このままでは、愛する日本を守れない。重大な「争点」から逃げてはならない−

 

幸福実現党・大川隆法総裁の全面広告「200811月以降の大川総裁の講演からの抜粋」

 

【北朝鮮「拉致問題」】

北朝鮮の拉致問題について言えば、拉致被害者家族連絡会の方々は、次の衆議院選に立候補を予定している人たちにアンケートを実施して、いった、誰ならば、拉致の問題を解決し、「まだ生きている」と信じている自分たちの家族を取り戻してくれるのかを知ろうとしています。

まことにまことに、申し訳なく、悲しいことであると、私は思いました。

自分の国ぐらい、自分で守らなければなりません。そして、拉致被害者の家族が、「誰ならば助け出してくれるのか」ということについて、アンケートを取らなくてもいいような国にしなければいけません。

近隣諸国を脅して喜んでいるような国家運営は、断じて許せません。

 

【「靖国参拝」について】

外国から、日本の国の総理や大臣が靖国神社に参拝することの是非を決められたり、禁止されたりするような謂われはないと思います。これは、明らかな内政干渉としか言いようがありません。

日本は独立した国であり、属国ではないのですから、とやかく言われる筋合いはありません。

これに対しては、「それを言うのであれば、日本の大都市に向けている中距離弾道弾を全部取り外してから言ってください」と、そのくらいは切り返さなければいけないと思います。

「平和的な国家に言われるのなら、まだ分かります。しかし、短時間で日本の主要都市を壊滅させる能力を持っていて、現に、その準備ができているような国に言われたくはありません。現在、どちらが侵略的な立場にあると思いますか」と言うべきです。

 

【「憲法九条」は植民地思想】

日本国憲法の第九条は、遅くとも二〇二〇年ぐらいまでには改正すべきだと思います。「憲法九条があるため軍隊は持てないが、自衛隊は軍隊ではないからよいのだ」と言っていますが、自衛隊は軍隊です。憲法上は、あってはいけないものがあるのです。なぜなら、必要だからです。必要なら、本当は憲法を変えるべきです。

また、「そもそも、憲法九条自体が憲法違反なのではないか」という疑いさえあるのです。憲法九条の思想は、条文を読むかぎりでは、基本的に植民地思想です。国家の主権を放棄する条文、存在そのものが違憲の疑いのある憲法九条は、やはり変えるべきです。

 

【「国益」を論じるのは当然】

この国においては、国益を論ずることさえ自由にできないような風潮があります。しかし、世界を見れば、「国益を論じない政治家が、その国の中心的な指導者になる」などということは、ありえないのです。

国益を論じることは、何ら、やましいことでも恥ずかしいことでもありません。しかし、それを間違ったことであるかのように扱われることを恐れて、国益について一言も口にできないというのは、まことにまことに情けないことです。国会議員であるならば、国益を考えることは当然の義務です。

 

【「国防」に言論の自由を】

昨年、新聞に航空幕僚長が更迭された記事が載っていましたが、自衛隊幹部が自由な意見を発表しただけで、すぐ更迭されるようでは、この国の安全が守れるかどうかは怪しいところがあります。今の日本は、自国の防衛を他国に大きく依存したかたちになっているので、この問題については、首相に、専門家の意見を白紙の心で聴く「度量」を持ってもらいたいものです。

 

<2009年8月23日 ○○新聞から転記>