聖書のおはなし 


〜聞くことから〜

律法が目指すものはキリストです。

それで、義は信じる者すべてに与えられるのです。

モーセは、律法による義について、

「律法の掟を行う人は、その掟によって生きる」と書いています。

しかし、信仰による義はこう言います。

「あなたは心の中で、『だれが天に上るのか』と言ってはならない。」

それはキリストを引き降ろすことです。

また、「『だれが深みに下るのか』と言ってはならない。」

それはキリストを死者の中から引き上げることです。

では、何と言っていますか。

「みことばは、あなたの近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にある。」

これは、私たちが宣べ伝えている信仰のことばのことです。

なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、

あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、

あなたは救われるからです。

人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

聖書はこう言っています。

「この方に信頼する者は、

だれも失望させられることがない。」

ユダヤ人とギリシャ人の区別はありません。

同じ主がすべての人の主であり、

ご自分を呼び求めるすべての人に豊かに恵みをお与えになるからです。

「主の御名を呼び求める者はみな救われる」

のです。

しかし、信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか。

聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。

宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか。

遣わされることがなければ、どのようにして宣べ伝えるのでしょうか。

「なんと美しいことか、

良い知らせを伝える人たちの足は」

と書いてあるようにです。



しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。

「主よ。私たちが聞いたことを、だれが信じたか」

とイザヤは言っています。

ですから、信仰は聞くことから始まります。

聞くことは、キリストについてのみことばを通して実現するのです。









































〜詳しくは聖書をご覧ください〜

(新約聖 書 ローマ人への手紙  10章4〜17節)
[聖書本文は新改訳聖書2017版(新日本聖書刊行会)を使用しています]


牛津キリスト集会
 

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