…『平和に対する罪』の存在に何らの疑問を提示しなかった―パール判事を除く―他の多くの判事に較べて、…法律学者として苦闘されたレーリンク博士の姿は、たとえ打ち出された理論構成が批判を容れる余地を残すものであったとしても、尊敬に値するものと言えよう。
国際法における戦争
・国際法(慣習法および条約)では、戦争は諸世紀を通じて合法的制度とされてきたが、日本国民のうち特に戦後教育を受けた世代は「戦争はすべて悪」としか考えない傾向が強く、世界の通念に背反している。
近世以降、諸民族国家が併存する国際社会で、各国家は…他の国家との利害関係が衝突して、平和的手段では紛争を解決できない場合に、戦争という最後の手段に訴えてきたのであり、国際法も戦争をその規律対象の中に包容してきた。国際法は国家間の戦争を決闘になぞらえて、軍隊と軍隊との間で行われる戦争そのものは合法と認めてきた。
日清・日露の両役で日本軍が国際法学者を法律顧問として従軍させてまで交戦法規を厳守した徹底ぶりには、全世界が賞賛を惜しまなかった。しかし、大東亜戦争中に連合国側がこういう交戦法規の重大な侵犯を行った事例は、枚挙にいとまがない。日本国内の多数の都市への無差別爆撃、広島・長崎への原子爆弾の投下、満州でのソ連軍の暴虐、等々である。
国際法的に厳密にいえば、戦争は特定の「法的状態」であり、またそのような状態のもとでの諸国による交戦権の行使でもある。なお、国際法の意味における「戦争」が終了するのは、原則として、交戦国間に締結された平和(講和)条約が発効する時点においてである。したがって、大東亜戦争が法的に終結したのは、日本と連合国との間のサンフランシスコ平和条約の発効の時点(S27.4.28)においてであり、日本国民一般が考えているようにS20.8.15ではない。連合軍は、戦闘段階終了後の占領段階において、連合国の利益にかなった日本社会の改造政策を、戦争行為(軍事行動)として推進したのである。
・東京裁判においてインド代表判事・パール博士が、日本は問題の戦争において国家として犯罪行為をしてはおらず、平和に対する罪などというものは実定国際法上存在していないとの見解に立脚して、日本人被告全員の無罪放免を主張したことは、東京裁判の法的正当性に対する疑念を全世界に印象づけ、戦勝連合国の政治的企図に奉仕した同法廷を震撼せしめた。パール判事の個別反対意見の中に展開された理路整然たる東京裁判批判は、占領軍当局の関係者を恐怖に陥れ、…パール判事の意見書の法廷における朗読を差し止めさせた。被占領期の日本では、その反対意見書の出版も許されなかった。
・もっとも、レーリンク博士は「侵攻戦争は国際法上の犯罪である」とするニュルンベルグ・東京命題が、今日では慣習法になっているとも見解を示されたが、これに対しては、シンポジュウム*の基調報告を担当した西ドイツ・ルール大学学長であるクヌート・イプセン博士が、断固として強硬に反対意見を表明した。…この点に関してはイプセン博士の主張が妥当であった。
*S58年5月28〜29、東京池袋サンシャイン・ビル国際会議場で開催された、東京裁判を問い直すための国際シンポジューム。
第1章 アメリカ人による〈東京裁判〉批判〜なぜ日本だけが戦争責任を追及されるのか
ウェン・コーエン(詩人)の忠告
・ウェン・コーエンはチャールズ・ビアード『ルーズベルトと第二次世界大戦』を読み、「ルーズベルト大統領が勝手に戦争を仕組み、日本に押し付けたことを知り、仰天の思いであった。」。…コーエン氏から見れば、日本人の姿勢は「卑屈」そのものに見えるのだが、当の日本人は勝者によって与えられた歴史観で自国の父祖の歩みを見ていることに、全く気づいていないのである。
「いかさまな法手続きだ」(ジョージ・ケナン)
「政治権力の道具に過ぎなかった」(ダグラス連邦最高裁判事)
戦争は「違法」でも「犯罪」でもない
・有史以来、数多くの戦争が世界中で繰り返されてきたが、戦後、戦勝国が敗戦国の指導者を「侵略者」として断罪すべく「戦犯裁判」を行った例はほとんどない。戦勝国は敗戦国に対して、領土の割譲や賠償金という形でペナルティーを課しただけである(日露戦争の例)。…そもそも国際法の世界では、戦争そのものは「違法」でも「犯罪」でもなかった。戦後、「戦争は絶対に許しがたい犯罪だ」と考えてきた日本人には驚きであるかも知れない。
・実は連合国側は、東京裁判のやり方が…国際法に全くなじまない…ことは承知していた。にもかかわらず、アメリカは戦争中から周到な準備を進め、東京裁判を強行したのである。何故か、単なる「復讐」ではない、ある特別の目的があったからである。
第2章 戦犯裁判はいかに計画されたか〜国際法違反の占領政策
国際法違反の“精神武装解除”政策
・連合国の、ある特別の目的とは何か。…戦犯裁判の着想の原点は、1941.8月、米大統領ルーズベルトと英首相チャーチルによって発表された「大西洋憲章」にある。…この憲章で表明された思想は、1943.1月のカサブランカ会談でさらに明確にされ、ルーズベルト大統領は、…“国家の無条件降伏”という新しい占領方式を表明した。
“国家の無条件降伏”政策は、敵国に賠償金や領土割譲というペナルティーを課すだけでなく、敵国の政治制度の抜本的改革、さらに進んで敵国の「哲学の破砕」「精神的武装解除」までも意図するものであった。…この“無条件降伏”政策の本質を、チャーチル首相は1945.6.30の演説で「…彼らがわれわれの審判と慈悲に、絶対的に従うことを意味する」と述べた。
連合国の「審判」に「絶対的に」従うよう国家改造を行うとは、連合国の意のままに動く従属政権を作るということだろう。そのために日本を占領統治したGHQは、日本の伝統精神の基盤である神道を徹底的に弾圧し、一国の基本法たる憲法の改正さえ辞さなかった。これは、「占領地の法律を尊重すること」等を謳ったハーグ陸戦条約を完全に蹂躙している。
「戦勝国の戦争犯罪も裁かれるべきだ」(ケルゼン博士)
・第二次世界大戦において連合国は、敵国の戦争犯罪人だけを裁く意向を表明し、連合国側の交戦法規違反者については全く口を閉ざしてしまったのだ。国際法の大家である米カリフォルニア大学のハンス・ケルゼン教授は、「…将来の平和保障の最善策(のためには)、戦争犯罪人の処罰は、…復讐にたいする渇望を満たすものであってはならない。…戦勝国もまた戦争法規に違反した自国の国民(を)…国際裁判所に…引き渡す用意があって然るべき…」、と指摘した。
(しかし)、連合国は自分たちの戦争責任は免責し、敵国の戦争犯罪だけを裁くということを決定した…。
「戦争裁判は負けることを犯罪とした」(モンゴメリー子爵・英)
「国際法という文明は圧殺された」(パール判事)
「日本の有条件終戦」を認めていたアメリカ国務省
・ポッダム宣言は日本政府に条件付降伏――宣言の文言上は条件付終戦と解釈すべきもの――を求めたものであった。国際法上、「ポッダム宣言」の条項は、受諾した国に有利に解釈されることになり、日本政府が「無条件降伏をしたのは軍隊だけであって、政府ではない」と解釈してもその解釈を否定することはできない。とするならば、連合国の政策に一切黙って従う“無条件降伏”方式は「ポッダム宣言」によって変更されてしまったことになる、と国務省は分析していた(「1945.7.26の宣言と国務省の政策の比較検討」)。
ポッダム宣言に示され日本の「条件」
・ポッダム宣言には「日本国政府は直ちに全日本国軍隊の無条件降伏を宣言し」(第13条)――カイロ宣言では日本国の無条件降伏という表現であった――などとあり、受諾に伴い日本政府は、日本軍の武装解除や…国際法上「厳格なる」戦犯裁判に応ずる義務等を負ったことになる。
連合国側はポッダム宣言に列挙された条項を、日本政府に要求できる権利を有したことになるが、それは連合国側が無制限の権利を有していたということではもちろんない。あくまでもポッダム宣言に示された条項についての権利だけであり、連合国もまたポッダム宣言を逸脱することは許されないはずなのである。…連合国側は国際法上「厳格なる」戦犯裁判を行う権利があり、もし裁判が国際法上「厳格なる」裁判でなければ、それを拒否する権限を日本政府は有していた。
・では、日本政府はどのような権利を有していたのか。あるいは、連合国側はどのような義務を負っていたのか。…「ポッダム宣言」受諾に伴い日本政府は、武装解除した日本軍将兵が無事に帰国できるように連合国が取り計らうよう要求する権利や、日本人の言論、宗教、思想の自由を確保する権利や、…「平和的傾向を有し、かつ責任ある」という条件付で日本国民の自由に表明した意志に基づいた政権を樹立する権利、などを有していた。
連合国の許しがたい背信行為
・日本政府は「ポッダム宣言」を受諾し、「日本国軍隊の無条件降伏」を一条件に休戦することに合意したのだから、9月2日、ミズーリー艦上で調印したのは、国際法上厳密に言えば「休戦協定」である。それを連合国側は意図的に「降伏文書」と名付けたのである。
「ポッダム宣言」違反の検閲
・日本を「文明諸国に地位を占める権利を認められない」「敗北せる敵」として扱う、つまり“無条件降伏”政策を日本に適用する」ことを表明したGHQは9月19日、今度は、ポッダム宣言に「言論の自由の尊重」が謳われていたにもかかわらず、検閲指針「プレス・コード」を発令した。
・日本が、「アジアによるアジア」という理想を抱いて「アメリカによるアジア支配」を覆そうという意図や能力を持たないようにすること、そのために「米国の目的を支持する」従属政権を日本に確立すること、それがアメリカの対日戦後処理の究極の目的とされたのである。
つまり、アメリカ政府は、…自国の政治目的を達成するためには、国際条約(ポッダム宣言に基づく「休戦協定」)さえいとも簡単に反故にした歴史的事実を、私たちは後々まで忘れてはならないであろう。
徹底した宣伝とマインド・コントロール
・マッカーサー司令官から戦犯リストの作成を命じられたエリオット・ソープ准将は後に次のように漏らした。「…日本人に損害をうけて怒りにもえる偏見に満ちた連合国民の法廷で裁くのは、むしろ偽善的である。とにかく、戦争を国策の手段とした罪などは、戦後につくりだされたものであり、リンチ裁判用の事後法としか思えなかった」
この不審感をそのまま放置しておけば、やがては東京裁判そのものが成り立たなくなる…。そこでGHQは、さらなる“精神的武装解除”の方策を打ち出した。…日本側の戦時指導者が逮捕され、日本が犯罪国家として裁かれることについて、日本人に納得させるように徹底した宣伝を行い、日本人をマインド・コントロールしようとしたのである。…あらゆる日本のメディアを動員して、「日本は犯罪国家なのだから、公職追放を受けたり、指導者が裁判にかけられ処刑されたりしても仕方がない。広島、長崎の原爆投下も、無差別爆撃も、すべて日本が戦争犯罪を犯した罰であって、悪いのは日本の方だ」と宣伝し、日本人が自らそう思うように巧妙な心理操作を加えていったのである。
「極東軍事裁判所条例は国際法に基づいていない」(モーン卿・英/クヌート・イプセン教授・西独)
・1946.1.19、マッカーサー司令官は、「極東国際軍事裁判所条例」を制定・公布した。…実はこの、「条例」は厳密な意味での「法」ではなかった。占領軍の「行政命令」に過ぎない。厳密に言えば、国際法上、講和条約発効までは「戦争状態」が続いているので、東京裁判の本質はあくまで連合国の一過性の軍事行動(戦争行為)であり、「極東軍事裁判所」と僭称していたが、実体は占領軍の一機関たるに過ぎない。それに「条例」は当時の国際法とは全く関係のないものであった。
このため裁判開廷当時から批判の声が上がり、英のモーン卿は次のように論評していた。「チャーターは決して国際法を規定したものでもなく、また戦争犯罪というものを想定したものでもない。ただたんに裁判にかけられた僅かな人たちを裁くためにのみつくられた…」
・そのような条例に基づく国際軍事裁判は、「ポッダム宣言」違反だと断固拒否する権限を、日本政府は有していたはずであった。しかし、マッカーサーの日本「国」無条件降伏説にたぶらかされていた日本政府や、検閲によって一切の言論活動の自由を奪われていた日本国民は抗議するすべもなかった。
第3章 追求されなかった「連合国の戦争責任」〜裁判の名に値しない不公正な法手続き
裁かれなかった連合国側の罪、とくにアメリカの戦争責任を「開戦責任」「原爆投下」「残虐行為」「米ソによる共同謀議」の五つの観点から検討する。
「開戦責任」
・米・南カロライナ大学のロバート・トンプソン教授は、アメリカは外交・軍事両面であらゆる手段を使って日本を戦争に引きずり込む方針だったと断定している。
・アメリカ人のウィリアム・ローガン弁護人は1947.8.4、冒頭陳述の中で、対米戦争だけは何とかして避けたい日本政府側が懸命な交渉を続けていた1941.7月の段階で、アメリカ軍部首脳とルーズベルト大統領は、さらなる対日経済制裁が日本の南進を促すことになることを承知していたにもかかわらず、それでも制裁に踏み切ったという。
さらにローガン弁護人は1948.3.10、最終弁論において国務長官ケロッグがパリ付箋条約(1928年)で、経済制裁、経済封鎖を戦争行為として認識していた事実を紹介し、今次戦争を挑発したのは日本に非ずして連合国であることを詳しく論証した。その内容は「アメリカの戦争責任」を徹底的に追及したものとなっている。
アメリカ政府から対日戦争行為に匹敵する経済封鎖を受けておきながら、それでも忍耐強く平和的解決を図ろうとした日本政府の態度は「永遠に日本の名誉」だと、ローガン弁護人は堂々と法廷で訴えたのである。…アメリカ人でありながらローガン弁護人は、いささかも追及の手を緩めることなく連合国側、特にアメリカがいかに経済的・軍事的に日本を追い込んだのかを精緻に論証したのである。
・英国の軍需生産大臣オリバー・リットルトンは戦時中の1944.6.20、ロンドンの商工会議所で、「日本がアメリカを戦争に追い込んだというのは歴史の狂言である。真実はその逆である。アメリカが日本を真珠湾に誘い込んだと見るのが正しいのだ」とスピーチをして物議をかもした。
「原爆投下」
プレイクニー弁護人(米)/パール判事(印)の「原爆」発言
「原爆投下を我々は悔やむ」(ナッシュビル・グローブ紙)
・ルーズベルトやチャーチルが無条件降伏という「フリーハンド」政策を敗戦国に適用しようとした理由は、(各方面からの)告発からどのようにして身を守るか−その方法を考え抜いた結果でもあった。その方途とは、まさしく「敵を裁き敵からは裁かれない地歩」に立って、@連合国側の戦争責任を追及しようとする発想そのものを封じ込め、A戦犯裁判などを通して日本人に罪の意識を植え付け、「日本の指導層が侵略戦争を行ったのだから、原爆を投下されても仕方ない」と思い込ませ、B最終的に連合国の「審判と慈悲に、絶対的に従う」ように日本人の精神を改造すること−であった。
この狙いは見事に成功した。原爆投下直後、…アメリカ政府を糾弾した日本は、その抗議とは正反対の趣旨の、「安らかに眠って下さい/過ちは/繰り返しませるから」という原爆慰霊碑を建立する。
「原爆投下を反省すべきはアメリカだ」(ガザリー元外相・マレーシア)
原爆投下を懺悔したキリスト教会連邦協議会
「原爆投下は不必要だった」(アイゼンハワー司令官)
「残虐行為」
「無差別爆撃」を非難したスイスの新聞
リンドバーク大佐の見た「米軍の残虐行為」
「米ソによる共同謀議」
「米ソによる共同謀議」を批判したプライス法務官
・1945年2月の「ヤルタ会談」で、ルーズベルト大統領はソ連の早期参戦の見返りとして、南満州鉄道の経営権および樺太と日本固有の領土を含む千島列島の領有権をソ連に引渡すことをスターリンに密約した(1955.3月ニューヨーク・タイムスに公表され明らかに)。
・1945年12月、アメリカのプライス陸軍法務官は、「東京裁判は、…追訴する原告アメリカが、明らかに責任がある。ソ連は日ソ不可侵条約を破って参戦したが、これはスターリンだけの責任ではなく、戦後に千島、樺太を譲ることを条件として、日本攻撃を依頼し、これを共同謀議したもので、…懲罰しても…効果はない」(ニューヨーク・タイムズ)、と強く批判した
「戦勝国の判事だけによる裁判は公正ではない」(ファーネス弁護人・米人/ハンキー卿・英)
一部グループによる判決に抗議したブレイクニー弁護人/ハンキー卿
・…法手続きの実態を細かに検討すれば、東京裁判は近代法治国家の裁判としての要件を著しく欠いていた。はっきり言えば、裁判と呼べるシロモノではなかったのだ。
裁判の公正さを疑うベルナール判事
「弁護側に不利な証拠規則だった」(プリチャード博士/パール判事)
第4章 蹂躙された国際法〜国際法学者による「極東国際軍事裁判条例」批判
「侵攻か否かの決定権は自国にある」(ケロッグ国務長官・米)
・パリ不戦条約は、第一次大戦後の1927年…締結に至った。…第一条において、戦争を実質的な防衛戦争(自衛戦争)と、防衛的でない攻撃(侵攻)戦争とに分け、後者を違法化しようと意図したものであった。(その解釈だが)、本条約の起草者である米国務長官ケロッグは、アメリカ政府は、自国が行った戦争が自衛戦争か否かは自国で決定することができる、(とした)。この解釈に従えば、自らが「侵攻戦争だ」と宣言しない限り、国際法上、他国から「侵攻」だと批判されることはないことになる。
なお、日本政府も1928.7.20、…日本の解釈がアメリカ政府のそれと同一であることを明らかにしている。また、批准にあたってイギリス政府が宣言した留保条件によって、「自衛戦争」は自国の領域の防衛に限定されないと解釈されることになった。
インド政府はパール判決を支持する
・1994年12月、インドを訪れた終戦50周年国民委員会の取材チームは、インドの識者に対し、パール判決書(「個別反対意見書」)に対する評価を尋ねた。
P・N・チョプラ博士(インド教育省事務次官)
「博士は、インド政府の立場を十分に代弁したのです。われわれは全面的にパール博士を支持しています。このことを、われわれは現在にいたるまで誇りに思っています。…それはわれわれすべてのインド人にとっても言えることです」T・R・サレン博士(インド国立歴史調査評議会)
「極東国際軍事裁判は日本を侵攻者として告発しました。しかし、この戦争を特別な角度から見たのはインドの判事だけであり、私はこれに同意するものです。この裁判は侵攻国としての烙印を日本に押すために、イギリスとアメリカのプロパガンダ[宣伝]でした。…」
M・L・ソンディ教授(ジャワハラル・ネール大学)
「東京裁判では判決が二つ出たのです。一つはヨーロッパとアメリカの判決で、もう一つはアジアの判決です。…それぞれが異なる文化から出た判決なのです。今こそ…本当の判決を下そうではありませんか。…東京裁判は正しい判決を下しませんでした。それ故に、パール判事の貢献は将来のために極めて大きいのです」
・アジア諸国の歴史観は決して同一ではない。少なくともインドは反東京裁判史観に立脚している。アジアへの配慮を言うのであるならば、右のごときインドの歴史観をも日本政府は尊重すべきではないだろうか。
第5章 〈東京裁判〉は平和探求に寄与したか〜残された禍根と教訓
戦後、「平和に対する罪」は正式に国際犯罪とされたか
・1947.11.21、国連総会は、国際法委員会を設置し、ニュルンベルグ裁判を基礎として、侵攻戦争を国際犯罪とする国際刑法を正式に立法しようと国際法委員会に依頼したのだが、「侵攻」の定義が確立されない以上、侵攻戦争を国際犯罪とすることは不可能であると委員会は返答してきたのである。
日本の外務省も認めている「東京裁判の不当性」
・外務省が月例で開催している国際法研究会で、H4.3.13、佐藤和男教授のサダム・フセインがクウェートを侵攻したことの戦犯裁判についての質問に、外務省条約法規課の伊藤哲雄氏が次のように答えたという。
「東京裁判で個人に戦争責任を追及したが、こういうことは国際法では許されていない。東京裁判は間違っていたという認識がいまや世界中の諸国に定着したので、サダム・フセインに…個人責任を追及しようなどという動きは全くありません」
東京裁判が実定国際法を蹂躙した不当な裁判であるという認識が世界中の諸国に定着していることを、外務省幹部ははっきりと認めたわけである。官僚は政府に従う。政府が断固として東京裁判の不当性を訴えるならば、その訴えを裏付ける論理を用意する準備はできているのである。
「東京裁判は国際法を退歩させた」(ハンキー元内閣官房長官・英/パール判事・印)
・事後法に基づく「勝者の裁き」は、さまざまな悪例、禍根を残すことになった。
その第一は、「戦勝国は国際法を無視して断罪してもよい」という悪例を残したことだ。
第二は、「戦勝国は、敗戦国民の人権は無視してもよい」という悪例を残した。
第三は、「戦勝国であるが故に戦争犯罪は免責される」という悪例を残した。
日本悪玉論を批判するフリードマン教授・米
第四は、「日本と他の諸国との相互理解を妨げることになった」こと。東京裁判において、日本はそもそも侵攻的体質を持っている国だとレッテルを貼られた。このレッテルは、戦後の日本人の自己認識に暗い影を落としたばかりか、体外関係まで大きく拘束した。
第五に、「アメリカの正義はいつも絶対に正しい」というイデオロギーが戦後のこれまでのわが国の外交方針を決定したばかりか、アメリカの外交姿勢までも大きく歪めてしまった。…戦後日本はこの「アメリカの正義」に絶対的に従ってきたといってよい。そして、このことはアメリカの日本占領の究極の目的が見事に達せられたことを意味している。
第6章 戦後政治の原点としての〈東京裁判〉批判〜独立国家日本の「もう一つの戦後史」
四千万人を超えた「戦犯」釈放署名
「戦犯」釈放に立ち上がった日本政府
社会党議員による「東京裁判」批判
可決された「戦争犯罪」否定の国会決議
日本は東京裁判史観を強制されていない
・日本が講和条約第11条において受諾したのが「裁判」ではなく、「判決」である以上、日本は「東京裁判史観」まで受け入れることにはならないのである。独立回復後の日本の政治家たちは、「勝者の裁き」を敢然と拒否することこそが「わが国の完全独立」と「国際親交」につながると信じたが、それは「自己解釈権」を取り戻した独立国家として、極めて当然かつ正当な行動であった。
・こうした戦後の原点を踏まえ、私たちは国際法上、敵国の軍事行動の一環であった「東京裁判」の判決に囚われることなく、歴史の再検証と東京裁判の克服を堂々と世界に訴えていくべきなのである。
第二次東京裁判の開廷を提唱するエドワード弁護士・濠
・豪のエドワード弁護士は、著書の中で、架空の法廷を設定して自説を展開させた。…この第二の東京裁判とも言うべき架空の法廷において、エドワード・セント・ジョン弁護士は、検事の口を借りて、米英仏ソという東京裁判を主導した国々が犯した多くの戦争犯罪を容赦なく糾弾した。そして、広島への原爆投下から50年目の1995.8.6、アメリカ大統領に対して、「増大する核兵器によって全人類を大量殺戮の危険にさらした罪」で、有罪を宣告している。
なぜ戦後、全人類は核兵器の恐怖に脅えなければならなかったのか。アメリカが東京裁判において、原爆投下の罪を免罪にしたばかりか、侵略国日本を懲罰するために原爆は必要だったという悪質なデマを流し、原爆投下を正当化したからだ。とするならば、…東京裁判が不問に付した連合国の戦争責任を国際法に照らしてもう一度追及すべきではないか。…連合国の戦犯裁判で殺された1千名余の日本人の名誉回復と、誤った歴史観の払拭のためばかりではない。国際正義の観点から、私たちは東京裁判の全面的な見直しを世界に訴える時を迎えているのである。
〔付 録〕
1.誤訳としての「侵略」戦争〜アグレッションの訳語には「侵攻」が適当
・英語のaggressionは、「挑発を受けないのに行う攻撃」と説明されていることが圧倒的に多い。…邦語の「侵略」という熟語は、外国の領土に「侵」入し、「略」取するという意味に受け取られ易い。「略する」は「奪い取る。強奪する」と解される。…東京裁判では、日本がwar of aggressionを行ったと判決したが、わが国では「侵略戦争」と訳されて不要な混乱を招いた。この語は「侵攻戦争」と訳されるべきである。
2.日本は東京裁判史観により拘束されない〜サンフランシスコ平和条約11条の正しい解釈
平和条約11条についての誤解
・平和条約11条の英・仏・スペイン語訳でみても、日本が平和条約11条で受諾したのが「裁判」ではなく、「判決」であることが分かる。
講和条約とアムネスティ条項
・第一次世界大戦以前の時代では、交戦国は講和に際して、条約の中に「交戦法規違反者の責任を免除する規定」を設けるのが通例だった。これがアムネスティ条項で、「国際法上の大赦」を意味する。…すなわち11条が置かれた目的は、この規定がないと、講和成立後、日本の政府が国際慣習法に従って、戦犯裁判の判決の失効を確認した上で、連合国側が戦犯としていた人々を、…すべて釈放する(ことを要求する)だろうと予想して、それを阻止することにあった。
・長い歴史を持つ国際法上の慣例に反した11条の規定は、あくまでも自己の正義・合法の立場を独善的に顕示しようと欲した連合国側の根強い感情を反映したものと見られる。要するに、11条の規定は、日本政府による「刑の執行の停止」を阻止することを狙ったものに過ぎず、それ以上の何ものでもなかった。東京裁判の「判決」の中の「判決理由」の部分に示された東京裁判史観(日本悪玉史観)を認める義務があるという…主張には全く根拠がない。これは国際法学界の常識である。
あとがき
国際法を踏まえた本格的な〈東京裁判〉批判
・(本書をまとめる)作業の中で、意外なほど多くの外国人識者が国際法擁護の立場から東京裁判を批判し、世界的な視野に立って「連合国の戦争責任」を追及している一方で、日本人研究者の多くが東京裁判を肯定し、日本の戦争責任だけを追及するという極めて自閉的な姿勢に終始していることを知った。
・かつて作家の江藤淳氏が「ポッダム宣言」受諾に伴うわが国の国際的地位について「日本は無条件降伏をしていない」と指摘し、いわゆる「無条件降伏」説に意義を唱えられたが、この問題についても国際法の観点から検討を重ね、最終的に「条件付終戦」と表現することで落ち着いた。
東京裁判批判という国際正義を日本は掲げよ
・欧米諸国には、東京裁判を批判し、あるいは連合国の戦争責任を追及する識者が意外なほど多い。また、パール判事の出身国インドでも東京裁判研究は盛んである。〈東京裁判〉批判論は日本でしか通用しないというのは勝手な思い込みに過ぎない。これら世界の学者との交流を深めていけば、〈東京裁判〉批判は国際的な広がりと支持を得ることができると思われる。東京裁判という国際軍事法廷においてわが国が貼られた「侵略国家」というレッテルを、世界の学者との交流を通じて国際的に跳ね返したい――。
・連合国側がなぜ東京裁判を行おうとしたのか。結論から言えば、敵国の哲学(民族精神)を粉砕し、連合国の意のままになるように“精神的”国家改造を行うことが占領政策の目的であり、東京裁判はその目的達成の手段の一つであった。国際正義に基づいた「国際裁判」と称したが、その実態は連合国による“武器なき”軍事作戦の一環であった。連合国は停戦後も、東京裁判という軍事作戦を行い、日本人の民族精神を抹殺しようとしたのである。もちろん、こうした政策が国際法上許されるはずもない。…東京裁判を克服するためには、「日本は無条件降伏をした」という連合国がわの悪質な宣伝を批判するところから始めるべきであろう。
・世界の識者の〈東京裁判〉批判のポイントは大別して二つある。
一つは、極東国際軍事裁判所は日本だけを裁き、連合国側の戦争犯罪を不問に付したという意味で、不公平な裁判所であったということ。このため、戦争責任はあたかも日本だけが追及されるべきものだという先入観が日本のみならず世界中に植え付けられてしまった。…これは、奇妙な話である。連合国側も原爆投下や都市無差別爆撃といった国際法の違反行為をしているし、そもそも欧米諸国がアジア諸国を次々と支配し、排他的な経済ブロックを形成しなければ、日本は戦争に訴えてまで資源を確保しなくともよかった。戦争責任は、連合国側にも求められるべきであったのである。
批判のもう一つのポイントは、東京裁判は実定国際法に反していたということ。裁判が成立するためには法律が必要であり、東京裁判の場合、その法律にあたるものは連合国の委任を受けてマッカーサー司令官が制定した「極東国際軍事裁判所条例」であった。この「条例」は、不戦条約を曲解することで事後に新しい罪をでっち上げ、国際法上なじみのない理論を導入するなど実定国際法に大きく反したものであった。東京裁判は、連合国による許しがたい不法行為であったのである。
【ワニ補足】
・本書は広く臣民に読まれるべきである。歴史的事実と国際法理論により簡潔に整理されていて、目の覚める思いがする。日本では戦後の学問の成果だと思われるが、国際的な法学者の水準・見識は戦争時、すでにこの程度にあったことが想像される。こうした人類史の遺産を、東京裁判は大幅に逆行させてしまった。当時の米国の弁護人も堂々とした法理論を駆使して全面的に日本側の弁護にまわっているのは敬服する。このような勢力が真の友人と言うのだろう。
・本書で驚かされるのは、日本は〈無条件降伏〉したのではなく、〈条件付終戦〉したのであったという史実と法的根拠の最新の研究成果が明らかにされていることである。私自身も、つい昨日まで日本は〈無条件降伏〉をしたものと思い込まされていた。情報操作(情報戦)は、それと分からないように巧みに行われ日本をガンジガラメにしてきたのだから恐ろしい。
戦後、日本が〈無条件降伏〉をしたのではない、と最初に指摘したのは作家の江藤淳氏らしい。作家(芸術家)の直観力が素晴らしい。同時に、この一事を見ても、日本の国際法学者のレベルが分かろうというもの。(終戦直後、政府関係者のなかに、〈無条件降伏〉ではないという認識はあったようだが、GHQによって、圧殺されてしまった)
・巧みに誘い込まれた感の強い大東亜戦争の発端から勉強し直す必要がある。この部分から東京裁判以降まで勉強し直すことでしか、国論の統一は難しいと思う。東京裁判で国が人格分裂させられ、その分裂した人格同士が不必要に反目し合うのでは国力を消耗するだけである。これはまた、大国が仕掛けた罠に見事に嵌って抜け出せない状態でもある。罠から抜け出せないのには、日本のマスとしての国際法学者のレベルがまだ非常に低いことも大きな要因の一つだろう。いやいや、社会科学者の大半が提灯化してしまっているので、何十年経っても学問のレベルが上がらないのだろう(藤四郎に、こんなことを言われてしまった)。
・この5月の日中間の騒動で改めて明らかになったのは、日中両国政府とも「東京裁判史観」を前提にして物を考えているということであった。日本側は与野党そろって東京裁判史観に立っている(ちなみに日本のマスコミも平和運動も「東京裁判史観」に立ってきた)。朝日(05.5.28)の社説「東京裁判否定〜」が東京裁判史観に立っているのは驚くにあたらない。驚くのは私自身の大変化である。以前であればこの記事の内容を当然のこととして受け止めていたはずだ。しかし今は、何故か違う。アマテラスさんの仕業だろう。最近手にした真実(と思うが)は、ショックである。
・小入墨の答弁(6月2日)もしどろもどろになってしまった。「(A級戦犯は)戦争犯罪人だと認識している」「追悼の仕方に他の国が干渉すべきでない。内政干渉すべきでないと言っていない」「…侵略戦争を起こしたことの反省に立ち」と東京裁判史観を改めて再確認するハメになってしまった。一国の首相の国会での発言は重い。いわば中・韓諸国に新鮮な言質を与えてしまった。史観に立脚する限り、靖国参拝する首相は誰であろうと、波長の低い見苦しい答弁に終始しまうだろう。ここに今の日本国の姿が象徴されている。日本は今もって、心理戦争に負け続けている。
・東京裁判の評価は趣味や好みやある種の予断で判断すると収拾がつかなくなる。始末にいけないのは(この問題での大国のコントロールは切れていると思われるのに)、自動発條のカラクリ人形のように自分でネジを巻きながら走り続けていることである。ここは歴史学・政治学・国際法理論という学問の力を借りて、しっかりスタディすることであろう。国論が統一されるのは、若い世代が良く学び、人格分裂させられた世代にとってかわるようなときに迎えられるのかもしれない。また、そうした努力をしていかねばならない。これらを総合プロデュースできるのは、戦略家(学者)集団ではないだろうか。
・国論統一の目途がたったら、アジア諸国だが、東京裁判問題については、会員からもインドという手強い味方があると指摘された。インドを拠りどころにしながら、インドネシア、マレーシア、その他、まず西の大国の周辺諸国対策である。これも目的意識的な「意志」と「戦略」があれば、実行に移せることであると思う。(本書をまとめた「委員会」も、各種活動を展開して、初期の成果を挙げている様子。)
2.「東アジア共同体―経済統合のゆくえと日本」谷口誠著/岩波新書‘04年
はしがき
・21世紀に入り、EU(欧州連合)、NAFTA(北米自由貿易協定)に代表される世界の地域統合が拡大していく一方、東アジアにもようやく地域統合への動きが活発化してきた。…‘03年11月、早稲田大学は、北京大学との共催で、日本、中国、韓国、台湾、マカオよりトップレベルの学者・研究者を招き、「東アジア経済圏の成立に向けて」と題する国際シンポジュームを開催した。…参加者の一致した意見は、東アジアには経済圏を成立させるに足る十分な経済的可能性はあるが、成立の成否は、日・中・韓、とくに日中間に相互信頼関係が樹立できるか否かにかかっているということであった。
第一章 なぜ、いま東アジアに地域統合が必要か
GATT/WTOの機能麻痺
・現在の世界経済は、EU、NAFTAなどの大規模な地域統合化が推し進められていく一方で、各地域間、各国間で多くの地域協定が締結されつつあり、世界の貿易国の大半が、FTA(自由貿易協定)などの地域協定が複雑に絡み合ったネットワークで結ばれていることになる。このような現象は、GATT時代には想像もできなかったことであり、今ではWTO(世界貿易機関)の本来の機能は麻痺状態にあるといってよい。
第二章 動き出した東アジアの地域統合
政治的アイディンティティを確立したASEANの発展
・1997.12月の首脳会議においてASEANが、北東アジアの三経済大国である、日本、中国、韓国をパートナーとする〔ASEAN+3〕の首脳会議を制度化したことは、東アジアの地域統合の観点からみて、きわめて重要な出来事であった。この時期が、ASEANの大半の国が大きな被害を被ったアジア通貨危機発生の直後であったことも注目される。
地域経済統合に向かうASEAN
・1990年末、マレーシアのマハティール首相が、EAEG(東アジア経済グループ)構想を発表した。しかしこの構想に、…米国は、排他的な経済ブロックであるとして強く批判した。この批判に応え、ブロック的性格を弱めたEAEC(東アジア経済評議会)構想に切り替えられたが、最終的には日本が…米国の反対を代弁する形で不支持を表明したため、EAEC構想は日の目を見ず終わってしまった。
地域統合の中核としてのASEAN
・1989年に「環太平洋経済協力構想」に基づきAPECが設立されると、ASEANはAPEC事務局をシンガポールに誘致し、米国、オーストラリア、中国、日本などの大国に伍して、積極的役割を果たし始めた。…これまで東アジアにおいて地域統合へのイニシアチブをとってきたのは、常に日本でも中国でもないASEANであった。今後もASEANは東アジアの地域統合の中核としての役割を果たすものとして、注目すべき…。
通貨危機の教訓
・日本はアジア通貨危機発生後(1997.7月〜)、直ちに「アジア通貨基金(AMF)」構想を提案し、通貨危機の蔓延を食い止めようとした。しかし、…米国務省と、これに同調した中国によって、潰されてしまった。日本がAMF構想を日米両国の財務省レベルでの交渉にまかせず、よりハイレベルでの外交交渉として取り上げなかったことは非常に残念であった。日本が真に対アジア外交を日本外交の基軸に据えているのであれば、米国財務省の反対ぐらいで簡単に引き下がるべきではなかった。
…アジア通貨危機の悲惨な経験から得た多くの教訓が、1999-2000年頃には、再び通貨危機を起こさないための方策や、万一起きた場合の迅速な対応策についての検討に繋がっていった。
・アジア通貨危機は、結果的には東アジアにASEANと日・中・韓を結びつけるというメリットをもたらした。通貨危機を契機として始まった東アジアの地域的金融協力は、次第に貿易・投資・経済援助問題などを含む地域的経済協力へと広がりをみせ、その結果、ASEANと日・中・韓には、FTA、EPA(経済連携協定)への道が拓かれた。さらに毎年開かれるASEAN+3首脳会議では、経済問題のみならず、広く政治、安全保障の問題までも協議されるようになってきた。このように東アジアにおいて、地域統合への基盤が形成されつつあることは注目される。
中国の地域統合への積極的な動き
中国に次いで積極的な韓国の動き
やっと動き出した日本の対応
・‘02.1月、小泉首相は、…初めて「東アジア・コミュニティ」構想を打ち出した。しかし日本の提唱するこの構想の概念はきわめて抽象的で、必ずしも「共同体」を意味するものではなく、より漠然とした地域協力を指すようにみえる。さらにメンバーもASEAN+3を超え、オーストラリア、ニュージランドを加えており、…より開かれたものにしたいという日本政府の、西側先進国、とくに米国への配慮が見え隠れする。
・「東アジア・コミュニティ」は日本とASEANだけで構築できるものではなく、…中国と韓国について一言の言及もなかったのは、外交的にバランスを欠いている。日本には、中国を意識してはいないと言いながらも、東アジアの地域統合に関し、中国に一歩先んじられたという焦りがあり、…日本と中国が、東アジアの地域統合をめぐりビューティコンテストのように、互いに競うような真似は、ぜひとも避けねばならない。
第三章 地域統合への障害は何か
「共同体意識」を醸成するには
・日本外務省の高官がある会合で「日米間には『共通の価値観』があるが、日中間にはそれがない。日中間にあるのは、共通の『経済的利益』である」と発言した。…歴史的。文化的に見れば、たかだか150年の交流しかない日米間よりも、2000年以上の交流の歴史がある日中間のほうが、共有するものが多いと言える。…中国の古都を訪れ、空海をはじめ多くの日本の先哲が学んだ足跡を辿ってみての、私の実感である。
急速に変化する中国
・最近の中国の変化は、日本で一般的に考えられているより、はるかに速いテンポで進んでいる。とくに経済面において、…「市場経済」に関して中国が見せる変化は目覚しい。中国の名門、北京大学には、米国留学者が多く、…そのため経済学部には「市場経済」志向の学生が多い。‘03年11月、珠海で開催された世界経済発展宣言大会において「世界経済発展宣言」が採択された…が、その内容はきわめて市場経済的で、…中国の「社会主義市場経済体制」とは一体何であろうかと考えずにはいられない。…また、中国のビジネスマンに一般的に見られる拝金主義は、日本経済より市場経済の土壌に適しているのかもしれない。
日本にアジア重視政策はあったか*
・第二次大戦後の日本経済のサクセス・ストーリーを支えた、強い先進国志向は、私と同世代の人の多くが持っていた意識であり、とくに外務省には今も根強い。この意識の源は、古くは…「脱亜入欧」の思想に求められるが、アジア蔑視に繋がる危険性もある。日本がアジアの一国でありながら、近隣諸国と相互信頼関係を築き上げることができずにいるのは、日本人のアジア諸国に対する差別意識と優越感の故ではなかろうか。
*アジア蔑視問題の解決
・「今日の日本人の精神構造は、…あいも変わらず、みずからの評価を、他国民と の対比においてのみおこない、みずからのなかに求めるということができないでい る。したがって、その評価は常に、他国・他民族に較べて自国・自民族がより優 れているか、それともより劣っているのかという上下比較的なものになってしま う。この場合の比較基準は、明治時代においては欧米の軍事力であり、第二次大 戦後においては、アメリカの経済力であるというように、きわめて即物的である」 /(「日本外交〜反省と転機」浅井基文/岩波新書‘89年)
理念と長期戦略を欠く対アジア外交
・‘03.12月、日本政府は東南アジア友好条約(TAC)への加盟を表明した。ところが、これよりわずか二ヶ月前に、…ASEANが日本にTAC加盟を要請したが、小泉首相はこれを拒否し、その直後、ASEANが今度は中国とインドに加盟を要請し、これを受けた両国がTACに署名し、日本政府を慌てさせた経緯があった。…いったん首相が拒否しておきながら、わずか二ヶ月後には態度を変更し、加盟を決定するなどは、外交上の大失態であり、恥ずかしい出来事であった。
・最近の日本のアジア外交に特徴的なことは、まず中国にイニシアチブをとられ、初めのうちはこれを軽視しているのだが、結局は中国への対抗意識から、中国と同等、あるいはそれを上回る措置をとらざるを得なくなることである。その理由としては中国のアジア外交を甘く見ていることや、または中国の力そのものを読み違え、軽視していることもあるが、それより重要なことは、日本のアジア外交には常に米国への配慮、時には不必要なまでの米国への気遣いがあり、中国との関係においても、絶えず米国の影が感じられることである。
求められるアジア外交とは
・アジアにはフィリピンのロムロ外相のほかにも、シンガポールのリーカンユー前首相、マレーシアのマハティール前首相など、アジアを代表するしたたかな政治家がおり、その豊かな国際経験と政治的能力には、G8サミットのメンバーで、経済大国でもある現在の日本の政治リーダーたちの、遠く及ぶところではない。
・今、日本のアジア外交に求められる最大の課題は、…歪んだ「脱亜入欧」の精神からの脱却であるといえよう。…極端な先進国志向は、抜きがたい欧米崇拝に繋がり、この傾向は日本の知識階級、…の中にも見られる。さらに危険なことは、この欧米崇拝の裏返しが、アジアに対する偏見や蔑視に繋がり、しかもアジアの国々の思いもかけぬ成長と発展を目のあたりにすると、そのことに対する不安感から、一部の政治家や学者、ジャーナリスト等による、不必要なアジア蔑視発言が飛び出すことである。
第四章 「東アジア経済共同体」の可能性
東アジア経済の大きな潜在力
・東アジア経済は、単に経済規模が大きいだけでなく、その成長性がきわめて高い…。今後EUやNAFTAが拡大されても、東アジアの経済規模は、長期的にはEU、NAFTAを抜き、はるかに大規模な経済に発展する可能性がある。…日本と中国という二つの経済大国を抱える東アジア経済は、人口と経済規模において、世界最大の経済圏に発展するであろうと考えられる。
日・中・韓の連携こそがカギ
・中国はすでに日本にFTA交渉の申し入れを行っているのに、日本側はこれに応じていない。日本はできるだけ早く中国とのFTA交渉を開始し、ASEANとのFTAに加え、日・中・韓のFTAのネットワークを拡大することが望まれる。
日・中・韓を中心とするFTAのもたらす経済効果
・ASEAN、日・中・韓の経済はそれぞれ長所と短所を持っており、FTAの適用は短期的には各国に多大の困難をもたらすこともあろう。しかし長期的にはより多くのメリットを得ることに注目しなければならない。日本も…農業問題では多少の犠牲を払っても、日本の特異分野であり、比較優位を持つ、ハイテクを主体とした製品分野を活かした方が、長期的には日本経済の発展に繋がるという視点に立つべき…。
第五章 「東アジア経済共同体」の経済的メリット
東アジアの協調的分業の確立
・日本は東アジアの中で最も進んだ先進国であるため、途上国、とくに急成長を遂げつつある中国のキャッチアップを恐れる傾向がある。…日本の伝統的製造業の中でも、鉄鋼、造船、セメント、自動車、テレビ、エレクトロニクスなどの分野での中国やNIESの躍進は目覚しい。こうした状況の下では、日本の製造業も、より付加価値の高いハイテク分野へ移行せざると得ない。しかし長期的にみれば、日本経済のハイテク分野への構造調整は、日本経済に多大のメリットをもたらすであろう。
期待される技術移転
第六章 「東アジア経済共同体」成立のために
日本はより積極的で具体的な貢献を
・客観的にみて、現在「東アジア経済共同体」の成立に向けてイニシアチブをとっているのは、ASEANと中国であり、日本と韓国の存在感は決して強くない。日本が提唱している「東アジア・コミュニティ」も、曖昧かつ漠然としており、…このままでは新しい「東アジア経済共同体」の基盤とはなり得ない。
・‘04.7月、ジャカルタで開催されたASEAN+3の外相会議では、中国の提案によりASEAN+3首脳会議を「東アジア・サミット」*として定例化することが議論された。「東アジア・サミット」が実現すれば、日本の思惑とは異なり、その場で東アジアにおける地域統合の形が政治的に決められていく可能性が高い。…地域統合体相互の交流が深まっていく現状では、「東アジア経済共同体」の成立に関し、日本が米国やその他の国に対し、格別の配慮をする必要はない。日本としてはむしろ中国に先駆け、より積極的に「東アジア経済共同体」の成立に貢献をすることが必要であり、日本にはそれだけの国力と外交力があると私は信じている。
*中国の影響力、米に危機感 東アジアサミット
・「12月に開かれる東アジアサミットに、米国が神経をとがらせている。 「米 国抜き」で、中国がこの地域での影響力を一気に強めようとしている という危機感を持っているためだ。会議の中核となる東南アジア諸国連合 (ASEAN)内には、中国との関係を緊密化する国がある一方、米国との 安全保障関係の強化を求める動きもあるという。米側の会議への不満は、日 米関係にも微妙な影を落としている。」(asahi. com‘05.5.15)
環境分野での地域協力
・環境問題が、21世紀におけるアジア経済の持続的発展に対する最大の阻害要因であることは、改めていうまでもない。急速な工業化と人口増加による大気汚染、水汚染と水不足、森林破壊、砂漠化など、環境悪化は深刻化している。
中国の経済成長と環境問題
・OECDの描くとおり、中国は2020年に向かい高度成長を遂げ、経済規模においては、世界第一の経済大国に発展する可能性を持っている。同時に環境問題は深刻で、いまや中国一国の問題に止まらず、国境を越え、地球規模の問題に発展しつつあるといっても過言でない。‘01年の中国のCO2排出量は約31億dで、米国の約57億dに次いで世界第二位。中国のCO2排出量の増加率は36lで、…このまま増加を続ければ、中国のCO2排出量が米国を抜き、世界第一位となることは避けられない。またSO2の排出量も中国は世界第一位で、第二位の米国よりはるかに高い。中国のSO2排出量が日本の約23倍にも達していることは、きわめて深刻である。私は、中国が、環境汚染の元凶とも言うべきCO2とSO2排出量において、世界第一位という汚名を着ることのならぬよう、強く希望している。
・日本は種々の公害防止のための技術を開発してきたが、中でも脱硫技術は、日本の大気汚染公害を解決してきた実績が示すとおり、世界的水準にある。これらの技術は、多額の資本と長期にわたる研究によって開発されたもので、コストが高く、通常先進国は、コマーシャル・ベース以外では、途上国への技術移転は行わない。しかし日本にとって隣国中国の環境悪化は、そのまま日本の環境悪化に繋がる。日本の環境技術を、中国へ技術移転することは、単に中国の環境問題への解決への協力に止まらず、自己防衛の意味でも日本の国益に繋がることになろう。
エネルギー分野での地域協力
・アジア最大の産油国である中国が、1993年から石油純輸入国に転じ、…2030年における中国の予測輸入量は…2000年度の米国の石油輸入量に匹敵するとみられる。また近年高度成長に転じたインドの石油輸入依存度は、2030年には日本並みの94lにと、急速に高くなることが予想される。
・このような石油資源をめぐる競合関係の中で、最も懸念されるのは、急激にエネルギー需要を増大し、輸入依存度を高めている中国と、日本との競合関係である。…最近中国は、エネルギー資源開発のため、積極的にエネルギー外交を進め、石油に続き天然ガスの分野でも中東に急接近するほか、ロシアとも、東シベリア石油パイプライン建設を交渉中である。さたに中国は、東シナ海で日本が主張する排他的経済水域の境界線近くの春暁ガス田堀削を開始し、日中関係をさらに悪化させている。
・東シベリア石油パイプライン・プロジェクトは、日本がナホトカ・ルート、中国が大慶ルートという、二つのルートで競い合う形となっているが、先行したのは大慶ルートで、経済性においてもこちらのルートが優れていると伝えられる。…このようなプロジェクトこそ日・中が協議し…共同でロシア側と交渉すべきであろう。
エネルギー資源の共同開発
石油共同備蓄構想
農業分野における地域協力――「東アジア共通農業政策」
・日本が「東アジア経済共同体」にいま一歩積極的に踏み込めないのは、日本が国内政治・経済上の最大の問題として農業問題を抱えているためである。…GATT体制からWTO初期の段階までは、日本は米国、EU、カナダとともに四極構造の一極を占め、それなりの発言力を持っていたが、最近は途上国の発言力が非常に大きくなってきた。
食料自給率の低下
東アジア共通農業政策構想
・中国をはじめ東アジア諸国は、人口増加率が高く、かつ経済成長率も高く、これが食料輸入依存度を高めていることである。…近い将来アジアが世界最大の食料輸入地域となることは、間違いない。OECDの『2020年の世界』に示すとおり、…2020年には食料輸入においても、日本と中国が世界最大の輸入国として並ぶことになり、このままではエネルギー供給源をもとめての日・中の競合と同様、またもや限られた供給源を求め、競うことになりかねない。
日本と中国の間には、農業問題では競合関係にあるようにみられがちである。しかし食料供給の安全保障という点では、共通の利害を持っている。日本と中国が、同一市場で同一物を買い漁ることによる価格の高騰は、両国にとっても国際的にも、望ましいことではない。
21世紀において、日本、中国、インドの抱える食料問題は、単にアジアだけの問題に止まらず、世界全体の食料の需給関係に、大きな影響を与えることになるだろう。
東アジアにも「共通農業政策」を
・日本の食料備蓄にいついて、スイスのように人口が少ない国であれば、食料備蓄も可能だが、日本のように人口が多く、備蓄のスペースが少ない国では、備蓄のコストが高くつき、非現実的だということである。また、緊急事態に立ち至っても、信頼すべき米国が食料を供給してくれるであろうという甘い期待がある。しかし私の経験でも…米国の食料供給も絶対的ではあり得ない。さらに危険なことに、緊急時には食料供給が、外交政策上のツールとして使われることがあることを忘れてはならない。
アジアの通貨・金融協力――「アジア共通通貨圏」への道
・日本の弱点は、アジアへの通貨外交においても、米国・IMFを差し置いてイニシアチブをとれないことであり、そこに自ら限界がある。…一方、アジア諸国も1997年のアジア通貨危機は、ほとんどの国が自国通貨を米ドルとペッグ(固定)していたことにより発生した、ということを十分に理解していながら、アジア通貨危機後も、米ドルを再び主要通貨として受け入れている。
米ドルに依存し続けることはリスクが高い、ということを十分承知しながら、なぜ東アジア諸国は、米ドルに頼らざるを得ないのであろうか。これには(色々な理由があろうが)、これまで何回もチャンスがありながら、「円の国際化」に努めてこなかった、日本の財務省の消極的な体質と、長期戦略のなさに起因するところが大きい…。
「アジア債権市場」構想とその展望
・‘02年にタイが「アジア債権市場」構想を打ち出した後、’03.8月にバンコクで開かれたASEAN+3財務大臣会議では、日本の財務省は、タイと韓国の財務省とともに、積極的な姿勢を示していた。しかし、最近の財務省の姿勢は、かなり後退しているように見える。この構想が、アジア通貨危機の反省として、タイから提出されたという背景と、将来アジア通貨圏の育成に繋がるであろうということを考えれば、日本はこの構想をより積極的に推進すべきであろう。日本がもっと真剣に対アジア外交を考え、ビジョンと戦略を持っていたならば、「アジア債権市場」構想は、アジア通貨危機発生より前に、日本が打ち出せたはずであり、これにより、アジア通貨危機の発生は防げたかもしれない。また、今回の構想も、タイからではなく、日本が打ち出すこともできたのではなかろうか。…米国への配慮から、またしても腰が引けてくるのを見て残念に思う…。
「アジア共通通貨圏」の成立に向けて
・中国は、国際通貨問題では日本よりもはるかに歴史が浅く、経験も少ない途上国であるにもかかわらず、最近は発言力を増している。中国世界経済研究所の余永定所長は、将来の国際金融制度の三つの主要通貨は、ユーロ、米ドル、アジア共通通貨であるべきだとし、この目標達成のために、中国と近隣諸国は、協調すべきだと語っている。…中国の「アジア共通通貨圏」問題における実行力は、今のところ未知数であるが、人民元の価値の上昇とともに、アジアにおいても発言力を高めていくことは明らかであり、日本がこれまでのような長期展望を欠く、消極的な態度に終始していれば、通貨問題でも中国に先んじられ、日本はその対応に追われることになりかねない。
第七章 さらに「東アジア共同体」をめざして
・東アジアの地域統合の動きの中で、常に中心的役割を果たしてきたのはASEANである。しかも最近ではASEANは、ASEAN+3のフォーラムを超え、米国はじめインドをも引き寄せる吸引力を持っている。「東南アジア友好条約(TAC)」に、アジアの大国である日本、中国、インドをも加盟させたことなどが、それである。また、‘03.10月、パリのASEAN首脳会議において、インドネシアのイニシアチブにより、次の三つの共同体設立をめざす宣言を採択した。
@「ASEAN安全保障共同体」
A「ASEAN経済共同体」
B「ASEAN社会・文化共同体」
・中国の提案による「東アジア・サミット」が定例化されれば、今後はASEAN+3首脳会議が、ASEAN(とは)別個に開催されることになり、その主題は、東アジアの地域統合問題に集約されていくことになるであろう。そうなれば、東アジアの地域統合のテンポは速まる可能性が高く、かつ、議論が経済問題を超えて、政治問題に発展していく可能性も高い。…このような流れの中で、日本は、新しく派生する事態にいかに対応すべきか、ということについて十分な展望と準備が必要であり、これまでのように、その場を繕うだけの対症療法的な対応では、日本の国益は大きく損なわれる恐れがあると考える。
東アジアのアイディンティティの確立――開かれた「共同体」へ
地域的安全保障への貢献
(谷口誠;1930年生。一橋大・経済学部(修士課程)修了。英・ケンブリッジ大・セント・ジョンズ・カレッジ卒業。1959年外務省入省。現在、東洋英和女学院・大学院客員教授。早大・現代中国総合研究所顧問。)
3. 米の東アジア戦略は〜米軍再編の背景、専門家が分析/朝日‘05.4.12
中国封じ込めには疑問、地域同盟の結成が必要/トーマス・バーネット(米海軍大学教授謙上級戦略研究員
「米国にとって中国に関する唯一の問題は中台関係だ。台湾当局の出方次第で米中戦争に発展する恐れもあるからだ。米政府は台湾防衛を断念するか、防衛するにしても限界があることをはっきりさせないといけない。
日本は中国との経済関係が深まっているのに、政治家や自衛隊は中国を警戒して米国との軍事同盟を強化し、日米で台湾を守ろうとしているが、それは無意味な行為だ。日米両国は中国の経済がいかに両国経済にとって重要な存在かということにいずれ気づくだろう。
ブッシュ政権の問題点は中国が脅威になるという強迫観念を持っていることだ。欧州連合(EU)との関係修復を図るために、一緒に中国を包囲するような政策をとるべきではない。西半球で米国が重要であるように、いずれ中国は東半球で重要な存在になる。
経済関係を考えれば、日本が中国よりも米国を選ぶというのはばかげている。同様に米国が中国よりもEUやインドを選ぶというのもおかしい。中国を軍事的に封じ込めることが外交的、経済的にいかに高くつくかということを戦略家は知るべきだ。むしろ、中国がアジアや国際社会に安心して入れるように環境を整えるべきだ。
日本も東シナ海での石油開発をめぐって中国との軍事的緊張を高めるべきではない。両国とも単独開発はできないのだから、日本が資本を中国に提供して共同開発するのが合理的だ。日米中の経済人は本能的にこうした解決策を知っている。
すでに中国とインドは二大人口大国としてエネルギー資源を入手するため手を結び始めた。両国が争いをやめ、資源購入にあたって将来カルテルを組むことになれば、日本も協調を迫られる。
東アジアの最重要課題は、日本と米国、中国、韓国、オーストラリア、インドで北大西洋条約機構(NATO)の東アジア版をつくることだ。加盟国同士の戦争を起こさせないようなシステムづくりのためだ。日米が中印両国を巻き込み、いずれEUのような経済同盟に発展させれば、日米が経済的な不利益を被ることもなくなる。軍事的に中国やインドを封じ込めたり、戦争をしたり、中印のどちらかを選ぶという考えはばかげている。
対中国ミサイル防衛(MD)網の構築は、中国との関係を悪化させるだけであり、戦略的な誤りだ。日本はMD網に入らないカナダを見習い、「われわれは平和勢力なので中国を離反させることに関心はない」と主張すべきだ。」
台湾海峡が重要な課題、中国の路線変化促進を/トーマス・ドネリー(アメリカン・エンタープライズ公共政策研究所研究員)
「米国の基本戦略…から考えると安全保障上の課題は中東と東アジアになる。とりわけ東アジアでは、中国の台頭が重要になってくる。国防総省が進める米軍変革はこうした世界情勢認識に基づいてきた。
しかし、…米国は中東政策を外交の柱としたため、テロとの戦いとなれば中国とも協調するなど、対中政策は誤ったコースに進んでいる。中国の現状を見ようとしないで、政策を作っているのが現状だ。
中国が…軍事力近代化のための軍事費増大や台湾を牽制する反国家分裂法制定などの動きを見れば、物事が平和的に丸く収まるとは思えない。米政府内ではまだ中国の現状認識について合意ができておらず、活発な討論の最中だ。
もちろん、米国の戦略目標は中国と戦争をすることではなく、中国をより好ましい方向に変えることだ。中国は将来、間違いなく地域大国から世界大国になるので、抑圧的政権が権力を握っているのは非常に危険だ。通商で経済的関与を深めながら、中国の政治改革を後押しする必要がある。…世界が中国にあわせるのではなく、中国が世界にあわせるようにしないといけない。
東アジアには朝鮮半島と台湾海峡という二大危険地帯がある。…個人的には軍事力行使に結びつきやすい台湾海峡の方がより重要だと考えている。…米国は日本を対等のパートナーと見ており、…最重要な同盟国だ。だからこそミサイル防衛(MD)をより積極的に推進してほしい。
米国は東アジア戦略で二国間による取り組みから多国間による取り組みに移行する必要があるのは疑問の余地がない。ただ、同盟を組む国は戦略目標だけでなく政治信条も共有する必要があるので、東アジア版NATOをつくるのはそう簡単ではない。」
4. 「米軍再編」/NHK「クロ現」‘05.4.5
・米軍の戦略見直しが進んでいる。141万人の内46万人が国外。その内訳は、
ドイツ・ヨーロッパ;10万人
イラク・中東 ;20万人
アフガン ; 1万人
日本・韓国・アジア ;10万人
・ドイツと韓国から計7万人を米本土に移す(約1/3)。不安定な弧といわれる地域(ヨーロッパ・ユーラシア大陸の周辺)を新たな国防の戦略の中心に位置付けた。
・グアムを改めて重視。中国の潜水艦の動きを監視するのが主な任務。B52も本土以外で始めて配備した。
アジアの最も近いアラスカも重視し、高い性能の装甲車・ストライカーを配備した。軽量なので飛行機で運べる。
・不安定な弧の中に18箇所の基地を置く。兵員は常駐しない。再編後は、シンガポールを前線基地とし、一気に必要な物資や兵員を日本、グアム、本国から投入する。本国と日本からは海兵隊が、グアムからは武器・弾薬が3日以内にシンガポールに到着する。その後、部隊は目標に展開する。戦闘地域にはアラスカからストライカーが投入される。
・〔川上高司・拓殖大学教授〕韓国は、不安定な弧にまで米軍が活動範囲を広げることに基地を使うことに違和感がある。そこで日本の基地への期待が強い。陸の司令部も座間に持ってくる意向である。作戦の最前線の基地になる。日本が米の戦略の中にどう位置づけられるかは、この夏、秋を経て、来1月には目処をつける意向である。今世紀最大規模の再編になる。
【ワニ注】世紀の米軍大編成を読者はどう見るだろうか。中国を意識したものとい うのは容易に読める。しかし、故ジョン・コールマン情報によると、第三次世界大 戦が起こるとすれば(if)、それは米・中間ではなく、米・ロ間なのだとしている(「第 三次世界大戦」成甲書房)。元KGB長官のプーチン大統領は、国際銀行家たちが ロシアから富を簒奪しようとする野望のあることを熟知していて、ガードを固めて いる。また、ロシア軍の士気も高いのだと言う。米国がロシアの力を見誤ってい るのか、それとも東を打つと見せて、その西をターゲットにしているのか、私に は分からない。
了