靖国参拝問題
政治家よ 国を危うくするなかれ
日本人は過去を忘れがちな民族であると、ともすれば言われてきた。
小泉純一郎首相の靖国参拝をめぐって、いま歴代の首相から野党議員に至るまで日本の政治家たちが繰り広げている言動を前にすると、残念ながら当たっていると思えてもくる。
中国の北京や上海などで日本の大使館や領事館、果ては中国人経営の日本料理店までが反日デモの暴徒に襲われたのはたった2ヶ月前。呉儀副首相の非礼な帰国も数週間前のことにすぎない。
であるのにわが政治家たちときたら、謝罪や賠償要求もどこへやら、中国のメッセンジャーよろしく小泉首相に靖国参拝中止を迫っている。反日デモで国際社会から指弾され窮地に陥っていた中国にすれば、一転、ぬれ手であわみたいなものだろう。
例えば河野洋平衆議院議長の呼びかけで、「慎重な対応」を申し合わせた宮沢喜一、村山富市、橋本龍太郎ら元首相たち。
悪天候で搭乗機が台湾に緊急避難した際、台湾の土地を踏むまいと機内から一歩も出ず、しかもそのことを中国への忠誠の証しっであるかのように中国に報告した河野議長のことは言うまい。
だが、元首相たちは現首相の決断と孤独とに一体どこまで思いを致したのだろう。
賢明にも欠席した中曽根康弘元首相も「やめるのも一つの立派な決断」と参拝中止を進言した。考えてみれば、今日に至る日中の軋轢は中曽根元首相の靖国参拝から始まった。小泉首相が止めてくれなければ名分が立たないのか。
中曽根氏の参拝取り止めは親日的な故胡耀邦・元中国共産党総書記を思ってのことだったとされる。配慮が奏功しなかったことは歴史が示すとおりである。中国共産党の権力闘争に思いやりの入り込む余地などないし、そもそも一国の命運は、自らの力量で決まる。他国の力など限定的でしかないのである。
その他、岡田克也・民主党代表はじめ野党政治家はもちろん、自民党でも日本遺族会会長を務める古賀誠・元幹事長、中川秀直国対委員長、野田毅元自治相、連立与党の神崎武法・公明党代表、冬柴鉄三・同幹事長・・・。
政治家たちはいまや雪崩を打って、参拝中止や慎重な対応もしくはA級戦犯分祀を求めているかのようだ。
彼らは異口同音に国益を強調する。彼らの一連の行動が本当に国益に沿うのか。一皮むけば国益は私益という政治家はいないだろうか。またもしそれが信念かつ持論ならば、自ら問題提起してこなかったのはなぜだろう。小泉首相は4年。時間は十分あった。
しかも少なからぬ政治家たちは、「胡錦濤国家主席が会うので来てください」など中国からもろもろ要請され、出向いて行った。中国の対日工作の一環であるのは明白なのに、である。
もりろん、二国間関係は良好なほうが望ましい。
だが、世界はいま、日中の緊張・対立にアジア二大国の覇権の帰趨を重ね合わせ、大いなる関心を持って注視しているのだ。政治家たちの言動は、国際政治の力学にあまりに無頓着であると思う。
中国艦船の領海侵犯や日本近海での活動活発化、東シナ海の地下資源をめぐる確執をはじめ、日中関係には戦略的利害の対立が次第に鮮明になってきた。このような時に小泉首相の筋を通そうとする姿勢を有力政治家たちがよってたかってつぶそうとする。なんという光景だろう。
先ごろ、日本新聞協会の招きで来日した中国記者団は、協会のスケジュールにのっとって靖国神社を見学した。党員であろう団長は一人、「急に腹が痛くなった」と言ってバスに残ったそうである。もちろん次の見学地ではピンピンしていた。
政治家たちも訪中するなら、せめてこの程度の機知や知恵を中国側に示してほしいものだ。
小泉首相の靖国参拝が世論を分けていることは確かである。首相が説明責任を果たしているとは思わない。その是非はもっと論じられてよい。だがそれは中国側に言われるからではないし、ましてや中国が是非を決めるのではない。
来日したアーミテージ前国務副長官は民放の番組で「他国から参拝するなと指図されるようなことがあれば逆に参拝すべきだ」と答えたという。至言である。
核開発に存亡をかける北朝鮮。米韓同盟にすき間風の吹く韓国。北東アジアの情勢はますます厳しさを増すだろう。わが政治家たちの対中姿勢を見ていると、いささかクラシックな表現ながら、こんな思いが浮かぶ。君、国を危うくするなかれ。
論説委員長 千野鏡子
(2005/6/10)