聖書のおはなし 


〜愛がなければ〜

たとえ私が人の異言や御使いの異言で話しても、

愛がなければ、がしいどらや、うるさいシンバルと同じです。

たとえ私が預言の賜物を持ち、あらゆる奥義とあらゆる知識に通じていても、

たとえ山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、私は無に等しいのです。

たとえ私が持っている物のすべてを分け与えても、たとえ私のからだを引き渡して誇ることになっても、

愛がなければ、何の役にも立ちません。

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。

愛は自慢せず、高慢になりません。

礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、苛立たず、人がした悪を心に留めず、

不正を喜ばずに、真理を喜びます。

すべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを忍びます。

愛は決して絶えることがありません。預言ならばすたれます。異言ならやみます。

知識ならすたれます。

私たちが知るのは一部分、預言するのも一部分であり、

完全なものが現れたら、部分的なものはすたれるのです。

私は、幼子であったときには、幼子として話し、幼子として思い、幼子として考えましたが、

大人になったとき、幼子のことはやめました。

今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、

そのときには顔と顔を合わせてみることになります。

今、私は一部分しか知りませんが、そのときには、私が完全に知られているのと同じように、

私も完全に知ることになります。

こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。

その中で一番優れているのは愛です。

〜詳しくは聖書をご覧ください〜

(新約聖 書 コリント人への手紙第一 13章1〜13節)
[聖書本文は新改訳聖書2017版(新日本聖書刊行会)を使用しています]


















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