宇佐神宮の放生会(仲秋祭)

 放生会は生への感謝を表すため、魚や鳥などの生物を池や野に放つ法要で、八世紀の始め朝廷と八幡神が討ち果たした大隅・日向の隼人の霊を鎮めるため、744年に日本で初めて宇佐神宮で行われたと伝えられています。何百キロも離れたところに薦で作った枕(八万神のご神体)が出かけ、傀儡子の舞(くぐつのまい)=細男の舞(くわしおのまい)で効果があったとは、大変興味深いものがあります。いくら八幡神が霊験あらたかなりといえども、普通は全く相手にされないと思うのですが、このことは当地に八幡神を信仰していた集団が存在し、隼人の勢力を削ぐために利用されたのだと考えるとスッキリとします。
 宇佐神宮の放生会は10月9日から3日間行われることになっていますが、保存会の都合等で平成13年は日曜日を挟んだ10月6日〜8日にかけて行われました。宇佐市の和間神社浮殿で神事を行った後、地元和間小学校の児童による「道行きばやし」を先頭に神官、僧侶、保存会のメンバー、一般参拝者が、約300メートル離れた放生場所まで行き、放生船に乗りました。
 「追っかけ」をしていたため運良く放生船に乗せてもらえました。船上で隼人の霊を慰める神事も大勢の神官・僧侶で行われるので迫力満点でした。
 帰り道での保存会役員さんの話 この放生会も大変苦労しながら維持している。子供による「道行きばやし」も昔は物差しで叩かれながら覚えさせられたけど、今の子供はそんなことをするとすぐやめてしまうし・・・等々 
 う・・・ん大変でしょうけど頑張ってください。お賽銭少し多めにしました。(^_^;) (H13.10.07)

放生船から見た国の崎(国東)の山々
ここから先は大和朝廷の権力の及ばない「国の崎」であった。
(H13.10.07)
 
蜷(ニナ)を入れている葦(あし)で作った入れ物「つと(苞)」を最後に流す。昔の資料には蛤、蜷を薦に包んだとあり、真薦を使っていたのかもしれません。(H13.10.07)
和間神社を出発して放生会の場所に移動(H13.10.07) 放生会は船に乗って行われるときと、堤防から行われるときがあります。潮の関係かな?歴史書では、古表社(福岡県吉冨町)と古要社(中津市)からの傀儡船2艘が浮殿の前で傀儡舞を奉納することになっているが、一隻だけで傀儡舞はなし。時代が変わったので仕方がないか。(H13.10.07)
和間神社大祭 僧侶と神官が仲良く・・・。(H20.10.12) 和間神社 浮殿(H20.10.12)
和間神社から放生場所に向かう蛤・蜷の入った葦苞。本来は薦苞だったと思われます。(H20.10.12) 和間神社 浮殿(H20.10.12)
隼人の霊を鎮めるための「のりごと」を、卑弥呼の末裔?が奏上(^o^) H20.10.12 (卑弥呼の末裔=次期宇佐神宮宮司=最近雲行きが怪しくなった。) 放生場所に向かう一行(H20.10.12)
放生会で使われた蜷(にな)。一般の参加者にも放生してもらいました。(H20.10.12) 葦苞を開き、蛤と蜷を放生する。今年は潮時が悪く、放生船は出ませんでした。昔この辺りは海だった所です。(H20.10.12)