「これが中国史の真実だ」

This is the truth of Chinese History

西暦

年号

中国国際関係

中国国内

1949

昭和24

国民党政府台湾に移る

中華人民共和国成立

1950

25

独立国チベットを侵略し、自国の占領地域とする。

朝鮮戦争(北朝鮮の韓国に対する侵略)に義勇軍のかたちで黒幕として参加(数万人の韓国人を殺害)。

 

1951

26

 

「反革命処罰法」により各地の人民法廷で、毎日数千人の死刑判決、少なくとも数千万人の反革命分子、地主階級、旧資本家が犠牲となる。

1955

30

ウイグルを自治区に編入。

 

1958

33

ウイグル族(トルキスタン)独立を目指すも中国による徹底弾圧により頓挫。

 

1959

34

チベットで独立戦争。人民解放軍これを大弾圧。チベット人数万人が虐殺されたという。ダライ・ラマ法王インドへ亡命へ。

 

1962

37

中国国境を越えインドへ侵入。インド側に数千人の犠牲者。

60年代初頭、2700万人が餓死。

1966

41

 

文化大革命(1966〜76)

共産党による粛清運動。党の方針に批判的な中国人民2000万の人間を大虐殺。

(数百万、1000万、3000万、4000万などいろいろな説あり)

1968

43

海洋資源の存在を知り、突然尖閣諸島領有を主張

 

1969

44

ソ連・珍宝島(ダマンスキー島)国境紛争

 

 

 

[この間カンボジアでマオリズム(毛沢東主義)によるポルポト政権成立。総人口800万人のうち200万人(一説では400万人)を虐殺]

 

1979

54

ベトナムのポルポト政権を攻撃に対し、ポルポト支持のため「制裁」。20万の兵力をベトナムに侵入させる。しかし、ベトナム軍の抵抗で敗北。

日本の対中ODA始まる。現在までで日本の対中ODAは、直接円借款で約3兆円、世銀を通したものも含めると6兆円にも及ぶ。これは人類歴史史上ひとつの国家が他の国家に与えた援助額の最大のものである。しかし、中国はこの事実を国民に全く教えていない。

1989

平成1

チベット自治区において大暴動(民衆蜂起)中国当局は戒厳令でこれを弾圧。120万人の犠牲者を出す。なお、この当時のチベットの責任者が胡錦濤現国家主席である。

天安門事件(血の日曜日事件)

民主化を要求する無防備の学生に向かって発砲。殺害者数不明、一説に3700名とも言われる。中国当局はこれを反革命動乱(重大罪)と定義、被害者の補償、名誉回復はいまだに行われていない。

1996

チベット自治区において大反乱、中国当局はこれを大弾圧。

 

1998

10頃

[中国と友好関係にある北朝鮮において、圧政により300万人餓死。]

 

1999

11

 

江沢民の命令により宗教団体「法輪功」の弾圧が始まる。投獄・拷問・迫害などによる死者および自殺者多数。

2004

16

日本において外国人犯罪が激増。そのうち45.0%が中国人によるもの(「警察白書」2004年版)。

集団内の貧富の差をあらわすGini係数が0.51になる。この係数は、0.4が警戒線とされ、0.5を超えると国家が崩壊する危険があるとされる。

2005

17

 

農業人口9億を抱えながら、食料輸入国に転落。

 

 

 

国内でデタラメな経済政策による深刻な環境汚染が多発。いずれ揚子江は「世界最大のドブ川」になると言われ、地球環境に対する影響が憂慮されている。

2008

20

チベット騒乱

 

 

最も重要な事実(fact)

中国史上、最も中国人および外国人を虐殺したのは、現在の中国共産党政権である。

Chinese Communist Party killed maximum number of Chinese people and foreign people, in Chinese History.


出典:「逆検定 中国国定教科書」井沢元彦、金文学(祥伝社)

 

必読書

「マオ 誰も知らなかった毛沢東」

ユン チアン、J・ハリデイ著、土屋 京子訳) / 講談社

Mao: The Unknown Story2007/1/4

Jon Halliday Jung Chang

中国と関係する人の必読書。

特に、政府、国会議員

中国の人も読むべき。

中国共産党の核心がわかる。