ふと思う



J 2005.7.27 wed.   シーソーに羽をつけて大空に飛び立とう
I 2005.7.27 wed.   でる杭となり打たれよう
H 2005.7.16 sat.   動物たちによる身体をはった警告
G 2005.7. 8 fri.   私は私以上の人間でも以下の人間でもない
F 2005.7. 4 mon.   人間の体を不便たらしめているもの
E 2005.6.30 thur.   環境を変えずに人間を変える
D 2005.6.29 wed.   森は海の恋人「カキ育てるのは森」
C 2005.6.28 thur.   米国で2頭目のBSE感染牛確認
B 2005.6.27 mon.   “肉食を選択している”という勘違い
A 2005.6.27 mon.   自ら行動し体験し感じ、机上の空論を避ける
@ 2005.6.27 mon.   ベジタリアンは第一歩を踏み出した人間に過ぎない




J 2005.7.27 wed.   シーソーに羽をつけて大空に飛び立とう


こんなくだらぬ日本社会の中に普通でいると、腐ってしまう。
エネルギーの奪い合いの加害者となり、被害者となり、慢性的エナジー不足に陥る。

そういう時代は終りつつある。
エネルギーをお互いに、お互いから、いかにして奪い取るか。・・・そんな時代。
それは、くだらぬシーソーゲームでしかない。

ほんとに自分のこと、相手のこと、みんなのこと、地球のことを考えるなら、
そのシーソーごとみんなで大空に舞い上がってゆくようなイメージで、いてほしい。

シーソーに羽をつけて大空に飛び立とう
それは、奪い合いではなく、 与え合うこころ そして 分かち合うこころ が可能にしてくれると思う。




I 2005.7.27 wed.   でる杭となり打たれよう


もし、透明ハンマーで打たれたら、でる杭となりえたと思いて、自信もって更に歩みを進めよう。

そうでもしなければ、だめになる。日本人全体のレベルは低すぎる。
周りを見回し、みんなこんなもんだと安心して終了。
あんなやつもおると、下をみて指差し笑い、今現在のその自分を正当化して終了。
自分以上の人がいれば無意識にねたみ、悪いうわさでもたてて落としてやろうとしたり、
ちょっとしたことをとりあげて、だからあいつはたいした人間じゃないとか言って納得したり、
みんなで後ろ指さしたりして、かわいい自分の自尊心を傷つけぬように処理して終了。

まわりのやつらがそんなだからと安心し、差し障りなく生きる日本人。
でる杭とならずして、まともに生きる道はない。




H 2005.7.16 sat.   動物たちによる身体をはった警告


“鳥インフルエンザ 父娘3人死亡か” インドネシア
・・・12日から14日にかけて死亡した父娘3人が、毒性の強い高病原性鳥インフルエンザウイルス(H5N1型)に感染していた疑いが極めて強いと発表した。
 感染者が死亡したとすれば国内では初めて。同保健相は「人から人への感染による可能性がある」と述べた。
(毎日新聞7月16日朝刊3面)
鳥インフルエンザも、BSEも、カラスもクマも、
調子に乗りすぎた人類にたいする動物たちの反乱としてわたしの目に映る。

動物たちによるこのような身体をはった警告を、
わたしたち人間は真剣に受けとめねばならない。

それができぬのなら、滅ぶべきわたしたちが滅ぶしかない。




G 2005.7.8  fri.   私は私以上の人間でも以下の人間でもない


俺は、今見せてる俺以上の人間でもないし、以下の人間でもない。
わたしは、いつもそう言う。いつもそう言って来た。でも、ひとは普通、自分を自分以上にみせようとする。だから、おかしくなる。そのままでいいのに、そのままが好きなのに、背伸びしたり、ええかっこしたり、知ったかぶりしたり、頭いいぶったり、いいひとぶったり、偉そうぶったり、する。
いくら頭いいぶったり、いいひとぶったりしたとしても、そのひとは、見る人が見れば一目瞭然、頭いいぶってる人、いいひとぶってる人、にしか見えない。

だから、無駄な努力はやめるべきだ。“〜ぶる”のは金輪際やめるべきだ。
ええかっこしてたってしかたがない。大切なのはその人自身なんだから。だから、本当の自分を成長させるしか道はない。〜ぶってしまうほど今の自分に不甲斐なさを感じているのなら、そのなりたい理想の自分に向かって本当の自分を伸ばすほうがいい。



F 2005.7.4 mon.   人間の体を不便たらしめているもの


ビタミン・ミネラル・食物繊維・脂質・たんぱく質・炭水化物・・・・・・・・・
一日何十品目を目標にしましょう。そうでなければ不足します・・・・・・・・・
不足分はサプリメントでしっかり補いましょう・・・・

不便すぎはしませんか?不便だとおもいませんか?そんな人間の体って。

ほんとは、もっともっと便利だし融通が利きます。
肉は体に悪過ぎます。その最悪の肉を摂取しつつ如何にごまかしごまかし健康的風に生きていけるかを追究した結果がその「一日何品目」というフレーズです。

国はまだまだ肉を食べつづけてもらわないと経済的に困るんです。だから、すでにトンデモ食材であることが明白な肉を国民に食べさせ続けています。肉のマイナスぶんを補いながらいかに“バランスよく”沢山の食材を買わせるか・・・、これが日本の一般的栄養学です。

だから、肉がトンデモナイ結果をもたらしているという現実をひた隠しに隠します。
隠しても隠しても数字で出てきてしまいます。不足やら病気やら死亡率やら。

それを、うまいこと「現代社会のストレス」やそれに伴う不摂生などの責任にして、「その不足を補うためにサプリメントを摂取しましょう」といって、さらに金を使わせる。
「ストレス」というイメージ上の実体のないものに責任転嫁したのがうまい。なんとなくみんな、ストレスのせいで肌が荒れてるんだと思ってしまう、感じてしまう。

でも、実際はすべて 肉 の責任なんですよ。

ストレスさえも 肉 が産み出しているんです。

それをどうにかこうにか必死に誤魔化そうとするそのときでさえも、経済至上主義、金銭至上主義が顔を出して、目標品目数なんかを設定し無駄に多くの種類の商品を購入させたり、不必要なサプリメントに大金を払わせたりしているんです。ようするに、私たちは資本主義社会のなかで情報によってコントロールされているモンキーに過ぎないんです。本人は自らの意思で選択しているつもりなんですけどね。

だから、 “肉食は選択ではない” と言うんです。
自らの選択をエンジョイしているのは、情報や常識にとらわれずに真実を見抜き肉を絶ったベジタリアンのほうなのです。




E 2005.6.30 thur.   環境を変えずに人間を変える


みんなの広場 “「環境より人間を変える」歴史に”  【高校生 女性16】
 今、環境省と経済産業省が「容器包装リサイクル法」の見直しを進めています。環境省の中間報告では、スーパー、コンビニ等のレジ袋の無料配布禁止や、再利用できる「リターナブル容器」の率先的活用などの内容が盛り込まれているようです。  人間とは、原始の人々が寒さを感じて火を使用したように、環境を変化させ、改善して生きてきた動物です。これは、自らを進化させることで環境に適応して生きてきた他の動物とは異なります。  しかし今、地球を一番苦しめているのは誰でしょうか。優れた脳を持つはずの人間が利便性を求めて、地球を壊してきたのです。私たちは、こうした問題に目を向け、「環境を変える」歴史を「自分を変える」歴史にしていくべきだと思います。多少、面倒くさいことでも、自然のため、地球のために、自分を変える勇気の一歩を踏み出せる人、そんな人が増えたら、地球はとても喜ぶと思います。(毎日新聞6月30日朝刊4面)
わたしは、冷暖房使いません。
これも“環境を変えずに人間を変える”ことに当てはまるかな?
冷暖房を完備するから、体温調節機能が衰退し温度変化に対応できぬ体になる。
それを危惧し数年前より冷暖房抜き。すると体が自分が変化し進化し、寒さ暑さに、特に暑さにはめっぽう強くなった。ベジの影響もあるだろうけど・・。




D 2005.6.29 wed.   森は海の恋人「カキ育てるのは森」


守れ“木の国ニッポン” 「カキ育てるのは森」
 ――上流の広葉樹の森から流れ出る養分を含んだ清流が海中の植物プランクトンを育て、それを食べて大きく育つのがカキ。だから海にとって森は、大切な恋人――というわけだ。――
(毎日新聞6月29日朝刊27面)
荒れた森を救おうと森林再生に取り組む人々に焦点をあてた特集のなかに、そんな記述があった。なにをいまさらと思うかもしれない。わかりきっていることであることはわかりきっている。でも、本当にはだれも、なにもわかっちゃいない。わかってる気になって自分を納得させたり誤魔化したりしてるだけだ。
わかっているよと豪語する人に問う。あなたは人間が“地球を破滅に向かわせる唯一の生物”であることを知っているか? 地球規模で見ると、人間は“存在しているだけでマイナスを生み出す唯一の生物”であることを知っているか?

しかたないじゃねーか!と怒鳴らないで。そのエネルギー前向きに使おうよ。
だから、謙虚に生きる。できるだけのことをする。
地球に対してできる限りの償いをして生きる。

できることを、できるだけやればいい。
ハンバーガーや牛丼を拒否することぐらい、誰にでもできる。




C 2005.6.28 thur.   米国で2頭目のBSE感染牛確認


台湾、再び禁輸  米BSE牛確認
 米国で2頭目の牛海綿状脳症(BSE)感染牛が確認されたのを受け、台湾行政院(内閣)は25日、4月に再開したばかりの米国産牛肉の輸入を禁止すると発表した。台湾行政院は「台湾住民の安全を最優先した」としている。
(毎日新聞6月26日朝刊1面)
あまりBSEに関しては書く気がしないけど、書きます。

アメリカの牛肉は危険ですよ。・・・以上。

それにたいし、いや、危険ではないという意見、反発、反感。・・だから書く気も失せる。
自分でしっかり情報収集して判断してほしい。それだけで牛肉は食べずに済むはず。
反感もったって仕方ないよ。事実は事実としてうけとめないと。

牛肉で被害<道渡りけが  米BSE確認検査改善 日本人専門家「まだ不十分」
 米国は、03年12月に初のBSE牛が出て以降、約38万8000頭を検査した。今回の2頭目を含め単純計算ではBSE牛は19万頭に1頭になる。米農務長官は会見で「牛肉で被害を受ける確立より、食料品店に行こうと道を渡る途中でけがをする確立の方が高い」と胸を張った。
 ただ、米国で食肉処理される牛は年間3500万頭で、検査されたのは1%に満たない。さらに検査対象は、ふらつきなどBSEが疑われる症状のある牛や死亡した牛の約6割に限られ、見かけ上、健康な牛は対象外だ。しかし、日本ではこれまで感染牛とされた20頭のうち、症状からBSEが疑われた牛は一頭もいなかった。 (毎日新聞6月26日朝刊2面)
議論にならんでしょ?あほらしーて。ちょっと考えたらわかるやん。日本ばりに検査したら、アホほどBSE牛でて来るよ。まったくあてにならん。アメリカの出してくる数字なんか当てにしたらあかんよ。ウソつきでしかないから。それやのに米国最大の畜産団体、全米牛生産者牛肉協会は24日、「38万8000頭を検査して、感染牛は1頭だけ。米国牛は安全で、再開交渉に影響を与えるべきではない」との声明を発表したらしい。

それでも懲りずに早期輸入再開を求めている吉野屋などの外食産業は、わたしたちのことなんか、これっぽっちも考えちゃいない。
だまされて食べるか、見抜いて排除するか。




B 2005.6.27 mon.   “肉食を選択している”という勘違い


菜食者が菜食を選択して生きる、マクロビアンがマクロビを選択する、ベジタリアンがベジタリアンとして生きていく決断をし、選択をして生きるているという事実と、
現在、日本で肉を食べて生きる人が、それらに対抗して“肉食を選択している”といいたがる気持ちとの間には、雲泥の差がある。月とすっぽんである。

おめぇが菜食を選択するのと、俺が肉食を選択するのと何がちがうんじゃ。選択の自由じゃぼけっぃ!

あえて、肉食者の凶暴っぷりを文章にて表現してみた。そんなわたしも、肉食獣時代は凶暴だった。

肉食は、アメリカや経済至上主義ニッポンの都合のいいように仕向けられた結果でしかない。
仕向けられた通りのことをする、都合のいい人間であり続けることが、“選択”か?
タバコをすう人はタバコを選択しているのではないことは一目瞭然である。
吸わされているという以外のなにものでもない。都合の良い人間に仕立て上げられた結果だ。

少し考えればわかる。実際には選択肢なんてない。肉を食って野獣のように生きる、動物を虐待・虐殺したおして死骸、死肉を喰い散らかして生きるなんて選択肢は、人類には残されない。

もうすぐ肉食の時代は終る。
ぶたの屠殺動画  ←画面小さいしソフトタッチなので、だれでも見れると思う。

「わたしは、んー、牛肉より、豚肉のほうが好きだわー」という、ヘルシー思考ぶった人間の他愛も無い日常会話の残酷さをしってほしい。

「肉食を選択している」と主張するのは、もっと現実をしってからでも遅くなかろう。




A 2005.6.27 mon.   自ら行動し体験し感じ、机上の空論を避ける


“机上の空論”という言葉がある。キジョウノクウロンと読む。
机に向かって考えてるだけじゃ、中身はナイヨ。そんな論は現実には通用しないよって意味。

考えてるだけで行動できないやつはダメだ。考えすぎて行動できないやつはダメだ。それなら、あまり考えなくとも行動してる人のほうがマシじゃないか。

考える → 行動する → 考える → 行動する → 考える → 行動する

これが大事だと思う。要するに「考えながら行動し、行動しながら考える」ことを心掛ける。

すくなくとも、ベジタリアンは 机上の空論者 では無い。
自ら考え、行動している。ベジタリアンとして生きることは行動である。そして、それで終ってしまわない。ベジタリアンとして生きながら、そのなかで、その社会との軋轢(アツレキ)のなかで、行動し、体験し、感じ、考えて、考えて、行動している。生きている。生き抜いている。

だから、わたしにとって多くのベジタリアンは実に生き生きとしてうつるのである。



@ 2005.6.27 mon.   ベジタリアンは第一歩を踏み出した人間に過ぎない


調子にのってはいけない。

ベジタリアンになるということは、世界の平和やすべての動物たち、すべての生き物の救済、幸せに向けて踏み出した、人類の成長のほんの第一歩に過ぎないと思うから。

でも、この第一歩は大きい。
寝てる人間が体を起こし、立ち上がり、はじめの一歩を踏み出す。
この一歩は大きい。

初めの1歩がでれば、後は前に向かって歩くのみだ。

肉を絶つことなんて、この1歩の、この前進の、この向上の大きさから考えたら、屁みたいなもんだ。










vegpork@ybb.ne.jp