日本の戦争を若者は知らない

2002年2月4日(月)産経新聞

日本よ 石原慎太郎 「みんな、知らない」

 

フジテレピの夕方のニュース番組の中で気象解説を担当している次男が、

先月の二十五日に、百年前の同日寒渡に襲われた北海道の旭川で零下四十一度

という未曽有の記録が記されているのを思い起こし、丁度その日、やがて

来たるべきロシアとの戦争での冬季野戦に備えて行われた八甲田山踏破の演習で、

青森から出発した第五聯隊所属の大隊が山中で吹雪に巻かれ殆ど全員が凍死

全滅した悲劇、高倉健、北大路欣也主演で映画化もされた「八甲田山、死の彷徨」

を話題にしようとしたら、一世代違うスタッフたちからそんなことは今では

誰も知りはしないと反対され思いとどまったと慨嘆していた。

息子の思いこみが何だろうとスタッフのいう通り、短い天気解説の中では大方の

視聴者が知りもしない昔の出来事を改めて解説してかかる暇もありはしまい。

百年前という時間がそれを振り返る人間たちにとって遠いか近いかはしょせん

その過去にあった出来事の記憶次第だろうが、私たちの祖父さん祖母さんあるいは

わずか祖々父さん祖々母さんたちが行ったことがらの集積たる近代の歴史の意味合い

について、いやただその出来事そのものについて若い世代が知らずにいるというのは、

この日本の社会に透き間風が吹き通っているような気がしてならない。

現代は過去の集積の上にしか在りはしないが、その過去の中でももっとも身近な

間近な祖先たちが成し終え私たちに継がせたこの今を考えるためにも、祖父さん

祖母さん祖々父さん祖々母さんたちが何をしたのかということを確かに知ることが

不可欠に違いない。日露戦争での勝利という、世界史の中での奇跡がなんで

在り得たかということを知る鍵も、ほとんどが無名の自分の祖父祖母、祖々父祖々母

たちという日本人が何を思い何をしたかということを知る以外に在り得まい。

司馬遼太郎の「坂の上の雲」が名著たる所以は、司馬さんが当時の元勲たちなどでは

なしに、主に、殆ど無名の人々がそれぞれいかに熱く国を思い己の職責を果たしたか

を描いたが故に違いない。そして自分たちの身近な祖先が何を思い何を行ったか

ということを知らぬということは、結局自分自身を知らぬということと同じでは

なかろうか。明治の先人たちどころか、若い世代の多くは目の前に生きている

先輩の同じ日本人たちが、つい先日とも思われる過去に何をしてきたか

ということすら知らない、というより知れずにいる。

先年に亡くなった、かつての第二次世界大戦での世界の撃墜王、ゼロ戦の工−ス

坂井三郎さんにじかに開いた話だが、ある時坂井さんが下りの中央線に乗っていたら

前の席にどこかの大学に通う大学生が二人座ったそうな。

最近の大学生はどんな話しをするものかと瞑黙したまま聞いていたら、二人の会話が

進んでいき、突然一人がもう片方に、「おい、お前知ってるか、日本は五十年前に

アメリカと戦争したんだってよう」

いわれた相手が、「嘘っ!」「馬鹿、それが本当なんだよ」

「ええっ、マジかあ。で、どっちが勝ったんだよ」

それを聞いて坂井さんはショックを受けいたたまれずに次の駅で降りてしまい、

ホームの端でしぱらく一人で突っ立ったきりでいたそうな。

なんとも無残な話ではないか。

私は外国人記者クラブの昼食会で初めて坂井さんの話を間き知己を得たが、

氏はそこであの戦争こそが戦後多くの有色人種の独立国家を誕生させ世界を変

えたのだ。故にも私はこうして片目を失いはしたが、あの戦について誇りに思っている

と明言していた。そう聞いて白けてしまった外国人記者たちの中で私一人が拍手したら、

若いアメリカ人の記者が私のことを極右の気違いと罵って退席していったものだった。

今日ようやく歴史教育についての議論がかまぴすしいが、その内容についてもともかく、

この国の歴史をこの国に住んでいる人問たちにとって肌身に感じさせ、

体に通う血の中で埋解できるように間近な先祖たちの業績からたどりなおして、

まず近代史から時代を遡っていく方式に変えてはどうかと思う。

一冊くらいそんな教科書が出てきていいのではあるまいか。

過去の社会の構造がどうだったこうだった

といった階級史観の記述ばかりでは、

自分と血の繋がった先祖の人々への興味は湧いて来まい。

誰が何を考え何をしたのかという事実の堆積の上にこそ歴史は構築され、

それを知る、それを知りたいという興味の上にしか自らの国の歴史への真の愛着も

批判も生まれてきはしまいし、この国の今ある様を

正確に捉えて考える術もありはしまい。

歴史は昔から今へたどって来るよりも、今から昔へたどりなおす方が、

はるかに生き生きしたものに感じられてくると思うのだが。

(月に一回掲載予定)題字は高橋峰外氏

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