北方領土問題
北方領土問題
1945年8月9日、ソ連は41年に署名され当時有効だった日ソ中立条約を無視し、対日参戦した。ソ連軍は終戦後の8月18日、千島列島への攻撃を開始。その後、南進し28日に択捉島、9月1日から4日に国後島、色丹(しこたん)島、歯舞(はぼまい)群島をそれぞれ武装解除し、5日までに北方四島(北方領土)を占領した。サンフランシスコ平和条約で日本は千島列島を放棄したが、北方領土は含まれていない。北方領土には終戦時約1万7300人の日本人が居住していた。四島の総面積は約5千万平方キロメートルで福岡県とほぼ同じ。
北方四島の占領
8月15日の「終戦の詔勅」が発せられた3時間後、ソ連首相、スターリンは千島列島を占領するよう現地軍に命じた。さらに、米国のトルーマンに北海道の北半分のソ連軍による占領を要求して拒否された。その揚げ句、ソ連は国後、択捉、歯舞、色丹の北方四島を9月3日までに強引に占領した。竹前英治の『GHQ』によると、ソ連の「第二次大戦史」第11巻はこれらの占領が9月1日に終了したことになっている。2日のミズーリ艦上の降伏調印前に作戦が完了しておくことを装おうためである。