義経 NHK 日 20時
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平家
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源氏
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義経主従
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京の人々
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大河ドラマですね。どうでしょうか、キャストに苦労したようですが、どうなるでしょうか。最初は頑張ってみますが、中盤からどうかな。原作の宮尾さんはしっかりした本だと思います。それを映像化するので、それなりに楽しみです。脚本も金子さんは表現してくれると思います。問題は何か、それはやはり長丁場を見せ続ける技量ですね。これが備わっているのだろうか。見る方は疲労している、つまらないとバラエティでのんびりしてしまうかも知れない。今年は休みの番ですが・・期待★★★です。ここはあらすじは簡単にして、見続け書き続けれることを目標にしてスタートします。新選組疲れが残っている、笑。
義経★★★ 14回「さらば奥州」 4月10日放送
源氏が立ち上がる。頼朝は政子と結婚して、もうすでに北条家(小さな一族だったけど)と一体だったのですね。今日の解説はその事情でした。タイトル。
奥州で藤原秀衡に義経は嫁を勧められた。秀衡は「3代に渡って暮らせば土地に根付いたことになる」、と言う。説得力あるので、義経は頷く。都では「頼政」が平家を裏切ったことで、清盛は大激怒だ。頼政への追討軍は知盛と重衡だった。ついに相対する事になる。頼政「本望じゃ」。そして、知盛の矢で倒れ、館は火を放たれる。丹波さんは77歳の頼政を演じきりました。とても凄かった。義経は周りの役者が凄いですよね。しかも、見せ場を作って、消えていく。ドラマ的に結構盛り上がりますね。清盛にちょっと反逆しょうとした後鳥羽上皇は夏木マリさんに子供のように泣きすがっている。
勝った清盛は都を摂津福原に移すことを決めた。時子が忠言にやって来た。都移りを辞めて欲しい。その理由が都を納める朱雀、玄武・・・などが怖いのだ。こんな話は結構古文で勉強して学んだ世界ですね。懐かしい。遷都は静かに始まった、不安と諦めの中で・・・。その知らせは平泉にも伝わった。義経は、福原と清盛を思い出していた。清盛の寝間にネズミが多数現れ、亡き武将たちが物の怪となって現れた。亡霊になって清盛を苦しめた。五足は呪詛されているのではないか、と助言する。実際、京の都は荒れ果てていた。公家達の屋敷も朽ち果て、ネズミの巣となっている。後鳥羽上皇は福原でおののき、「末世となろう、もはや、平家ではいかんな」と呟く。民衆も、公家からも平家は離れていたのですね。映画を極めて、傲慢から滅びたのかもしれないが、清盛にも思いはあった。公家の世界から独立して、自分の世界を作りたかった。そのためには、福原に遷都しないといけなかったのでしょう。しかし、完全に公家を切り捨てる事は出来なかった。公家の力で、ここまで上り詰めていたし、政治的経済的に独自のシステムを持っていなかった。ジレンマの中にあったのだ。
伊豆では、源氏の頼政の決起は潰れた結末は知らされた。モチヒト王様も殺されたのだ、それでは聊爾は無効だ。しかし生きているという噂もある。それなら聊爾は有効で、頼朝は決起を考える。現有勢力を北条時政とはかる。手元は40〜50騎だ、三浦が手伝って、3000騎、近隣も源氏の再興のためなら、立ち上がるだろう。その予測で、頼朝は兵を挙げることを決意した。遅いよ、でも、周りが動くまで待ったのだ。政子の意向もあった。かかあ天下です。時政の兵が山木を攻め入って勝利する。しかし、次の一族と石橋山で決戦となった。援軍の三浦軍は雨で間に合わず。あっさり負けてしまった。打ち合わせなどして、同時に決起すればいいのに、のどかな田舎の戦闘だったのですね。多分、本当にこんなものだったのでしょう。笑い。一同は洞窟に集まった。外は落ち武者狩りをしている。そこに入り口から、追っ手の武将が来た。追い打ちはしない。真鶴まで行けば、土肥に行ける。梶原影時(中尾彬さんですね?)と名乗り、平家の満月に翳りがでた、と言い残す。その後、頼朝たちは無事に相模(鎌倉)に入った。
その知らせは奥州の義経の下に伝わる。義経は駆けつけたかった、と悔しがる。木曽の義仲は田舎侍ですね。血気盛んに戦いの準備をする。清盛など一門は頼朝の決起に、温情を忘れた反逆に悔しがる。惟盛を大将にして、頼朝追討軍を派遣する。平家の女たちはのどかだ。輔子が宮中の様子を知らせる。そこに能子(常磐と清盛の子)が大人になって参加する。重盛の妻(森口さん)もやって来た。花が美しい。戦いのシーンとの対比も見事ですね。
義経は秀衡に目通りして、お暇を願う。今度は兄の元にはせ参じたいと決意を述べる。秀衡は「許さん、源氏を忘れろ」と命じる。義経は「自分が分からぬ、武士なら戦い、所領を取るのだ、源氏の武士の道だ」。そこまで言われ、止められないと知った秀衡は旅立ちの準備を任せろと言うしかなかった。旅だった義経に、また新しくお供が出来る。海東健さんですね。秀衡の許しも得ているのでは認めるしかない。秀衡は丘の上から、見送るのだった。
平家の追討軍は富士川の西まで来ていた。頼朝は鎌倉を出ていた。義経も近づいていた。木瀬川の陣までやって来た。逢ったことのない兄との初見に心躍っていた。
どうでしょうか、大河らしく戦いもあれば、花のような女達もある。脇の役者さんが凄いよね。今日は丹波哲郎さんでした。ちょっと、時間的にはあっけなかったが、演技は凄かった。義経は奥州を出たので、秀衡の高橋英樹さんも、今日で一応退場ですか? 豪華でした。でも、ドラマに見入るとか、ドキドキするということは余りないよ。歴史の勉強になりますね。時子は朱雀、玄武などの公家的な陰陽道的な考えで、遷都に反対していたのは象徴的ですね。平家は公家の次の世界のシステムを提案できなかったのですね。そこが平家の没落の原因だったのですね。そんなことも感じました。これからも見ていきますが、アップは時々かもしれません。
しばらく、お休みしていました。見ていたのですが・・
義経★★ 10話 「父の面影」 3月13日放送
解説、平泉は陸奥、出羽(今の東北を全部)を治める都だ。奥州藤原秀衡は砂金や、広大な武力でおそれられていた。やがて、大きな火種となることを義経は知らずにいた。タイトル。
伽羅の御所(秀衡邸)に、義経は案内された。吉次が挨拶して、義経を紹介する。義経「尾張で元服しました」。長男の泰衡を紹介する。宿所は荒れ果てた館だった。秀衡「元服の烏帽子親は?」を聞く。吉次「自ら」。秀衡「まだ客として迎えるか分からない、平家なので、やっかいな毒、つまらぬ者としれば、その時は・・・」。一同は驚く。迎えの宴で、国衡、忠衡・・次々と紹介される。子供の舞が披露される。酒をつがれる。秀衡「酒は好きか」。義経「初めて口にする」。国衡に笑われる。サラサを使った踊りがある。そこで義経は寝てしまう。皆が気づく。宴が終わって部下が「無礼だ」と怒り出す。泰衡意見を求められ、言葉に窮する。秀衡「まだ敵とも味方ともしれぬ、わしの横で寝てしまうとは、大胆かウツケか」。忠衡「ウツケじゃ」。秀衡「誰か付けて様子を」。佐藤三郎が付き人になり、取り次ぎなどをします、毎日来ます。三郎「平泉は如何か」。義経「何とも」。弁慶「言うなれば見張り役だ」。義経「当然だ、あるがままに」。
強では清盛にも「遮那王が義経に名を変え、秀衡に身を寄せている」と報告がある。盛国「伊豆の頼朝を頼らず、まず安心」。「秀衡は鎮守府将軍職を授けたので、平家の味方」。しかし重盛「奥州藤原は平家に仇なす一族ではないが、平家の味方でもない」。清盛「侮ってはならない、源氏より恐ろしかも、遮那王は慎重に」。
伊豆もの、義経が奥州に付いたことは知らされている。頼朝のうたた寝に、政子はやってきた。政子は遮那王の事を話す。一緒に干し飯をたべる。頼朝は父には腹違いの兄弟がたくさんいる。テンションが低い。政子「血を受け継いで、アチラコチラにおなごを・・・」。頼朝「母が厳しく言っていた、そなたが本流だと、嫡流だ、嫡流と違いを付けよ、遮那王は庶流だ」。きっぱい言い捨てましたね。この考え方は最後まで続くのですね。嫡流を重視する余り、源氏は3代で絶えるのですよ。ばか〜〜〜。そして手を取って、抱き合う。ナレーッション、この二人はいずれ夫婦となる。大きくこの国が変わることになる。歴史的事実です。
平泉の義経は屋敷の庭で畑作りをしていた。伊勢は子供相手に、話をして、笑い専門だ。熊と喧嘩して傷を追った。次郎は義経に海の向こうへの興味を語る。光っている人の傍にいて、実現したいのだ。弁慶と伊勢は喧嘩する。伊勢が仲裁に入ると、弁慶と伊勢は次郎に帰れと言う。その様を三郎は見ていた。秀衡と会って、吉次は帰ると言う。吉次は「義経をどう思うか」聞く。秀衡「面白そうじゃ、土地となじんで、主従と楽しくしている、人を惹きつける何かがある」。吉次「烏帽子親を頼むつもりだったが、義経はいずれの方が存ぜぬ人を烏帽子親にはできぬ、平泉に着いて断るのは失礼だと、尾張で元服となった」。秀衡「そうか、義経様も用心したのか、ウツケではないな」と笑う。喧嘩の続きで次郎は帰ることになった。川で別れる、塩竃に行った。義経「異国への夢を諦めぬ事じゃ」。
承安2年、徳子様は高倉天皇の中宮となった。これより平家の牽制は揺るぎなくなった。泰衡は義経の館に行くと、種を植えているところだった。秀衡から馬を預かり渡しに来たのだ。泰衡「父が手塩に掛けた白馬じゃ、乗ってもらいたい」。喜三太「良い面構えだ」。義経「白童子」と名付けて、礼を言う。早速、馬に乗って楽しむ。秀衡と会う。秀衡「馬は都でも乗っていたか」。義経「こちらで初めてです」。秀衡は馬を引いて、一緒に平泉を案内する。その後も何度も一緒になった。秀衡「寺も平等院に倣い、無量院と名付けるつもりだ」。義経「平泉は、この世の浄土です」。
息子たちは義経の取り入り方に怒っている。泰衡は口にしない。国衡「兄弟にも引いている」。泰衡「嫡男の器量がないと言うことか、波さえたたねばいい」。秀衡は「向こうの土地はまだ知らぬ、しかし人は住んでいる」。義経は「まだ見知らぬ土地があるのか、しかし、何故人が争うのか分からない」。秀衡「ワシが領地を越えれば、戦になる、攻め入られば、戦うが犯しはしない、朝廷や平家にも同じだ」。義経「私は実の父を知らずに生きてきた、源氏の父の昔話は耳にしたが、いったいどのような人か、今、もしも秀衡様のような大きな人ではと」。秀衡「父親代わりの人はいましたか」。義経「いました、物心が付くまで、父と思っていました、大きな夢、争いのない世、異国との交易にかける夢」。秀衡「義経を藤原の子と思う、都に差し出せと言われても、我が子を差し出すつもりはない、そのことを留め置かれよ」。こうして成長していった。
安元元年(1175年)。義経の元にうつぼがやってきた。うつぼ「来てしまったよ、平泉も遮那王も気がかりだった」。早速、うつぼの食事を皆で食べる。弁慶「いつ帰る、おなごがいると何と言われるか、住み着くのも不都合だ」。伊勢「働き手が来た」と言う。うつぼは吉次の屋敷に寝泊まりする。義経は許可する。そこに次郎も戻ってきた。今日からここにいるという。次郎「船の上がつまらん、家来になる、船を動かす家来だ、帰らない」。義経「しかたない」。弁慶「海賊や山賊ばかりでわ」。うつぼ「あんたも追われた坊主だ」。楽しいひとときだった。
秀衡一族と義経は鹿狩りにいった。しかし、泰衡の行方が分からなくなった。しかも大雨となった。手がかりはないままだ。秀衡は「引き上げる、命を落とすなら、それだけの定めだと思うしかない」。しかし、夜になっても義経が泰衡を探しに行った。弁慶が秀衡に報告する。
平泉3代、清衡、基衡、秀衡が、毛越寺を作って、大禁道圓隆寺の跡の紹介だ。浄土庭園大泉が池、正月20日に行われる、延年の舞の紹介だ。秀考を父として慕うようになる。
今回はまったりしていました。秀衡に義経が認められる。まあ、高橋英樹さんなので安心して見ていました。とくに馬を並べて走る様は美しかったですね。滝沢君も頑張りましたね。でも、ドラマ的には繋ぎとしてしか考えられなかった。2つ★と言うことです。大河の朝ドラ化です。聞き流し、見流している。
義経★★★ 9話 「義経誕生」 3月6日放送
解説。当時は京から伊豆は徒歩で2週間だ。そして、奥州は街道も整備されていないので、過酷な物だった。何日かかったか言わなかった。タイトル。
遮那王は白い服で、朝密かに発とうとするが、皆が見送る。覚日にお礼の言葉を言う。覚日は形見を渡すことはやめた、再会の時を待つと言う。覚日「行くが良い」。先輩「達者でな」。そこに喜三太がやってきた。家来にしてくれ、命を助けて売れた恩がある。馬は使えるし、都では死んだも同然だ。遮那王「奥州への道は修羅の道だ」。喜三太と二人で歩き出した。その道に、都合良く、吉次とあかねが見送る。山から都の明かりを見る。あかね「またお戻り下さい」。その2日後に出家を命じに来た盛り国は、遮那王は出奔を知った。早速、平家では討議される。伊豆に行ってはならぬ。伊豆の武者は平家の命にある。清盛は形成を見て主を変えるものだ。重盛は各武者に遮那王をつかめるように言う。宗盛は「殺せべきだ」と強行だ。
武蔵坊は、うつぼを探し、思わず、奥州へ行ったことを漏らしてしまう。ちょうど、尾張に付いていた。吉次たちは、隊列を二つに分けて行く。吉次たちは商いで旅慣れており、盗賊にもなれている。熊坂長範と伊勢三郎が、立ちふさがり積み荷を置いて行けと言う。戦いになる。太刀で襲うので、遮那王も太刀を取り戦う。そこに大きな武蔵坊が現れる。そして、助太刀をする。伊勢はかかるが、さすがに武蔵坊は強い。あっという間に退散する。武蔵坊は「くやしい、都を去る前に一言言った欲しい、一番の家来だ、もう家来も同然だ」。遮那王「分かった、行き先は奥州だ」。武蔵坊は喜ぶ。一番の家来は喜三太が条件だ。夜になると、熊坂が人を集めて妙な動きをしているとの報告が入る。
夜、討ち入ると、空であった、頭を捕まえたので、皆は投降した。しかし、一人が遮那王に襲いかかる。もちろん、武蔵坊より強いのだから、難なく体をかわし、切り捨てる。初めて人を殺したようだ。熊坂と伊勢は打ち首だと決めるが、冥土への引導と思って、名を聞く。武蔵坊は源氏の統領の遺児遮那王だ。熊坂は本望だと座り込む。遮那王は「無駄な殺生はせぬ、盗賊にならないと約束するか」。熊坂「分かった、田を耕す」という。残った伊勢は、頭を下げて、親父は源氏のものだ。恥じ入っている。「幼いこと親は死に、見渡せば平家の世だ、しかたなく盗賊になったが、源氏の武者として生きたい、家来にしてくれ、御曹司」と頼むが、武蔵坊に蹴散らす。遮那王が本当だろうかと聞くと、武蔵坊「あの蟹男の世迷い言だろう」。一同顔が蟹で大笑いだ。
河原で人を斬った小太刀を洗っている。武蔵坊が聞くと、遮那王「父の形見で、母から貰った刀に血を吸わせてしまった」。武蔵坊「降りかかった火の粉を払ったまで、そうでなければ御自分が死んでいた、人を殺すも自分が死ぬも同じ殺生、くやまれますな、覚悟せねばならない、武士の小で、源氏の血筋ゆえ、平家に襲われたら、生きるか死ぬかだ」。遮那王「源氏と平家は敵同士か」。武蔵坊「源氏として生きるしかない、武蔵坊生涯お仕えします」。本当に心強い味方だな。様になるというか、収まりがいいです。吉次は尾張の宇津木は父上最後の地だと紹介する。遮那王も思いが入り乱れた。遮那王「この地で元服しようとおもう、この後は、己一人で大地に立たなければ」。吉次は烏帽子親を秀衡様に頼むことを言う。遮那王は、自らの手で髪を切り、烏帽子をカブリ、元服する。そして、名を源氏九郎(9番目の子)義(源氏由来の名)経(鞍馬の読経三昧の日々)。九郎義経。長い名前だな。笑い。これから義経と書くことになります。
平家からのお達しで、多くは東からの商人は捕まえることになった。吉次は二手に分かれ、義経たちは伊勢と一緒に間道を行く。3日後に駿河の焼津で会うことになる。3日後、落ち合って、吉次は海路で行くことを計画した。船は次郎で、砂金10服だという。奇異時は承知する。そして、表に空腹の蟹(ナンちゃん)がいた。駿河次郎(うじきさん)が、いざの時は手を貸してくれを条件に乗せる。義経は船から伊豆を聞き、見る。その伊豆では北條時政が帰っていて、政子と輔の噂で往生した。政子に確認する。政子「夫にするなら、輔殿がいい」。時政「ワシはまた都に戻らなければならないが、政子を館から一歩も出してはならぬ」。雨が降り雷が鳴る中、頼朝は雨宿りすると、中で政子が着替えをしていた。思わず目を伏せるが、この高年齢カップルも微妙な毒を出して、微妙な感じですね。もちろおじさんは何でも好きです。船で次郎は義経は異国まで行って、商いをしたいと夢を語る。貿易は平家に押されている。義経「海は誰のものでもない」。船倉に蟹がふらふらで忍ぶ込んでいた。「家来にしてくれ、腹が減った」。義経が握り飯を差し出す。そして共を許す。船は塩竃まで付いた。義経は「世話になった、異国との交易ができるといいな」。しかし、次郎は一緒に平泉まで付いていく。北へと目指していた。道しるべがあった。あと1日で、平泉だが、武士の姿が見えた。味方か敵か。つづく。
桃太郎みたいに、猿、犬、キジのお供を連れるみたいだった。何だろう、新キャラが揃いました。弁慶は収まりが良い。伊勢は蟹男でお笑い専門か。喜三太は取り柄ないかと思ったが、地面に耳を当てって追っ手が分かった。次郎まで突然の乱入だ。色気が足りないと思ったら、来週はうつぼが来ていた。そうだよ、ちょっと色気もないとね。しかし、元服して、ちょっと大人びて見えました。服も替わりましたから。元服が今回の山場でしたが、まあ淡々と過ぎました。ちょっと、盛り上がりにかけるが、気楽に見られることがよろしいようです。
義経★★★ 8話 「決別」 2月27日放送
遮那王は奥州へ行くことを決意した。重盛は、息子たちの絵帽子を武力で取り返した。息巻く藤原基房は後鳥羽上皇に入内に反対する。上皇は誰が清盛入道に知らせるのだ。平家でも、意見が割れる。宗盛は、清盛に頭を下げて貰い、福原の遷都などの不安を説くべきだ。結局、清盛は重盛に賛成する。宗盛は時子に「父上に嫌われている」と怒りが収まらない。清盛も重盛の、強硬さを問いただす。重盛は長男として、平家一門を守らなければと鬼にもなると決意した。清盛も重盛の成長は嬉しかったと思われる。でも重盛が34歳位で亡くなるから、平家も滅んでしまったのですね。でも平家の落ち武者の村が日本中に多すぎますが・・・。
うつぼと遮那王は常磐の家に行くが、不在だった。うつぼの上戸さんはちょっと綺麗になりました。3人が鞍馬に帰ると、武蔵坊が待っていた。徳子は時子と清盛から入内が決まったことを告げられる。しかし、乗り気ではない。時子は断れる物ではない。時子は驚いた。清盛は入内しても、嫌われるかもしれない。清盛は武家は、これまで公家を守るもので、蔑まされた。それが入内すれば、上皇と同じ帝の父親になり、その時に一門の栄華はきわまる、説き伏せよ、と命ずる。鞍馬の遮那王に五足がきて、一条と常磐が戻ったことを知らせる。
伊豆でも、頼朝は都の情勢を知っていた。摂関家も平家の勢いに押されたが、火種は残ると分析する。政子が頼朝に会って、噂のことを聞く。海岸で、頼朝は勢力図を書いて、我が国を眺めている。頼朝は法皇が指導権を握っていると話す。一緒に岩の上で砂の図面を見た。それは2日後に都に伝わる。平家でも北條と頼朝が一緒になったら大変で、遮那王も絡むとまずい。盛国は都に詰めていた北條を呼び出す。絶対一緒にならないようにしていると弁解する。時子は遮那王の妹の能子(よしこ)を呼ぶ、この子のことを言えば、常磐も決意するだろうと考えた。常磐の夫の一条は呼び出され、遮那王が出家するように、さもないと能子もどうなるか分からない。常磐は出家するように鞍馬に知らせる。その鞍馬は平家が張り付いて、遮那王の動きを牽制していた。遮那王は覚日に奥州へ行くと決意を述べる。遮那王はお徳にも知らせる。お徳は、3日後にまた来るようにいう。
そして、お徳は清盛に会って、遮那王と会わせるために、蓮華王院へ一人で参るように助言する。剃り上げた頭の清盛は、その意を理解して、訪ねる。遮那王と会う。清盛「何故出家しない」。遮那王「平家に二心があったわけではない」。清盛「出家しかなかった」。遮那王「新しき国をこの目に見たかった、福原の海を見た、夢の都をともに見られると思ったが、他で見ようと思う」。清盛「おのが目で見るには力が必要だ」。。遮那王「言葉胸に留め置く」、。清盛「もう一つ、ワシは平家、そなたは源氏、それを忘れるな」。遮那王「清盛様・・・」。もう清盛はいなかった。遮那王は清盛のぬくもりの残る畳に手を当てた。清盛は将来を見据えて、覚悟していたのかもしれない。もちろん、描く方は歴史を知って書くのだから、そういう視点になるのは仕方ない。もっと、変な事を言って欲しかった。法眼の美輪さんみたいインパクトさるセリフが欲しかったかな・・・でも、渡さんの演技は安定していますね。勝村さんの絡みも安心して楽しみました。
遮那王はお徳に例を言う。今夜は常磐に別れを告げる。五足が見張りの平家を誘い出す。その合間に遮那王は入り込む。うつぼと別れを告げる。庭先に座る遮那王「今宵はお別れに」。一条は上がれと言い、気を利かして二人を残して去る。常磐「牛若の自分の姿しかなかったが、逞しくなった」。遮那王「出家を勧めた母に逆らって・・奥州へ旅立つ、今生の別れかもしれない、一言詫びを言いたい、鞍馬に預けられたのは母に捨てられたと、恨む。泣いた」。常磐「すまぬ」。遮那王「そのうち、清盛様が父の敵と知りました、父の敵を屋敷に迎え、妹までお産みになった母上の心中を思いはかり悩んだ、苦しみ、恨みに思った」。常磐「幼いそなたの胸を痛めさえていたと思うと」は泣く。遮那王「泣かれますな、それも幼い兄弟を生き延びさせるための、母上の捨て身の生き方だと、少し世の中を知った遮那王はそう思います、後は母上の辛抱にお礼申し上げます」。常磐「何もかも報われた、様々なことが風のように飛んでいった」。去ろうとする遮那王に常磐は、縫い上げた着物を与える。遮那王は母の手伝いで、早速着る。滝沢君の上半身裸です〜、地味に見えた着物は似合いました。亡き父の形見でもあった。常磐は「生きてさえあれば、いずれ、いつか相まみえる」とすがる。良かったですね、母と子はしっかり理解して別れを告げたのですね。まあ、こんあ所で確執があっても盛り上がりませんから、このしみじみは良かったです。稲森さんを美しく撮りますね。見納めかな、本当に見直しました。惚れました。去る遮那王に、母の笛が聞こえる。続く。
平家の確執があった、重盛は強権を発動してきた。宗盛は公家と仲良くしていきたのだ。今回は遮那王が奥州へ旅立つ前に、清盛と常磐と別れを述べた。それが山でした。まあ、地味な展開でした。だから、意外と気楽に見られた。大河の朝ドラ並の気楽さか。予想通りだったし、テンッションも高くなかったようだ。そして、かみさんが真剣に見ている。所詮、滝沢君目当てですが・・・笑い。気楽に見られると言っている。
義経★★★ 7話 「夢の都」 2月20日放送
平家は西国を起点として瀬戸内海の交易で富を得ていた。清盛の思いは大輪田泊福原の町に結実した。大輪田泊は現在の神戸市兵庫区にあった。ここを日宋交易の要にしようとした。当時は宋から北九州で止まっていたが、これを大輪田泊まで延ばそうとした。異国への道は清盛の夢の道だった。タイトル。
鞍馬で吉次は遮那王に「僧になるか、都を去るしかない、奥州は如何か」。平家でも重盛「平家に心寄せぬものもいる、遮那王は気脈を通じているとすれば、由々しきこと」と清盛入道に進言している。厳しさを増している。遮那王に決断の時が迫っていた。清盛「遮那王は幾つになった」。都では遮那王が赤い被り物(担ぎ)をしている。清盛が福原に通うているところに出会う。それを見送る遮那王だ。汚れたうつぼと五足が付いている。遮那王「福原に連れて行ってくれ、見てみたい、海をみて、泊、屋敷と都のような町があるはずだ」と五足に頼む。五足「都みたい町が他にあるはずがない」。遮那王「異国の船も行き交っている、争いもなく」。五足「だまされたか、大ほら吹きだ」と笑う。うつぼ「福原に担ぎをくれたおなご(静)がいるのか、だから夢の都だって」。遮那王「そうじゃない」。うつぼは恣意としているのですね。今日はきれいな顔していました。そこに馬に乗って、喜三太がやってくる。「俺が福原にお連れする、役に立ちたい」。しかし、馬を盗んだので、「四条河原に」と言い残して、馬と逃げてしまう。鞍馬で遮那王は福原を来てみたい。門に怪しい法師が探しに来ている。弁慶だった。会わせて欲しい、理由はいえぬで、押し問答になる。遮那王は吉次に福原に連れて行って欲しいと頼んだ。吉次「たやすいが」。あかね「海を見るだけのこっちゃ」と勧める。吉次も了解した。
伊豆では頼朝が、筋化に暮らしていた。安達盛長と釣りを話している。頼朝「行く末を案じたことがあるか、一生、ワシのそばで終えるのかもしれん」。盛長「それはそれで、輔殿のそばに仕えることは身に余ること」。頼朝「すまぬ」。そこに昌子が馬に乗ってやってくる。馬をつないで、政子は顔を洗う。釣りの邪魔をしているのだ。頼朝「笑みを浮かべよ、方丈の姫子だ」。笑っているのを見て、政子「何がおかしい」。盛長「政子殿は実は、男ではないかという噂があります」。頼朝も大笑いする。政子は石を投げる。ますます笑い出す。滝で、思わず片肌を脱いで汗を拭く政子に、頼朝がやってくる。驚いて目を覚ます、夢だったのだ。もろ意識していますね。恋の病でしょう、笑い。財前さん意外とこの時代の着物似合います、そして相手が中井貴一さんだから、若く見える。もうけ役ですね。父の時政に妻の牧の方が、相談する。政子が花を見ているのだ。牧の方「この頃の政子殿には生気がないと気をもんでいる、母とはいえ年も近い、おなごにしか分からぬことなら私が相談に乗りましょう」政子はため息「何故、私の周りにはつまらぬ男ばかりいるのじゃ」。時政「誰のことじゃ」。政子「粗野なものばかり」。牧の方「政子殿から、粗野と言う言葉がでるとわ」と大笑い。時政「誰のことじゃ」。政子「もうよい」。牧の方「やはり、おなごに火が付いたようだ、胸を焦がす人が、殿の子のことです」。時政「相手はだれじゃ」。牧の方「蛭が小島の住人とお会いになってから、あれ以来落ち着きがなく」。時政「輔殿か」。牧の方「殺したいほど気にかかると言うこともございます」。時政「輔殿は平家の流人だぞ」。牧の方「姿形、涼やかな都人です」。時政「ならん、ならん、近々都に上る、その留守の間が気がかりじゃ」。翌日、時政は頼朝を訪ねる。時政「当家の政子をご存じか」。頼朝「はい、先日もお目にかかった」。時政「政子は何か口にしたか、つまり何か」。頼朝「取り立って何も」。時政「これから、政子が何か口走っても、熱に浮かされた所業と取り合わぬように申しつける、かまいだて無用に」。頼朝「承知」。帰っていくが、政子が盗み見していた。
摂津の浜で吉次と遮那王が歩いている。岬の向こうだ。遮那王「異国に繋がる海の道だな」。海水をなめる。福原で清盛は太鼓、笙とサラサでの舞を見ている。この時後白河法皇も建春門院滋子様も一緒だ。何度も来ていた。法皇「いつ来てもいい」。滋子「まことに」。法皇「入道が執着した訳が来るたびに分かる」。清盛入道「大輪田の泊まりが修復できれば宋の船が直に着く、我らが船も異国に発つ、西国の海は行き交う船でにぎわいましょう」。屋敷を建てる鎚音が聞こえる。法皇「屋敷がまた増えたようだ、道は都とよく似ている、入道の福原造営にとやかく言うものは、よく似た作りを気にいているのかもしれぬ、入道には帝にふさわしい心当たりはないかな」。滋子「おかみ」。法皇「入道にも姫子があるそうじゃな」。清盛「徳子と申します」。滋子「私の姉が、その子の母でございます」。法皇「一度、帝と会わせてはどうかな」。滋子「良きことかと存じ奉ります」。
遮那王は福原が見えるところまで来た。吉次は西国も奥州も色々見てきたのだ。遮那王「世の中、都にいては分からぬと言うことか、やはり都を去る方が良いのか、平泉はどんなところじゃ」。吉次「藤原より3代に渡って居を構えた、平泉の東を流れる北上川には、衣川が流れを注ぎ、南の海に繋がっている、雪解けの水は畑を肥やし、様々の作物を実らせます、鉄の山、砂金の川もございます、平泉はその豊かさの中にある、秀衡様はこの世の浄土にしようとなさっている、争いのない、おごることなくつましく生きる場所です、そのような町になると思います」。そのとき船がこぎ出した。船頭には清盛がいた。思わず見つけて、大声をだす。遮那王「海には道もあるが、隔たりも作るようだ、吉次、夢は奥州で見るしかなさそうだ」。
頼朝のところに、政子様が輔様を婿にという噂が流れている。頼朝は驚いている。時政の訪問が噂の根拠だ。頼朝の乳母が聞きただす。その時、馬に乗って見物に来る。乳母はよからぬ事態を危惧する。「騒がしい都の風が吹いてきて、静かな日々に波風が立つ、輔様も安穏とは・・」。亀の前が畑仕事をしている。それを見て頼朝「政子様一人なら逃げおおせる」。亀「私ならいいのだよ」。頼朝「時政殿が政子様に押し切られて北條家が望まれると断れぬ、流人の私は否は言えぬ、伊豆に流されて10年以上、北條家に見張られた、逆らえぬ」。亀「輔様が婿だと、私は」。頼朝「何も変わらぬ、北條家を園が繋がっても、お亀は今のままにおればいい」。松嶋さんも意外ときれい見えますね。この時代の衣装が日本人女性に似合うのだろうか。それともNHKの化粧さんやカメらさんがうまいのでしょうか、笑い。頼朝は亀に膝枕して「私が心休まるのは唯一ここじゃ」。亀「私、輔様が困ることはしないよ」。頼朝「明日海を見に行こう」と起きあがる、そして笑う。
清盛の娘徳子の入内が決まった。 タマ子様の前例に従って、後白河法皇の養女になり、高倉天皇の后になる道筋だ。徳子様は存じなかった、ことを弾いている。しかし、公家たちを驚かせた。藤原基房に「これは摂家をないがしろにした、平家の暴挙だ」と言う。基房「入道、どこまで図に乗る気か」と怒る。都大路で、騒ぎが起こる。は平資盛の牛車が公家の車とぶつかる。相手は三位様の車じゃと言っている。平維盛は「道をあけよ」と言うが、弟の資盛は「平家の威信が」。維盛「ここで次を張っては騒ぎが大きくなる」。資盛「あのおりは、むざむざ逃げ帰って、父上にお叱りを被った、このたびは蹴る」。双方乱闘になるが、平家はことごとく、烏帽子を奪われた。恥辱だった。二人の報告を受けて重盛はめちゃくちゃに怒った。三位は防止を取れと申したのだな。
遮那王はうつぼに福原の感想を語る。遮那王「私は奥州へ行く、そう遠くはない」。うつぼ「いなくなる、でも都に戻られるのでしょう」。遮那王「分からぬ」。うつぼ「私が兄さんと別れたとき、ひとりぽっちじゃないと、言って下さったのに、遮那王さまもいると言って下さったのに」。遮那王「すまぬ」。うつぼ「しかたないね、だから一人で生きていく気構えを持っていく、その方が分かれも辛くないから」と笑って去る。鞍馬に戻ると弁慶と出会う。弁慶「待ったかいがある、いやいや、遮那王様、弁慶を家来に取り立ていただきたい、断られば、歩む道がたたれる、釈迦に付くと決めた僧が、その禁を解くと申しておる、あなたに仕えるほか無しと決めている」。遮那王「それは断る、ひとかどの武士でもなく、私は鞍馬寺に預けられた身の上、家来を持つとは思わぬこと」。弁慶「ただ家来じゃと言って下さるだけ、拙者は諦めません」。遮那王は奥州へ行くことを決めた。続く。
解説は京都大原でした。三千院、寂光院は徳子が住職となり余生を過ごした。高倉天皇の后となったが、安徳天皇を生み、平家繁栄の象徴だった。しかし、壇ノ浦のあと、4畳半で6年くらし、36歳でなくなったのだ。平家の冥福を祈り続けた毎日だった
うつぼも常磐、政子も亀も女性がきれいに映っている。今は中だるみかな、しかし、歴史の勉強にはなる。これ歴史的に正しいのでしょうね? 見ながら信じていいものか不安になる。都と伊豆での話が、まずまず繋がっている。しかし、この時代は戦国時代みたいに戦争ばかりでないから、地味になる。お楽しみは別にある、のかな?
義経★★★ 6話 「我が兄 頼朝」 2月13日放送
13歳の頼朝が「人に先をせられんよりも、まず押し寄せて攻め候わばや」といったが、伊豆に流された。伊豆には土着の武士たちがいた、澤、狩野、法条、天野、南条、宇佐見、伊東、大見、那古谷などがあった。今も地名で残っている物もありますね。平家に従っていたが、厳しい支配に不満を抱いていた。頼朝はそれを見てきた。後に頼朝は東国武士を従えて、鎌倉幕府を開く。流人生活に武士達の心を掴む鍵があった。京の義経は、数奇な運命を知らなかった。タイトル。
うつぼの兄春慶はうつぼに「遮那王が源氏のせがれで、平家に捕まる、逃がしてやるから、遮那王をよべ」と頼む。うつぼは「兄さんを信用していない」と断る。遮那王は走り都に降りた。途中で春慶ら荒くれ者に囲まれる。母の病気は嘘だったのだ。戦いになるが、遮那王は強い。五足と僧らがやって来た。残っていた喜三太が逃げ残っていた。頑張れワカゾーがこれから重要な役割を果たすのか。遮那王が逃がしてやれというと、喜三太「平家の侍に頼まれた、気を付けろ」と言うと、山を下りる。平家の使いが鞍馬寺に押しかける。問答になる。覚日と平家の盛国との話し合いになる。盛国「遮那王は僧にならない訳を聞きたい」。覚日「拙僧がさせないのだ、寺にありながら御仏を恐れない、我が儘だ」。盛国「都に下りていることを承知か」。覚日やはり、当山は広く、囲いもない、だから抜け出していた、いづれ、遮那王に御仏の罰が下る、その時、心をいれさせ、僧にします」。遮那王は話を聞いていたのだ。覚日「このままでは崖ぷちだ」。遮那王も難しい立場に追い込まれている。大きくなり、強いし、格好良いし、大変だ。今回はこれがテーマです。
うつぼのところに五足と朱雀がきて、春慶と話す。五足「遮那王を傷つける人は許さない、朱雀を知らないのか」。春慶は驚いた。朱雀「命は取らないが、都から出て行け」。春慶も従うしかないようだ。うつぼに朱雀「いいのか?」。うつぼ「兄さんと思っていない、馬鹿」。上戸彩の汚れ具合も思い切りいいですね。うつぼは鞍馬で遮那王に謝る。遮那王「源氏の子なら、宿命だと思うしかない」。うつぼ「あんな兄で恥ずかしい、兄は2度と都に戻れない、お許しを・・」と泣く。遮那王「胸のうちわかる、あんな兄でも去られると淋しいか」。うつぼ「独りぼっちだ」。遮那王「五足や私がいる」。
盛国は清盛入道に報告する。「腑に落ちません、都に下りていること知らないと」。重盛「源氏にゆかりの者もいる、ゆゆしきこと」。清盛は「盛国は遮那王に逢うたか、遮那王は幾つになったか」。そこに報告で、「福原から使いが来て、堤防の修復が進まない、人柱を立ててわ」。清盛「人柱はならぬ」と怒る。時子「時忠の話では入道様は、遮那王に甘すぎるとのことだ、平家も摂関家と並ぶまでになった、入道様の強さ才知には頭が下がるが、一抹の不安は優しさだ、頼朝には煮え湯を飲まされた、入道様が気弱になったら、そなた達が支えなければならない」。宗盛、知盛などが論争する。重衡「小さい頃遊んだ遮那王が、弓を引くとは思えない」。宗盛は立ち上がり「遊んだのは、そなたら二人だ」。
覚日と吉次が遮那王に話す。吉次「僧になるか、都を去るしかない」。遮那王「僧になる決心はつかない」。吉次「都を去るしかない、奥州では如何か、平泉、藤原氏が住むところで、奥州は八幡太郎の縁の土地だ」。覚日「藤原家が安心できるか」。吉次「3代目で、土地は広く豊かだ、戦も無くなった平泉は、この世の浄土を作ろうとしている、他には思いつきません、源行家・十郎の熊野で息を潜めているが、兄弟はすでに仏門、伊豆には頼朝はいますが・・」。遮那王「兄と申したか」。吉次「遮那王様とはお腹違いの兄です」。遮那王「私の兄上か」。源氏の血が流れていることを感じた。
伊豆、蛭ヶ小島。頼朝。中井貴一さんです、急に年とりましたね。亀の前が団扇を扇ぐ。オセロ松嶋です。亀「殿様、飛んだ」。頼朝「蛙か、私を殿様と呼ぶのはやめよ」。亀「ととさまが私に言った、お武家は呼び方間違えただけで、斬ることもある、殿様というておけ、頭から抜けない」。頼朝「間違えたら、斬ると思うか」と言うと、突然手刀で亀を斬る。驚く亀だ。笑う。亀「ここに畑作りたい、今なら、茄子と瓜だ」。頼朝は伊豆に流されて、10年以上経っていた。平家のもとになっていた。北条時政の監視の中にいた。頼る者もなく、身を縮め、息を潜めていた。北条ヶでの集まり。時政は都に上らないといけない。だらだらしているのに、何で気にしているのか分からない。そこに政子が入れてくれ、お相手したい。伊東と滝の水を巡ってあらそいになった。徳井優さんです。政子は口を出す。勇ましい発言ばかりだ。時政に静かにしておれと、諫められる。頼朝が馬に乗っていると、猪が走る。そして、猪を追いかけた政子らの馬はいななき、政子が振り落とされる。へらへらしている頼朝に政子「くねくねした物言いはなんじゃ」。頼朝は足を痛めた政子に膝をだして、踏み台にするようにいう。しかし政子はそれも踏み外し、身を頼朝の中に預け、後ろから抱く形となる。政子は怒り、にらみつける。館にかえり、時政に聞く、時政「スケ殿じゃな」。政子「あのものを殺して下さい、わしがこの手で」。時政「平家からの預かり物、勝手に出来ない、流人といえども、国司の指図がなくてはできぬ」。政子「源氏の首とをとれば、入道様は大喜びだ、北条本家にこびることなくなる、父上は平家をしのぐ気合いをもちなされ」。時政「生き延びるためには、息をひそめることもある」。政子「頼朝め、ワシに逆らって」。頼朝は流人だが、三好氏を通じて、都の情報を手に入れていた。頼朝の乳母・比企尼が川魚を持てやって来た。都の情報では、清盛が摂津で、妙な動きをしている。おそらく・・・。
遮那王は迷っていた。お徳に相談して、「清盛に逢わせてくれ、聞きたいことがある、父の仇かも知れないが、怨みには思えない、私を平家は除こうと売るのか、清盛様は小さいとき一度は父と思った人だ、福原に大きな泊まりをと夢を語ってくれた、だが、まだ、そのような国にならず、争いがあるり、親や子が離ればなれになっている、私は憎み切れずにいる」と頼むが、断られる。お徳「月日は薬というのにな、流された血も乾き、傷口もふさがるはずだ、お武家は乾きはじめた血にまた血を流す」。遮那王「清盛様は、幼い自分を助けたことを悔いているのか」。お徳「清盛様は入道して、今平家を動かしているのは、公達です、平家は清盛様だけの思い出は動かない大きさになった」。吉次が常磐のところに心遣いの物を持って行くと、常磐が「遮那王に縁のものと聞いています、心遣いは遮那王に頼まれてか」。吉次「私の一存です、遮那王には母への思いが満ちている、勝手にさせている、遮那王にも知らせていない」。常磐「遮那王は、平家の方々が何かと、御身大切にと、いや、よい、修業の身の上に俗世の声は無用」と伝言を断る。あかねが吉次に遮那王への肩入れの理由を聞く。吉次「福原の泊まりが不気味だ、平家が他国との交易を独り占めしようとしているのではないか、奥州藤原は異国と交易してきた、それが難しいと藤原家や吉次も危うい、もし奥州藤原家を源氏の御曹司が手を繋げば平家の思惑を阻む力になる」。吉次が次の時代を作るフィクサーなのか。
弁慶は橋の上で、遮那王を探していた。そこに浮浪者がきて、遮那王が探している相手だと知らせる。源氏の御曹司だった、運命の出会いを感じていた。鞍馬では覚日が僧になれと遮那王に申し入れる。僧にはならないと答える。遮那王「心固まった、行く道を考えた、見つかったわけではない、仏門にあってはできないことが、この世にはある、何かは分からない、例えば親兄弟が別れて暮らすことのない世の中、新しき国になるのを見極めたい、俗世にいる方がいい」。覚日は黙って聞いた。遮那王は多くの人の顔を思っていた。続く。
そうか、なかなか、展開も広くて、見応えありますね。人物が多くて大変です。相変わらず。これが大河ですけど。これから、弁慶や喜三太を連れて奥州へ行くのですね。舞台は大きく変わるのです。また、伊豆の方も、中井さんと、財前さんのコンビで盛り上げてくれそうですね。伊豆といえば、沼津に行ったが、やはり昔なら伊豆は結構都から遠いわ〜交通渋滞で動けなかった。
北条政子(財前直見さん)、北条時政(小林稔侍さん)
義経★★★ 5話 「五条の大橋」 2月6日放送
平家は急速に力を付けてきた。1167年に武士として初めて太政大臣という朝廷のトップにまで上りつめた。また清盛は天皇家との縁組みによって(徳子と高倉天皇の婚儀)揺るぎない力を付けようとした。だが、義経と弁慶達の出会いも始まっていた。タイトル。
京の五条の大橋だ。笛を吹いて遮那王がとおり、月にかかった雲が切れると、月明かりが大男を映し出した。弁慶だ。近寄り弁慶「おなごか」。橋を見上げる空には落ちるばかりの大きな月が皓々と輝いていた。すれ違うが、太刀に気づき、弁慶「待たぬか、やはり男か、平家の君たちが弁慶を恐れて、おなごのなりか」と大笑いだ。遮那王は無視して通り過ぎるが、弁慶「通りたければ、腰刀を置いていけ」と命ずる。「断ると、力ずくで貰い受ける。長刀を振り回すが、ひらりひらりと逃げる。しかし、母からもらった笛を川に落としてしまい。遮那王は、小太刀を抜く。それから戦いが始まる。弁慶が長刀を振り回すと桜は花吹雪となって舞い散る。しかし身軽な遮那王は空をとび、長刀の上、弁慶の肩に立つ。凄い、ワイヤーでしょうか。昔読んだ絵本通りだ、そのままやってくれるとは大笑いで、嬉しかった。遮那王は長刀を切り落とす。月に雲がかかると、消えてしまい。足下に転がる、弁慶の向こう脛を払い、弁慶は倒れる。でた〜弁慶の向こう脛だ。しかし、遮那王は小太刀だよ。いつの間に強くなったのだ。先週、天狗の法眼と訓練していたけど。遮那王「平家の君たちと見間違えたのだろうが、私も今日は気もふさいでいた、やむなくお相手した、許せ」と衣を被り去る。弁慶は座り込み、放心する。
桜が散った頃、六波羅では動きがあった。清盛、「徳子の行く末だが、入内する、帝の后がいない」。時子「徳子を中宮にと」。清盛「そのつもりで働いて貰いたい」。時子「大役だ、入道様自ら」。清盛「いや、障りがある、一門のおなごに立ち回って貰いたい」。そこで貝会わせで遊ぶ徳子(中越典子)に時子がやってくる。そして、4人おなごの結集だ。重森の妻・経子(森口瑶子さん?)「入内は摂関家からが習い」。時忠の妻・領子(かとうかずこさん)「平家が公卿と列れられたとはいえ」。知盛の妻・明子(夏川結衣さん)「前例がある、タイケン門院タマコさま御入内のおりに」。輔子「どのような」。領子「それは白河院は気に入り、院の養女にして、子の鳥羽天皇に入内ということに」。輔子「徳子様を法皇の養女にして入内と」。領子「おなごの手に余り、兄上に」。時子「はばかられるの、我らにともうされたのです」。明子「法皇様の女御に建春門院滋子様は御母上のお妹にあたる」。時子「いかに妹といっても、法皇様の女御で、お目にかかれぬ、あ、私にはもう一人妹がおった、ケンシュウ門院の侍女の冷泉の局、私の願いを伝えてくれよう」。女5人は見事でしたが、名前が難しすぎるぞ。カタカナのママでごめん、大変だよ。法皇は薬を煎じていた。早速建春門院滋子(中江有里さん)が法皇に申し出る。法皇「身に否やはないが、摂関家のこともある」。滋子「タイケン門院のことも御座います」。法皇「徳子を身の養女にせろと」。滋子「せよとは身の多いことで」とひれ伏す。法皇「胸の裡に留め置こう」と薬をなめ怖い顔をする。
遮那王は鞍馬で笛を作る。そこに幼なじみのうつぼがやってくる。上戸彩さん、ふともも、ふくらはぎがエロイ。エロ担当ですね。河原でうつぼは身の上話する。うつぼ「都の孤児で、五足たちと一緒だったのだ、兄さんと二人になったので、お徳が世話をやいてくれた、兄さんはお寺へ、私は鞍馬の夫婦のいない家に預けられた」。遮那王「いつの間にか鞍馬からいなくなったときは淋しかった」。うつぼ「兄さんが悪さして、寺を追われ、鞍馬の親を騙して、私を遊女宿に売り飛ばした」と語り、河原に入る。うつぼ「気持ちいい、遊女宿にいた、下働き、その後お客の相手・・」と河原から上がり健康そうな足を拭く。ドアップだよ。。遮那王「もう何もいうな」。うつぼ「生きるにはたまには嫌なこともしなきゃね、でも々生きるなら伸び伸びしたい、それで逃げ出してきた」。遮那王「強いな」。うつぼ「女一人だもの、世の中の隙間かいくぐって生きぬくさ、都に戻ろう」。遮那王は送るという。
食いしん坊の弁慶は3日も食べていない。僧侶は小間がぶんどった物を売れば飯にありつけるというが、弁慶は虚脱だ。回想している。「生き仏だ」と呟く。都に行くと、うつぼの仲間が襲われたのを、遮那王が追い払う。それを見ている時子「遮那王」と呟く。遮那王が帰り、階段で踊っている静に会う。赤い衣カツギで女装して難を逃れる。遮那王と名乗る。静「確か常磐のお子」と知っている。そして「笛をなさいますか」と聞く。遮那王は笛を落としたことを語る。静「笛が母上を偲ぶよすがでしたか」というと自分の大事な笛を使ってくださいと差し出す。遮那王はどうして返せば良いか聞くが、静「いずれ縁があれば」とだけ話し去る。名を聞くと、「静と申します」とれをする。問題の石原・静ですが、気品、雅、色気、すべてが物足りませんね。稲森・常磐と比べては、仕方ないかな、これからを期待しましょう。
清盛の家を源頼政(丹波哲郎さん)が訪問する。元は源だったが、清盛に付いて伊豆の国守となって熱い信頼を得ていた。頼政「平家が荒法師に太刀を奪われる騒動があった」と話すと、清盛の部下が今は平家の警備におそれをなして静になったと報告する。頼政「現時には代々伝わる、ヒデキリの太刀があった、その太刀は入道様がお持ちと聞き及んでいるが」。清盛「確かに」。頼政「ひできりの太刀は目にしたことはない、拝ませて貰いたい」。持ってこさせる、頼政が抜くが「はって、ヒデキリの太刀は奥州の刀工もんじゅと聞いている、太刀の胸襠にもんじゅと銘を撃つが見あたらない」。早速太刀の抜き身を見て、銘を確認する。そこには美濃の国源丈(げんじょう)とあった。一同驚く。回想で、頼朝の姿を思い出す。頼政に今日はこれまでと引き取って貰う。
夜の京を朱雀が押し車で通ると、入道の屋敷から恐ろし声が聞こえる。庭の気を源丈で片っ端に斬ったのだ。そして刀は折れて打ち捨ててあった。息子達が集まり、頼朝に騙されたのが悔しい、だから、頼朝をうち捨てるべきだった。頼盛が窮地に陥る。しかし決断したのは清盛だ。時子が来て、事情を聞くと、頼朝に欺かれたと知らされる。皆油断できないという。遮名王も都を徘徊している。北条にも見張りを、遮那王にも油断できない。その遮那王は鞍馬で静の笛を吹いていた。静を思い出して・・常磐のところに平家が調べに来るが、常磐は一度も来ていないと答える。何用か、どのような人と会っているか、聞く。結局愚弄してと怒って帰った。都の襠でうつぼの兄春慶は「この前のおなごはいかがですか」と武士に売り込んでいる。その武士に春慶に「稚児をとらえろ、六波羅様からの頼みだ」と頼まれる。弁慶は京の町を、稚児を捜している。綺麗で、笛を吹き、強い。分からないよね。春慶は妹のうつぼに遮那王を「寺から呼び出せ」と頼まれる。うつぼ「お断りだ、兄さんを信じていない」。それをお徳に話すと、荒法師も、六波羅も探している。容易ならない事態に、遮那王に都に近づかないように五足に伝えさせるが。すでに、都から常磐殿が危篤と言われ都に走っていた。おしまい。
解説は京の五条大橋。1号線がとおるが、平安時代には300m上流の松原橋のところだった。清水寺への参道で、宮川町などがあった。
今回は何といってもタイトルの五条大橋の対決ですが、お約束通りでした。月も極大の絵本のようなシーンの連続でした。しかも、ちゃんと弁慶の向こう脛が出てきて嬉しかった。それも、山場といっても対決だから、仕方ないですね、10分ほどで終わった。それからが難しかった。平家の兄弟とその、妻たちが登場した。名前が頭に入っていないよ、ついて行くだけで手一杯だ。。豪華な女優陣ですが、どうしても夏川さんに目がいってしまった。さて、義経をめぐる、2人の女性ですが、やはり、上戸さんは「あずみ」みたいな役で、自然にみえました。しかし、石原さんは浮いていた。これから期待しましょう。
うつぼの兄春慶(荒川良々)
義経★★★ 4話 「鞍馬の遮那王」 1月30日放送
前解説で、比叡山や圓城寺や興福寺の僧兵が勢力を持って、朝廷に領地などを要求した。清盛も手を焼いたのだ。その背景を説明する。タイトル。
承安元年(1171年)、鞍馬寺で成長して馴染んだが、遮那王は出家せず、己の境遇の曖昧さとエネルギーをもてあましていた。いつものように都に行こうとすると、覚日が待っていた。覚日「何しに行くのだ、とどめようと言うのではない、そなたは預かり人なので、いざの時も考えないといけない、都では三条の吉次を頼ること、名を秘すること、母を尋ねぬ事」と念をおす。遮那王は吉次が連れてきた源行家が何者か気になっていたのだ。吉次の家に行くが、あかねが応対する。あかね「吉次は熊野に行っている」。そこで、あかねは時勢を説明する。あかね「都はおさおさしているだろう、とくに清盛が病気で出家して入道になったようで、寺は手出しできないようだ」。遮那王「六波羅殿の病は?」。あかね「スバク、腹に虫が湧いて痩せる病」。ナレーション「大分前男のことですが、その時に清盛は発願して出家した」。渡さんが丸坊主でしたが、カツラですよね。母も出家して尼になった。3兄弟も大人役に替わり、父を心配していた。結構大人役3人は壮観ですね。清盛を後白河上皇が直々見舞いに行った。山椒を飲むと良いと、唐橘も勧めた。他にも、多くの薬草を持って用法も書いてきたのだ。清盛は休みながらも勿体ないという。上皇は「清盛が元気になって貰わないと心細う」と声を掛ける。上皇「病が治ったら、福原で養生したらいい、福原に館を造営しているのは何事かと噂している、病養生なら波風立たぬ」と助言した。そして更に上皇は「、しかし病は恐ろしい、清盛が病平癒した暁には、巳も清盛に習い、出家するとする、御仏のご加護で益々栄える」。あかね「1年後、本当に出家して法皇とならはった、清盛様の病は罰だと言う者がいた、平家が福原に道を作り、港も大きくしている、都を福原に移す支度やと、噂がある」。遮那王は清盛の福原の話を思い出していた、あかねの話が終わると、吉次が帰ってきた。遮那王「聞きたいことがある、新宮十郎様(源行家)に会うにはとそうすれば、亡き父、母のこと、、清盛のことを聞きたい」と言う。あかね「お徳にきけば・・」と口を滑らせる。吉次はとどめて「時が来たら」と言う。遮那王は「じゃお徳に聞く」。京の町は、五足に会うと、寺から武器の注文が来ている、危険な状況だ。遮那王が、町を歩くと、男が若い女を叩いていた。遮那王が助ける。その若い女はうつぼだった。
山に戻ると、遮那王は法眼に会う。遮那王は「以前、清盛が仇だが、ご恩を受けた事を知って、幼い私が取り乱したとき、法眼様は受け入れよとおっしゃった、今も引きずっている、どう考えたらよいのか」。法眼「忘れることも、許すこともない、あるがままに受け入れるのじゃ、ならば考えぬ事だ、悩み抜けば良い、闇の中を彷徨えばいい、そのうち日もさす、それがこの世の定法じゃ、生きとし生きる者、生もあれば死もある、陰もあれば陽もある、そなたの煩悩の彼方にも、いつかは安穏があるということじゃ」。遮那王「私を弟子にして下さい、武術を教えて下さい、ひたすら気持ちを向けたい」。法眼「厳しいぞ」。遮那王「望むところだ」。夜、修業して、法眼から闇夜を大杉権現の御社まで走れと命ぜられ、遮那王は走る。階段を登ると、あらら不思議。法眼はすでに付いていた。そして遮那王にムササビが襲ってくる。相変わらず法眼は凄いぞ、そして、その悟りの境地は好きです。
その頃、都では叡山と園城寺が戦い、寺社までまきこんだ。清盛が仲裁に入ったがおさまらず。平家の武力でおさまった。騒ぎは責任を平家が問うと、叡山は弁慶を首謀者として、追放したのだ。遮那王は経文や古文書も読み、修業は進んでいた。そこら中に、紙が貼り付けられ、紙が風に飛んでいた。
清盛と時子との間の徳子は寵愛を受けていたが、男嫌いか縁がなかった。時子「性分で、はきと口にしません、心を見せぬままに時が過ぎて、お相手がじれてしまう」。清盛は「事は進まぬな、わしに思案がある」と時子に言う。時子は楽しみだという。その夜、弁慶が重盛に目通りにきた。しかし門が開き、維盛が対応する。弁慶「張本人がそれがしというのは間違いだ、園城寺と掛け合い奔走した、叡山を追われるいわれはない」。維盛「禅林坊が、その方の名をあげたのじゃ、騒動は落着した」。弁慶「落とし入れられた、理不尽なり、叡山も平家を敵だ、我が身のそしりのために刃向かう、覚悟あれ」。遮那王の武術の修業は続けられた。「・・敵陣をあるを知るべし、少なきもって、多きを撃つは、日のくれをもって・・・よく戦う者は利を見て失わず・・」と武術書を復唱していた。そして眠りに入ると、つがいの蝶が飛んでいた。母と子なのだろうか、父と子なのだろうか。
その頃から京の町で、平家縁の人の太刀が奪われるという事件が起きていた。薙刀をもった、弁慶が太刀をぶんどっていた。大立ち回りで、人を樹にまで飛ばしていた、まずまずの弁慶ぶりです。昼も夜も太刀を取っていた。鞍馬寺の僧侶と一緒に草を摘んでいる。遮那王は「面構えが変わった、武者の顔になった」と言われる。夜は上半身裸で太刀を振る。サービスシーンです、視聴率上がるかな。しかし、数名ほどの手勢に囲まれる。戦うと天狗の面を被っていた。遮那王は見事に天狗の鼻を切り落とす。ワイヤーアクションですかね。頑張っていました、天狗と修業したという話しもちゃんと入ったのですね。子供時はこの話と三条の橋の弁慶の戦いを聞かされましたね、笑い。天狗は法眼だった。法眼「よく会得した、こののちは己自身で磨く事じゃ、わしはもう鞍馬に来ることはない、褒美を取らそう」と小太刀を渡す。そして法眼「最後に、そなたが身につけたことは戦のタメではない、そなた一人、自らを生きていくためのよすがとせよ、よいな、身をいとえ、六根清浄」と言い残して去る。やっぱ法眼の言葉に注目しまいますね。
遮那王は決意して、母に会って、全てを聞こうとして山を下りる。一条の門を叩く。「母上」と叫ぶが、見廻りの武士に問われ、逃げてお徳のところに駆け込んだ。遮那王「聞きたいことがある、母と清盛の事を知っていると思って、以前は自棄のような思いで尋ねたが、今は違う、きちんと知りたい、それを私の腹にしっかり収めたい」。覚悟と成長を感じたお徳「平治の戦の後、父上義朝殿は平家に討たれ、逃げていた母上常磐さまは3人の子を連れて都に戻られ、命乞いだった、門前に立つ親子を私は見ていました、清盛様は常磐の母や兄弟・子供を命を許し、兄じゃは仏門に入られ、乳飲み子のあなたと常盤様を洛中に留まらせた、その住まいに清盛が通い出した、どういうことか分かるはず、常磐と清盛様には子も生まれた、敵の大将の子の命を助けるなんて、清盛様のお情けというしかない、清盛様は牛若に幼いときの己をみた、清盛様は母の縁が薄いので、常磐を殺せば、残った子供達がどうなるかと、産みの母を知らぬ清盛は、それで常盤様の命も遮那王となったそなたも助けた」。遮那王「清盛様は父の仇に違いない」。お徳「そうや、仇でもあるが、命の恩人でもある、ここが難儀な所じゃなぁ〜」。悲しく宿命づけられた義経なのだ。主人公としてキャラがしっかりしています。帰る遮那王に、五足「戦に勝った方が、負けた方の女をものにするのは、今にはじまった事ではない、お前のおっかあさんも覚悟していた、恨むんやない、子を連れた女が生きる抜くのはそういうことじゃ」。確かについ何年か前、そして今も戦争では同じ事がなされているようです。お徳から渡された布を遮那王にあげると五足「都は平家の侍がうようよしている、女装して行け」と勧める。女の衣をまといで笛を吹いて橋を渡ると、弁慶が立ちふさがった。運命の出会いはこの夜でした。月がやたら大きいぞ。解説は鞍馬の紹介です。遮那王の修業の場、天狗を相手に修業をした。義経息継ぎの水、本殿からは叡山の延暦寺が見える。
滝沢遮那王、松平弁慶が登場して、話しは本格敵意なってきました。牛若の神木君と常磐の稲森さんは回想でしか登場しません。淋しい。法眼も今日でお別れなのか、山ねだ。宗盛、重、知盛も大人役になりました。今のところしっかりしたドラマになっていますね。原作の宮原さんの力でしょうか。時代やキャラの描き方がしっかりしていると言うことでしょうか。うまくエピソードを見せているなと感心しました。法眼が去ると、次は弁慶が登場です。おっと、うつぼ、静も登場だ。休まる暇がない。緊張を持たせています。
義経★★★ 3話 「源氏の御曹司」 1月23日放送
解説、義朝には6人の子供が伊豆など全国に流されていた。牛若は7歳だった。タイトル。
長寛2年(1165年)京でも、火事や干ばつで人は盗みもしていた、貧窮していた。牛若は洛中の孤児の五足や鳥丸たちとたむろしている。五足が清盛の冠位のことばかりで民のことを考えていないと言うと、牛若は「新しい都の事を考えている」と反発する。そこに通りかかった重盛の御輿に石を投げて逃げる。重盛は、清盛に治安が落ち着いてきたと報告する。そして、洛中を徘徊する牛若を見つけた、このままでは如何か、と忠言する。清盛「いずれ仏門でも」。重盛「頼朝は北条などに見張らせている、しかし、牛若が京に残っていは、源氏の一門が集まるかも知れぬ」。牛若は屋敷を抜けて、都で悪さをしていた。五足と一緒にいるところ、牛若をあかね(萬田久子さん)が見に来る。あかねは同伴した男「義朝の忘れ形見の牛若に違いない、あの方の身辺に目配りを」と言う。常磐と一緒になった一条長成は、清盛に呼ばれて、牛若を仏門か西国に流すか選べと言ってきたと告げる。常磐はそれを聞き、手を合わせ、義朝に祈る。そして、常磐は牛若に「鞍馬の寺へ入って貰う、屋敷を出て、母と別れて生きるのだ、仏門に入るのだ、良いですね」という。牛若「一条様が私を嫌いになったのか?」。常磐「違う、そなたは都にいてはならぬ、六波羅様が決めた、そなたは平家とは相容れぬ身の上なのです」。牛若「私は信じません、六波羅様は私を可愛がってくれた、平家の方々も仲良くしてくれた」。常磐「そなたがちいさかったから、年々そなたがさわりになる」。牛若「母上、私は何者なのですか、得心できなければ、鞍馬などに行きません」。常磐「どうしても得心できなければ、これで私を刺すことです」と小太刀を差し出す。雷鳴がなる。常磐の目に涙だ。夜、常磐は笛を吹く。
牛若は都から北へ3里ほど離れた山に鞍馬寺はあった。常磐と牛若は馬に乗り、家臣2名と寺に入る。山門から長い石段を登る。覚日律師が迎え「清水寺の別当殿より話は聞いている、参られよ」。常磐は牛若に一対の笛の一つ(薫風? くんぷう)を母の形見として渡す。常磐の笛は松籟?(しょうらい)だ。常磐「牛若、今日ただいまより母は亡き者と心得よ」。覚日「確かに預かる」。泣き降りていく常磐を牛若は「母上」と呼び止めるが、常磐は一時、涙て振りかえると、また下っていた。もう、これで稲森さんはお別れなのですか、残念。牛若は本堂へ案内され、持覚、瑞運が先輩だ。覚日「今日からここで寝起きをする」。牛若は夜、すきま風で寒い部屋で寝なければならなかった。母を思い泣く。
朝、本堂で勤行(ごんぎょう、読経)がある。しばらくした時に、牛若は山を下りる。しかし、持覚、瑞雲が追いかけて、あっさり捕まり、抱えて連れ戻される。覚日「見損なった、弱虫だ、強がっているだけだ、朝の勤行に出ず、食事にも手を付けず、我を張る、周りに楯突くのは臆病だからだ、闇夜も歩けぬ弱虫だ、お前は鞍馬で生きることを定められた、ここで生きるしかない、とんでもないところに追いやられたと思うが、ここには何でもある、都のにぎわいも極楽も地獄も、おまえには見えていないだけだ、ここには森羅万象、万物があるのだ、ここにだ、お前が都を思えば、ここに都がある」と牛若の胸をさす。覚日「本当に強いものは、どんな境遇にあっても、生きる術を見つけるものだ」と諭す。夜、牛若は「怖くなどない」と一人で歩く、すると鬼一法眼(美輪さん)が歩いていた。そりゃ誰が見ても怖いわ、光っているもの、笑い。追って祠に入ると、法眼がいる。そして牛若に、法眼「右手に鉾を持っておられるのが毘沙門天、こちらは吉祥天、鞍馬山の信仰の要だ、尊天とはこの世の全ての力だ、森羅万象のあらゆる神仏の像となって我等の前に、その姿を現している、その働きは、慈愛、光、力となって、我等に注がれる、三千草木・・・」と経をを唱える。法眼「この闇も、木立も、流れる川も、草花も、我等人間も、皆菩薩で、皆等しく尊天の手の平にあるということだ、それ故人間は闇にも、木々にも、鳥にも山の生き物と親しく解け合えるのだ」と諭す。法眼が口笛のように吹き、祈るとにわかに嵐となった。アニミズムに延長の日本的仏教でしょうか、人間も万物に含まれ、同様だという考え方かな、結構大事な事ですね。次の朝、牛若が目覚めると、覚日が訪れて「お前の名前をビル遮那仏にちなんで、遮那王にした、輝きわたるものだ、いい名だ」。牛若「仏門だが」。覚日「この鞍馬にいる間の名だ」。
翌年、時子は従二位になった。11月には清盛が内大臣に登り詰めた。後白河上皇が宴で舞っている、それを清盛は楽しむ。上皇に清盛は唐の宝物を差し出し、平家が書いた経文を見せる。上皇「清盛の信心の深さには感じいる」。清盛は「長引く干ばつで騒然としているが、安寧の訪れるように、厳島神社に納めようと思う」。上皇「何故、厳島か? 清盛の思いは西国か? 都を忘れるな」。清盛「西国は平家が切り従えた所領だ、厳島は平家の守り神だ、一門で詣ろうと思う」。上皇「それはよい」。遮那王は笛を吹いているが、音はでない。そして夜に山を下りて都を彷徨う。常磐の家の前で、笛を取り出す。しかし「母は亡き者と思え」を思い出す。そこで五足たちと会う。牛と聞いてお徳もいた、「あなたは北から降りてきた、風の匂いがする、あなたには人を惹きつけて何かがある、担ぎ上げられやすいものじゃ」と初めての言葉だ。
清盛は写経36巻を厳島神社に納めた。同じ時に清盛は武士として初めて、太政大臣従一位となった。鞍馬では、遮那王は度々都に降りていた。そんな朝に、うつぼと会う。うつぼは知っていた。遮那王は覚日に呼び出される。遮那王「母の命で鞍馬にいるが、仏門に入るつもりはない、都に降りたい、仲間とも会いたい」。覚日「お前は許されない身の上だ」。そこに吉次と新宮十郎義盛(大杉漣/のちの源行家)が寺を訪れる。義盛「熊野から都にやって来た、それは義朝の忘れ形見の存命を知っていたからだ」。覚日「遮那王は己の出自を知りません」。義盛は驚く。義盛「義朝がお子に御座ります、源氏の御曹司の自覚を持ち、源氏再興の御柱になって貰いたい一心だ、源氏旗揚げには真っ先に参上します、平家は我等源氏の仇で御座います」。家系図を見せて、母違いの兄弟を説明する。義盛は伯父ー甥だ。遮那王「父は六波羅様では?」。義盛「何と、清盛は義朝を討った仇ではないか、清盛は源氏の血筋を絶やさんとした仇だ」。遮那王「母と私は六波羅様の御陰で今日まで」。義盛「清盛も男ということ」。吉次「頼る者なき常盤様には、よすがであった」。遮那王は驚く。そして、走る、走る。滝にたどり着く。その時法眼が登場して「風の音、水の音、人の力はあらがいきれない、受け入れる事じゃ」と言うと経を唱える。牛若は滝に飛び込む。これは神木君マジですか、怖かったでしょうね。そこから出てくると、滝沢君に変わっていた。あっさり牛若の出生の秘密が明らかにされました。ちょっと覚日さん、あっけないのでないの。もっとエプソードとかヒネリはないのか、笑。おしまい。
解説は鞍馬です。若狭に抜ける道だ。山菜の宝庫だ。北は邪悪がやってくるので、毘沙門天が祀られている。鞍馬の火祭りが紹介される。平安時代に明神様が置かれたことを記念した祭りだ。
今回の主役は、凄い美輪さんでしたね。怪しすぎるし、登場の仕方から、光っているし、この世の者とは思えない。しかも、話しの内容は分からない。でも神木君とも常磐の稲森さんとも今回でお別れかな、淋しいな。滝沢君が登場しました。しかし、本当に牛若は凄い運命ですね。
義経★★★ 2話 「わが父 清盛」 1月16日放送
平治の乱の説明がある。タイトル。
長寛2年、平盛国の家で宗盛や牛若が集まって遊んでいた。重盛「牛若が仕置きを逃れたのは、乳飲み子だったからだ、大きくなったので処分が必要、情けは無用だ」と清盛に注進する。牛若が家への帰り道、京は興味深い物ばかりだ。暴れ馬が駆けてくる前に立つうつぼを牛若は助ける。運命的な出会いなのだ。牛若は馬の持ち主の五足(ごたり)、烏丸とも知り合う。常磐の元に返ると、牛若は相撲して怪我だらけだった。重衡、知盛も相撲で怪我をしている。何をしたか、時子が訪ねても答えない。清盛は常磐に福原・摂津の屏風絵を見せる。まだ出来ていない夢の都だ、それで常磐の所に持ってきたのだ。牛若が清盛の竹とんぼをなくして、自分では上手く作れないと言う。清盛は削る場所を教える。牛若は清盛に宗盛と会って楽しいと答える。それで常磐に牛若の年を聞く。常磐「7歳にあいなりました」と答える。
夏に時子ら平家のおなご衆は水遊びに出かけた。池に船を浮かべ、調べを流れ、宴が行われる。重盛お妻・経子「雅を楽しめるのも、六波羅の父上の御陰です」。領子「姉上は寛大だ、六波羅の兄上は七条の常磐の所に通うている」。時子は笑い飛ばすが。3日後、常磐は盛国の館に呼ばれる。常磐がお礼を述べる。そこに盛国の妹の時子がやってくる。時子「常磐、義朝の思い人では」。常磐「六波羅さまの慈悲を賜りまして」。時子「慈悲とな・・屋敷は、いずれに」。常磐「七条に、お気に掛けて頂いています」。そして時子は伽羅の香りに気づき、時子は常磐に身ごもっているのかと聞く。時子は時忠に腹を立てている。時忠「六波羅様は他のおなごにけそうした、その子を育てた」。時子「姫子の母は武家ではなかった、仇の頭領の腕に抱かれるとは、おぞましい、美貌は噂通り、控えめで穏やかで、しかし裏には夜叉が潜むと見た、そしておなごには毒が流れている、女の弱みにつけ込むとわ、わが夫ながらあさましい、私はおなごとして常磐を許せぬ、子を産んでも私は引き取らぬ」と叫ぶ。怒りに天も雷雨を降らせる。
清盛は重盛と宗盛を呼び出し、宋からの客人のもてなしの宴に同席するように命ずる。重盛は直ちに了解するが、宗盛は陰陽師に聞くというと、清盛は戦場は如何いたすと一喝する。重盛は「宗盛は正直過ぎる、後ほどと返事をすればいいのです」と助言する。宋の客人の席に、屏風絵を見せたが、そこには落書きがあった。牛若の仕業だった。清盛が聞くと、牛若も正直にはいと答える。牛若「これは何か」。海を知らないという。そこで清盛は筆で船を書く。そして、船には人も金の売れる、絹香料を乗せて、交わりができる。福原に大きな泊まりができれば、異国との交わりが栄え、新しき国となる。交易で国が栄える。火事、地震、でも人が争うことのない国ができる。清盛「この丸は?」。牛若「日輪です」。清盛「目出度い」と答え、筆を加える。清盛「この福原に燦々と」。重盛は清盛に「福原に都を」と問いつめる。夜、宗盛りは屏風に石を投げつける。その後目に触れることはなかった。
常磐に女子が誕生し、能子(よしこ)と命名される。清盛は時子に宗盛の振る舞いについて、心配を語る。清盛「宗盛は弱い、重盛には気迫、知盛には動きが、重衡にはのびやかさがある、それと比べて宗盛には平家を支える腹が見えぬ」。時子は「育て方が間違っていたと? 宗盛は可哀想だ、物心付いたら、立派な兄の重盛がいた、比べられて、父に叱られ泣いていた、心中を察し下さい」。清盛「弱々しい、厳しく奮い立たせるのは母の仕事だ」。時子「自分には厳しいが、他の子には優しい姿を見ると、何と思うか、例えば七条あたり、よその子に優しいと、牛若を可愛がっていると、実の子は心を痛めます、まして姫までなしたとあらば、宗盛とあらず、心うずきます」と泣く。
常磐の所で、清盛「そなたとの行く末を考えている、そなたは嫁ぐのがよい、一条家長成へ」。常磐「六波羅様のお心のままに、能子は六波羅様にお預けねばなりません、六波羅様の血を引く娘とあらば」。清盛は牛若の竹とんぼを見つけ「牛若も手放して貰う、仏門に入った兄と同じ年になった」。常磐「覚悟していたが、今しばらく、二人の子供に去られてわ」とすがる。清盛「噂となり、形見の狭い思いをさせた」。常磐「何の」と礼を述べる。1ヶ月後、能子が引き離された。牛若は常磐と手を繋ぎ見送る。能子は時忠にあづけられ、常磐は七条の館を出た。
一条長成は歯が真っ黒だ、蛭子さんだよ、大笑いだ。早速挨拶する。常磐「一条さまは良い方じゃ、一条様を父と思うように」。牛若「六波羅様ではないのですか、本当の父は」。常磐「すでにこの世のものではない、平家と交わることのないように」と厳しく告げる。続く。
解説は安芸の厳島神社についてでした。
結構まったりしてきましたね。相変わらず稲森さんは美しく撮っている。神木君も可愛い。それに今回は清盛の妻が活躍です。松坂さん、今回はさすがに怒りましたね。まあ、初回の緊張感はなく、豪華メンバーの演技を楽しめばいいのです。ただ人物も多くて馴染んでいないよ。辛い。
義経★★★★ 1話 「運命の子」 1月9日放送 1月16日アップ
寿永三年(1184年)2月7日、播磨の一の谷での合戦。大きな月、鷹、霞、浜辺に陣をはる平家、後ろの高い崖の上に義経の人馬が揃う。義経、弁慶、伊勢が「方々参る」の声で降りていく。奇襲だ、宗盛の平家の陣はちりじり、櫓は倒れ、火が放たれ、平家は船の上で見守る。知盛、重衡もかっては義経と一緒だった。滝沢君のストップモーションで、25年前へ。生まれた牛若をだっこして、子を引き連れる常磐。タイトル。
平治元年(1159年)12月26日京。平治の乱で平家の清盛と源氏の義朝の戦いになった。平家の大軍の前に源氏は、その日のうちに敗れた。馬に乗り去る義朝に常磐は声を掛ける。そして常磐は牛若を見せる。義朝は常磐に小太刀を与えて、尾張を目指して去る。義朝と頼朝は別れてしまう。尾張に着いた義朝だが、裏切りで命を落とし、その首は京へ。頼朝は伝来の「ひできりの太刀」を持ち美濃に落ちが捕らえられる。
清盛は勝利で治領を5カ国から7カ国となり、上り坂となった。後白河上皇よりお言葉がある。清盛の身分は従三位となり公家と同格となった。平家の余の始まりだった。平家一族が集まり宴が開かれる。そこに家人平盛国が源氏の囚われ人を報告する。その中に常磐の名もあった。義朝と別れた常磐は生家を頼ったが、すでに焼け落ちていたのだ。そして両親は行方知れずとなっていた。小雪舞う中親子は彷徨う。常磐親子は船で流れつき、助けてくれた寺の主に都の噂を話してくれる。義朝の首が六波羅に届いた。常磐は覚悟して、「父上が亡くなったので、我等父上の元に参ろう」と思う。そして小太刀を抜く。しかし義朝の子らを頼む、の最後の言葉を思い出す。思いとどまったが、寺で常磐の親まで捕らえられたと噂する様に愕然とした。
頼朝は京に閉じこめられている。そして、清盛らの調べがある。頼朝14歳で卒塔婆を作っていた、身内の相次ぐ死で菩提を弔うものがいない。秘伝の太刀を聞く。清盛は太刀を手に入れて源氏の糸を断たねばならないと語る。平家でも頼盛は母の池禅尼が助命を願いだしたのだ。頼朝の顔立ちが亡くなった兄家盛に似ていると洩らしたためだ。助命に来た池禅尼に清盛は13日に首討つと答える。尼は慈悲を願うが、思いもよらぬことと清盛は答える。清盛の妻時子に頼盛は母が食を断って弱っている事を訴える。清盛に重盛も注進する。池禅尼は清盛の継母である、その願いを聞かないのは、継母のためか、とまで言う。そこに常磐が参上したことが告げられる。常磐の美貌は京で評判であった。清盛が会う、母の命乞いを願う。乙若6歳、今若8歳と牛若1歳の助命も願う。常磐は一命を助けられれば、平家も武士も忘れさせる手だてもあると言う。清盛は「そなたの命を投げ出すなら乳のみ子は如何なさる」。常磐「是非もないことで」と泣く。清盛は沙汰は追って下すと、去る。夜清盛と時子が話し、時子から沙汰を待ったことをチクる。常磐の美貌が、六波羅様の心を鈍らせたと噂している。清盛は急に立ちさる、怒った。
頼朝の元に「ひできりの太刀」が示され、本物か問う。「相違ない」と答える。迷う清盛のところに、夜の闇に紛れてお徳がいた。清盛は去年の合戦の火付けの礼をいうが、お徳は息のかかった物にやらせた。火の中から帝たちを助けて、清盛は昇進したのだ。お徳は組紐屋で、暮れの合戦で商売繁盛だ、大儲けだで褒美だと答える。清盛が禅尼に苦しんでいることを話す、産みの母とは3歳で死に別れ、その姉さんに引き取られ、後妻に入った禅尼に。禅尼の生まれは藤原家で、小さいときから厳しく育てられ、実の母親を恋慕われたはず。元服間近な頃、亡くなった実母の事を教えてくれといわれた。お徳「どうこうしろと言うたのではない、あなたは母親を失う辛さをよく知っている、切なさ、寂しさ、そんな物が、弓張月のように心に響いているのですな」。清盛「義朝の忘れ形見(常磐)のことを」。お徳「どことなく鶴羽(実母)に似ている」と告げる。
清盛は常磐を家臣に嫁がせる?、今若と乙若は仏門へ、牛若は常磐と洛中で住むこととする。常磐は涙し礼を述べる。そして、今若と乙若と別れを告げる。今若は小太刀を母に返す。そして見送り涙する。そこを通る頼朝にも沙汰があり、伊豆に流されることになった。流罪としては一番重い罪だった。3月だった、一通の文を清盛に渡した、そこには仏門に入りひたすら源氏一門の菩提を弔うと書いてあった。
常磐の所に清盛がやってくる。子の行き先を教えに来たのだ。清盛は義朝とも共に戦ったこともあるのだ。常磐の気持ちを問いただす。常磐「お慈悲に怨む心はない、女として、親として日々の安穏を願っている、そのため風に逆らうことなく生きるしかない」。清盛は「あるものが似ていると・・常磐今宵伺いたい、よいか」。常磐「お待ちいたしています」。常磐は小太刀を取り、刃を首に、そして髪を一束切る。満月の夜だった。清盛は常磐を訪れる。そして重なる影は灯りと共に消える。
5年後、牛若は神木君になっていた。竹とんぼで、木登りをしている。重衡と一緒に楽しみ、牛若も清盛を父と呼び、許していた。常磐には清盛の小が宿っていた。続く。
今回は、皆が言うように大河らしい大河でした。重々しい一の谷の合戦でした。そして、役者も凄かった。しかし、一番の主演のメインは常磐役の稲森いずみさんでしょう。これほど美しく撮ってくれればいうことないでしょう。もう一人は義経の赤ん坊でした。目に力がある。原作が宮尾さんなので、結構見せてくれそうですが、中だるみが心配です。お徳がナレーションもつとめ、物語を裏から動かす役目になるのでしょうか。今回は清盛に常磐は母と似ているなんて話すものだから、清盛もマザコンで、あんな展開になってしまった、笑。白石加代子さん、相変わらず迫力ある凄味です。初回の気合いに★4つだ。。