スローフード考



2005.5.26 thu

「効率至上や利益優先で突っ走ってきた日本社会そのものが脱線の危機にあるのでは?」(毎日新聞5/25)
JR脱線事故の原因は「スローとは逆のもの」であったようだが、「スローとは逆のもの」とはファーストなのかスピードなのか。スローフードの逆のものはファーストフードであるが、ファーストと言われてもぴんとこない。とにかく何か「はやい」ということ、またはその追求に問題があったといえそうか。「はやい」には「速い」と「早い」があるが、英語には「アーリー」「スピーディー」「クイックリー」「ファースト」等々、単語が漢字より豊富にあるので調べてみる。

fast
人や物の速度が速い
rapid
動きや動作が急激な
quick
行動がすばやい
swift
動きがなめらかで軽快な
speedy
仕事や行動などが敏速な

early
時刻、時期などが早い
「 fast と rapid はともに動作の速いことを意味し,同じように用いられることも多いが, fast では速い人や物に重点が置かれるのに対し, rapid は動きや動作そのものの速さに重点が置かれることが多い: a fast car 速い車、高速車 / rapid progress 急速な進歩. quick 速度よりもむしろ行動のすばやさや,時間の短さに意味の重点がある: quick action すばやい行動. swift 速度の速さに加えて,なめらかな動きを意味する: swift change 急な変化. speedy 速度の速さにも,行動のすばやさにも用いられる: a speedy recovery from sickness 病気からの速やかな回復.」(ライトハウス英和辞典)
引用してはみたものの、ああなるほどで終わってしまいそうであるが、1989年にパリでの国際スローフード協会設立大会で承認された「スローフード宣言」においては、「速い」が悪者扱いされている。
 私たちはスピードに束縛され、誰もが同じウイルスに感染している。私たちの慣習を狂わせ、家庭内にまで入り込み、「ファーストフード」を食することを強いる「ファーストライフ」というウイルスに。
 今こそ、ホモ・サピエンスは知恵を取り戻し、人類を絶滅に向かわせるスピードから自らを解放しなければならない。ここでファーストライフという全世界的狂気に立ち向かい、落ち着いた物質的よろこびを守る必要がある。」(『スローフード・バイブル』)
はたして、「はやい」はダメで「スロー」は良い、でいいのか。「はやい」はそれほどまでに悪であるのか。
仕事は速いほうがいいし、本を読むスピードも速いほうがいい。同じ本の内容を同じだけ理解するのに10時間かかるのと1時間で足るのとではどちらがいいだろう。同じ仕事を同じようにこなす時間も短いほうがいい。ようするに、同じことをするのにかける時間は短いにこしたことはないのではないか。もしそうならば、「スロー」より「はやい」ほうが良いということになる。コンピュータの処理速度も速いにこしたことはない。処理速度が速ければ、短時間で処理できるので時間に余裕ができる。これは人間にもあてはまると思う。生きる速度が遅ければ周囲が速く感じるであろうし、生きる速度が速ければ物事に余裕を持って対処できる。有効に時間を利用できれば、生活にゆとりができる。そして、この生活のゆとりこそが「スローライフ」ではないか。
野球選手は100キロで飛んでくるボールが速いとは思わないだろうが、一般人にとってはかなり速いだろう。要するに、「はやい」か「スロー」かは相対的評価であって、それを感じるものの主観でしかないのである。その主観を左右する処理速度や生きるスピードは個々に差があるが、ある社会に属する者の平均的な生きるスピードをはるかに超えるスピードで社会がそして生活が動き続けるならば、人々はかなりの無理を強いられて生きなければならい。そして、それが「ファースト・ライフ」であり、「効率至上や利益優先で突っ走ってきた日本社会そのもの」である。
JR事故はそんな日本社会の現状を象徴しているのではないか。






とっぷ